UP20020130
TOP OF THE WORLD ― 2 情熱
ランキング戦でのリョーマの戦績は上々だった。 とてもつい最近まで小学生だったとは思えないようなセンスとそのパワーに、誰もが圧倒された。それだけではない。その幼さ故に、リョーマは一戦ごとに更なるパワーをつけて行き、その実力の伸びには限界がまるで見えない。そうして結局、青学テニス部のレギュラーという地位をその手にしてしまったのだ。 まるで奇蹟のようなその力を、手塚はただ見つめていた。 何故なんだろう。彼がいる場所のどこから、あの輝きは生まれてくるのだろう。 それを無理矢理何かに例えようとするなら、地面からとつとつとあふれ出てくる源泉のようなものだ。次から、次へと。 しかしそれだって、何も無いところから生まれる訳ではない。小さな水の流れが河を作り、河が海へと道を辿って空へと還り、雨となってまた地上へと降りてきた水を大地が貯えるように。必ず源となるものが、存在するものなのだ。 彼もその源を、抱えているのだろう。 「どう思う?」 手塚の側方で、不二がポツリと呟いた。 突然の言葉に視線を彼へと向けてみれば、その瞳はまっすぐにコートでラケットを振るうリョーマを捕らえている。 「確かに、実力はあるようだ」 それだけを返した手塚に、不二ははんなりと微笑む。 「明快な感想だねえ」 奇をてらった発言をこの手塚に期待していた訳ではないが、あまりにわかりやすいその一言に、不二は手塚らしさを感じて笑ってしまうのだ。 「まだまだ余裕、ってカンジだよね。彼」 この不二の言葉には何も反応を返さなかった手塚だが、それは手塚も考えていたことだ。 リョーマは、きわめて良好な循環の中にその身を置いている。 リョーマの圧倒的な強さは、それに食いつこうとする人間の力をも、限界まで引き出す役割を果たしている。リョーマと闘ったことで今までに無かった力をつけた人間も、すでに青学の中に存在するのだ。そしてリョーマは、そうやって引き出された相手の力を、また自分でも吸収しながら更なる力をつけて行く。 リョーマ自身だけでなく、際立つ実力に恵まれている他のメンバーが存在するからこそ、その循環は成立するのだ。周りがリョーマの力について行けないような人間ばかりであったなら、いくら彼だってそれを吸収して行くことは出来ない。 強い人間にも様々なタイプが存在するのだろうが、リョーマは確実にそうやって力をつけてきた筈だ。多分これからもそうやって、高みを目指して行くのだろう。 しかし、と思う。 不二の言った通り、リョーマにはまだまだ余裕があるように感じられる。彼に限界を感じないのは、この余裕のせいだ。発展途上であるのに常に完成形のように見えてしまうのも。おそらくその事を敏感に感じ取っているのは、青学テニス部の中でも一部の人間だけであろうが。 そう、完璧に見えるからこそ、彼が更なる強さを見せつけた時に周囲はそれに驚愕を覚えてしまうのだ。 強さに対して貧欲になりきれていない。 そんな風に、手塚は考えていた。 彼とそこで出会ったのは、本当に偶然だった。 まさにバッタリという言葉がふさわしく、出会い頭にぶつかりそうな勢いで真っ正面から向き合う手塚とリョーマ。さすがのリョーマも、一瞬目を見開いたようだ。 「驚いた。いつもここ使ってるんスか?」 そんな事を口走ってしまってから、ふと気付いたように「ドモ」とおざなりな挨拶を口にするリョーマ。実に一応、といった感じだが。 「いや、初めてだ」 そんな手塚の短い返事に、リョーマは「俺もっス」とこれまた短く返す。 市街地にある比較的大きなスポーツ用品店の店内。青学テニス部メンバー御用達のミツマルスポーツ用品店で用を足してしまうことの多い手塚だったが、たまたまこっちの方面に出てきた時にこの店を見つけたので、何となく今日立ち寄ってみただけなのだ。リョーマも初めて来たというのだから、恐ろしく低い確率の偶然だ。