UP20020219

TOP OF THE WORLD  ― 5 転回





 思えば、どうしてそんな風に自ら突っかかって行くような真似をしたのか、自分でも上手く説明がつかない。自分から進んで他人の問題に関わろうとするなど、これまで考えた事すらなかった。
 だが、そうせずにはいられない何かが、確かにあったのだ。
 普段あまり表面には出さないが、自分が尊敬しているあの人。彼が絡んでいるから?
 それとも、強烈な個性を持つ風変わりな後輩が原因なのか。わからない。
 けれど予感は、あったように思う。

 ふたりで――行くのだと。

 あまりにも、漠然としている。
 あの二人を見て、なぜそんな事を考えたのか、自分でもわからない。だいたい、考えたその曖昧な言葉の意味すら、今の自分では考え付かないくらいだ。
ただ、自分なりの言葉にきちんと直してみれば、微妙に納得する事は出来る。ああいったふたりは、共に伸ばし合いながら高みを目指す事も、逆に、叩き潰し合う事もできるのだと。どちらに向かっていくのかは、それこそ当人同士の問題なのだが。
 他人の事など、放っておけばいい。そう思っていたのに。いや、今でもそう思うのに、自分は彼らに関わろうとしている。他人の事など、構っている場合ではない。自分の事で精一杯だ。けれどそれでも。
 彼らのあり方が、自分にも影響を及ぼしてしまうのだから、どうしようもない。
 彼らの存在はあまりに強すぎて、そばにいる自分はどうしてもそれに引っ張られてしまうのだ。それをわかっていながら気楽に傍観していられる他の人間達の方が、自分には理解できない。自分は他と違ってそこまで達観できていないのだとは、悔しいから考えたくもなかったが。
 だから、自分にすら影響を及ぼすような彼らに、どこかで一歩間違ったりしておかしな方向に進んで欲しくなかったのだと。そんな事になれば、己にもその余波が来てしまうのだから、とは――傍から見たとしたら、言い訳めいているのかもしれないが。




 ザリ、という音と共にその場に立った海堂の目の前には、リョーマの後ろ姿。
「おい、チビ」
「……」
「こらクソガキ」
「…………」
「そこの一年レギュラー!」
「……何スか、二年レギュラーの先輩」
 ようやっとの事で振り返ったリョーマの目は据わっている。海堂の第一声が相当に不本意だったのは一目瞭然である。
「用件は手短かにお願いするっスよ」
 用のない者はまったく寄せつけようとしない、いつも通りのリョーマの態度。何度やられてもムカツクが、今はそれを気に掛けている時ではない。
「おいガキ。貴様、部長惑わせてんじゃねーよ」
「……ハァ?」
 たっぷりの沈黙。
 あの海堂が口にするとも思えないような言葉に、本気で眉間に皺を寄せるリョーマ。
「あんた、何言ってんスか」
 いわれのない海堂の文句に言い返してみても、海堂はそれ以上何も言ってくる気配がない。
 惑わすって何。
 一体自分が何をしたというのだ、という疑問符だけが浮かぶ。
「意味わかんねえような曖昧な態度で部長惑わすだけなら、関わり合いになるんじゃねえって言ってんだよ」
 あんたの言ってる事の方が、よっぽど意味がわからない。
 そう思いながら、リョーマは注意深く海堂を観察してみたが。彼が何を考えてそんな言い掛かりをつけてくるのかわからない。
「何の事っスか」
「……シラきってんじゃねェ」
「……別に」
 何をどう見たのか、誰に何を言われたのかは知らないが。心当たりのない事でこんな中傷を受けるのは心外だ。
 ――が。
「ああ、そりゃあね。試合せがんだりストーキングしてみたりしたけど」
 どこまで本気なのかわからないような口調で、それだけを言う。もっともストーキングという言葉はリョーマ的には冗談の域だが、思い当たる事といえば、それくらいだ。まさか、その事で海堂はわざわざこんな事を言いに来たのだろうか。
「やってんじゃねェか……」
 そんな事を言われても、その事と海堂の言う事が、リョーマとしては繋げにくい。
 海堂は微妙に視線を外していて、その真意が読み取り辛い。何かもっと言いようはないのかと思うが、まるで海堂自身がそれを模索しているようにも見える。
 元々口の達者ではない海堂の事、上手い言い方が見つからなくて、思いあぐねつつリョーマと対峙しているのは事実なのだったが。
「とにかく何だか知らねーが、てめえが関わってる事で部長が戸惑ってんだよ」
「……」
 ……それで?
 沈黙のあとでリョーマが呟いた一言に、海堂はいささかキレかけた。が、今ここでリョーマの胸倉を掴みあげたところで、事態はなんら変わらない。そのくらいの判断力は、彼にもまだ残っていた。
 ――遠回りしていても、始まらない。
「はっきり言う。部長が揺れりゃあ、テニス部が揺れんだよ。てめえは明らかに部長にとって特別だ。そこんとこを人並みに理解して、付き合い方を考えろつってんだ」
 海堂が言わんとしている事。
 口下手な彼の言葉を最大限拾って考えるとすると、つまりは手塚が最近のリョーマとの関わり合いの事で何事か戸惑いを覚えていて、その原因を作っているリョーマに海堂が直々に意見しに来た、という事だろうか。
「ふーん……」
 リョーマは、その顔に人の悪い笑みを覗かせた。
「海堂先輩ってさ、実は人一倍まわりの事に気を配ってるんスねえ。一見誰より孤立してるように見えるのにネ」
 相も変わらず、遠慮のなさ過ぎるリョーマの物言い。
 海堂はこれでも、団体で行なう物事の意義というものを自分なりに考えている男だ。誰よりも強さに対して貧欲だからこそ、ひとりきりに見えてもちゃんと人の中にいる。そして本当は誰よりも、強さを求めるその心は純粋なのだと、リョーマは理解した。
「……ざけんな」
「否定も肯定も、ご自由にどーぞ。でもね、俺の事は俺の問題っスから。一応あんたの言葉も憶えておくけどね」
 この話はここで打ち切り、とでも言わんばかりに、リョーマは片手をヒラヒラと振った。
 海堂はそれに顔をしかめるが、プラリと歩き出したリョーマを追って行く事はない。
「……クソガキが」
 そんな悪態が、口をついて出るだけだった。