学校からは結構離れた場所なのだから、リョーマの自宅からも近くはない筈である。 「けっこうイイ品揃えっスよ。俺的には、だけど」 すでに店内を物色して廻ったのだろう、リョーマは満足したように店内を見回している。 手塚もざっと見回ったところだったが、それに関してはリョーマと同意見だった。シャツの一枚くらいは衝動買いしてもいいかもしれない。それにここは、登山用品も充実しているようだ。また今度じっくり見てみるのもいいかもしれない、と手塚は思った。 店を出た駐車場の一角にある自動販売機へと向かったリョーマは、手早い動作で小銭を投入して炭酸飲料のボタンを押し、出てきたそれのプルタブを引き上げながら備え付けのベンチにストンと腰を下ろした。屋外特有の砂埃を少々被ったそれにも、躊躇する様子は見せない。 手塚は一瞬、足を止めた。 ここでリョーマに付き合って、缶ジュースで一休みする理由はない。 が、逡巡する手塚に、リョーマの方から声を掛けてきた。 「ねえ部長。俺はいつあんたと対戦できるんスか?」 何気ない質問だったが、手塚は一瞬リョーマを凝視した。 その瞳は、至って真面目に手塚を捕らえている。 手塚とリョーマは、これまでに一度も試合という形式で相対したことはない。仮にも手塚は青学テニス部の部長という地位にいるのだから、きわめて有望株な新入生であるリョーマが対戦したいと思うのも道理なのだろうが、それをあらためて彼の口から聞かされたことに、手塚は微かな驚きを感じていた。 「試合をしたいのか?」 「だってあんた、強いんでしょ」 手塚の言葉に、さらりと返すリョーマ。そんな彼に、手塚は一言「さあな」とだけ答えた。 「ズルイっスね。俺のことはさんざん無遠慮に眺めてるくせに、自分の実力の方は隠したまんまって訳?」 イタズラっぽいリョーマの言葉にも、しかし手塚はピクリとも表情を変えない。 「強いかどうかは、自分で決めることじゃないだろう。周りがそうと認めた時に、その人間は強いと評価されるんじゃないのか」 「ふーん」 自分ではじめた話の割に、リョーマは気のなさそうな反応を見せる。 「じゃあ、俺なんかぜんぜんどっちだかわかんないって事っスよね。凄く強いとも言われるし、全然弱いって言う奴もいるし」 独り言のように呟くリョーマのその言葉には、手塚は少なからず驚愕を覚えた。この男を「全然弱い」などと評する人間がいるというのか。それは一体、どんな立場の人間だろう。 「強さなんて、曖昧なものって事っスね」 手塚の理屈をつきつめると、そういう事になる。手塚の実力を基準に考えたとして、それよりも弱い人間から見れば手塚は強いし、手塚よりも強い人間から見れば、彼は弱いのだろう。強さなどというものは、究極にはそんなものだ。だからそれを知っている人間は、誰よりも高い頂点を目指すのだ。 少なくとも、中学生のレベルで手塚の事を見下せる人間はそうそういないから、今いる環境の中では手塚は「強い」という事になるのだろうが、手塚はそれを自らの口で評するつもりはない。それに、例え今現在自分に及ばなくても、いずれ必ず追いついてくる末恐ろしい実力をハッキリと見せつけてくる人間だっている。 手塚にとってのリョーマがそうであるように。 「まあね、強いかどうかはこの際どうでもいいんス。俺は単に、あんたと戦いたい」 リョーマはあくまでまっすぐに、手塚を見つめる。 「挑戦的だな」 「ふつうっスよ」 とてもそうは見えないが。けれどあるいは、そうとも言えるのかもしれない。その辺にいる人間よりはよほど向上心があるように見えるし、実際にそうなのだろうが、本人のレベル的にはまだまだ思い入れが少ないように感じる。ただ飄々と、物事をこなしているだけのような。 「何故テニスをはじめた?」 咄嗟に、そんな言葉が出てしまった。 リョーマが一瞬目を見開いてしまったのを目にして、手塚自身もしまったと心の中で舌打ちしたが、無意識に出てしまった言葉だからどうしようもない。冷静に考えれば、部長が部員に動機を問うのは別段悪いことではないような気もするが、そんな事は余計なお世話のようにも思える。 けれど、確かに疑問に思ってしまったのだ。ただ何となくはじめたというには、彼のレベルはまったくそれに見合っていない。が、逆にまるでどうでもいいというような雰囲気も感じる。だからつい、その事が口から出てしまったのだ。 リョーマはリョーマで、質問された内容そのものよりも、手塚からのアプローチがあった事の方に驚いていたのだが。 「倒したい相手がテニスやってたんで」 それだけを、リョーマは呟いた。 その言葉には、さすがに手塚も驚いた。その倒したい相手というのが誰なのかはわからないが、これでもしその相手がレスリングでもやっていたとしたら、リョーマはそれに傾倒したのだろうか。しかしどちらにせよ、どんなジャンルに行ってもそれ相応の実力を発揮できるのは確かだろうと思える何かが、リョーマにはあるのだが。 もっとも、その相手と古くから付き合いがあるのだとしたら、おそらくは物心ついた時からそのジャンルに慣れ親しんでいたのだろうから、才能も開眼しやすいというものだが。 リョーマの実年齢とこれまでのテニスの実績を鑑みてみれば、なるほど納得は出来る。 けれどそうか、と思う。 だからリョーマには、何かが足りなかったのだ。 手塚がずっとリョーマに対して抱いていた疑問の答え。 テニスでなくとも良かったから、実力はあるのに最大限に極めたいという欲求が無い。打ち負かしたい相手はいるが、そうして身につけるべき力を自分の中に取り込んで、誰よりも強くなりたいという野心が、足りなかったのだ。 けれど逆のことも、手塚はずっと考えていた。多分リョーマ自身にその事を投げかけても軽くあしらわれてしまうような事だと思ってはいたが――。 多分、いや確実に、リョーマはテニスで生きて行く人間だと。 彼がこの道を選んだのは、そうなるべくしてそうなったのだと、手塚はいつも、そんな風に考えていた。その確信は手塚が最初にリョーマを見た時から手塚の中にあるもので、きっと間違いではない。 「ねえ」 しつこく、リョーマは手塚に呼びかける。一瞬で、手塚は我に返った。 「いつか、試合してくれんの?」 妙に食い下がるリョーマ。 その瞳に、手塚は本当に微かな揺らめきを感じた。 多分、そうだ。そうなのだ。 あるいは手塚の出方ひとつで――彼は変わる。 これまでの経験の中でもリョーマの心は変わることはなかったのだろうが、手塚なら。自分なら、絶対に、彼を変えられる。その自信が、手塚にはある。自分では気付いていないのだろうが、彼の中には絶対にあるのだ。 誰にも負けることの無い、強い強い――情熱。 それをこの目にしたいと、それを渇望する自分自身の激情に、手塚は自分で驚いた。 その情熱なのか、力そのものなのか、それともまったく別の何かなのか。具体的に、リョーマの何が、かは判らない。けれど彼の中に、手塚が求める何かが確実にある。 手塚自身が、知らず身震いをするような。 「ねえってば」 リョーマは相変わらず、手塚をまっすぐに見つめている。 その瞳の光に、奮い立つ自分を感じた。 「焦らなくとも、いずれ機会はあるだろう」 たしなめるような手塚の言葉に、リョーマは唇を尖らせた。 「ケチ」 相変わらず、とても先輩を相手にしているとは思えないようなリョーマの態度。そんな彼のあり方すら、手塚には心地良いものだった。 焦らなくとも。 そんな風に言った手塚の言葉は、本心ではない。きっと焦っているのは自分の方だ。リョーマに対して抱いていた不確かなものが、手塚の中で性急に形を成して行く。 「大人しく待っていろ」 そんな捨て台詞を残し。 そうして極秘に組んだ二人だけの試合で。 手塚は本当に、彼の思っていたように――リョーマを変えることになる。 |