 惑わす――だって?
 部長が揺れればテニス部が揺れる?

 惑わされているのは――こっちだ。
 なるほど海堂は周りをよく見ているのだろうが、多少手塚の方に傾倒しているのだろう。彼はリョーマの変化には気付いていないらしかった。手塚のそばで、手塚を意識する時に微かに揺れている、リョーマの眼差しには。
 リョーマが純粋に強さを追った結果、手塚と関わりを持つ事になった。それはリョーマが手塚自身に興味を持つ充分なきっかけとなり、その興味を追求していくうちに。リョーマは実にすんなりと、手塚の懐の中にいたのだ。
 彼に対するこの感情をなんと呼ぶのか。そんな事は最初からわからなかった。しかし今はもっとわからない。手塚をひと目見た時から存在する得体の知れない心の渦に、翻弄されているのは自分の方だ。
 最初は。
 なんでこんな人間がいるんだろうと、思った。
 今は。
 なんで自分は、今までこの人に会わなかったんだろう、とさえ思っている。
 日本に戻り、青学に入学してテニス部で彼に出会ったのは、一番納得の行く言葉で表すとするなら、まさに成り行きだ。偶然とも、必然とも感じない。この出会いに運命を感じるか、と聞かれれば、わからないと答えるより他はない。考えた事がないからだ。運命云々を純粋に信じている訳でもない。
 けれど今、リョーマは思っている。
 自分は彼に、『出逢えた』のだ――と。
 これは一体、どういう事なんだろう?




「何をのんびりしている」
 手塚のそんな言葉に、言われても仕方のないくらいゆっくりと着替えをしていたリョーマは、ヒョイと振り返った。
「部長こそ」
「俺は部誌を書いている」
 そういう手塚は、すでにユニフォームから制服に着替え終えていて、部誌さえ書き上げればすぐにでも部室を出られる状態になっている。
「最近、疲れるんスよ」
「……随分ヤワになったな」
 らしくないリョーマの言葉に、手塚は彼と視線を合わせないままに呟いた。微かに嘆息したようにも見える。
「ていうか、あんたの事で海堂先輩には文句言われるし」
「海堂に?」
「そ」
 意外な人物の名に、手塚はオウム返しに聞き返した。あくまでその視線は部誌に向けられたままであったが。
「偶然だな。俺も不二に、お前の事で訳のわからない事を言われた」
「……へぇ」
 本人達の預り知らぬところで、ふたりの事は随分と周りに分析されているらしい。
 奇妙な沈黙。
「ねえ」
 少しだけ低くなったリョーマの呟きにも似た呼びかけに、手塚はその顔を上げた。

「俺って、あんたの何?」

 どうしてあんたは、そこにいるの?
 あんたはどこへ行くの。
 どうして、どうして――。

「その言葉、そっくりお返しする」
「……え?」
 本当に小さな手塚の呟きにリョーマは彼を凝視したが、手塚は再び俯いている。

 俺って、あんたの何?
 あんたって、俺の何なの――?

 わからない。何も。リョーマが、手塚がここにいる意味も、なぜその事で、こんなにも心が揺れ動くのかも。出会った事に意味なんてあるのか、そうでなければ、どうしてこんなにもお互いの存在が大きくなっているのか。そう、出会ってからの変化が大きすぎて、もうどうしていいのかわからない。リョーマにも、手塚にも。
 もう、彼のいない世界が、想像できない――。

『早く気付きなよ』
『付き合い方を考えろ』

 それぞれに投げかけられた言葉が、ふたりの胸を揺らめかせる。
「……なンか、すごくイラつく」
「……俺もだ」
 まるで仇同士のように斜にかまえた二人の間に、沈黙が落ちる。
 そうして二人は、長い事無言のままで視線をかわす事もなく、ただその場に佇んでいた。




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