UP20020406
Darling!! ― 8 「温泉ってーと、思い浮かぶのはたまごなんですが。」
手塚家の夜。 相変わらずリョーマは、広い湯船にどっぷりと浸かって御満悦だった。意味も無く、ミルク色のお湯を手に掬ってみたり。 そこへカラリと引き戸を開けて入ってきたのは、手塚だ。 「まさに、この世の春と言わんばかりの顔をしているな」 呆れたような表情で言われても、リョーマは気にもしない。 「いーでしょ。そのとーり、この世の春みたいに幸せなんだから」 手塚がリョーマの風呂好きを知ったのは、ひとつ屋根の下で一緒に暮らすようになってからの事だが、本当に、冗談抜きでリョーマは幸せそうだ。和食好きだったり寝るのが好きだったり、リョーマの趣味は、実は手塚よりもジジくさい。 コックをひねった手塚の手からシャワーを奪うと、リョーマは自分よりもひとまわり以上も大きなその身体に、勢い良く放出される湯の飛沫を浴びせかけた。 そのくすぐったいような感覚に、手塚は微かに眉をひそめる。 「明日になれば、嫌というほど風呂に入れるだろう」 そう、明日からは一泊二日の温泉旅行。 うれしハズカシ新婚旅行だ。 もっとも家族三人と一匹のオマケ付きではあるが。何気にオマケの方が人数が多いというのは、この際言いっこナシだ。 「ソレはソレ、コレはコレ。家には家の風呂の良さってモンがあるでしょーが」 それはそうかもしれないが。 考える手塚を尻目に、リョーマはザブンと派手な音をたてて湯船からあがると、ソープを付けたスポンジで手塚の腕からガッシガッシと擦りはじめた。 「でもね。浮かれてるよ、俺は。ねえ部長、新婚旅行って名目なんだからさ、思いっきりイチャイチャしていいって事だよね?」 そんなリョーマの台詞には、手塚は溜息をつくしかない。 「今だって充分しているだろうが」 「ま、そーなんだけどね」 とんだバカップルだ。 自覚があるだけに質が悪いというのは本人達が一番わかっているのだから、ここはやはりそっとしておいてやる方が良いのだろう。 電車を乗り継いで辿り着いたのは、日本の名湯草津だ。 鉄道の旅にしたのは、少しでも気分を出すためである。 風情のある温泉街をぶらりと歩きながら、手塚家の面々は一斉にリョーマを振り返った。 「おい越前」 「ねえリョーマさん」 「なあリョーマ君」 「ほれリョーちゃん」 ことリョーマの呼び名において、手塚家の人間は本当に息が合わない。 「「「「温泉たまごがある(ぞ)(わ)」」」」 しかしその後の台詞は、見事なまでに一致した。 指差された方を見てみれば、こぢんまりと湯の湧く場所に、いくつかたまごが浸してある。こうする事で、半熟のゆで卵が出来上がるのだ。 「食べてくかい」 団体の観光客に親切心が湧いたのか、個人で温泉たまごを作っていた地元のおばあさんが、それを全員にわけてくれた。 「アリガト」 熱いたまごの殻をぱりぱりと剥きはじめるリョーマの頭を、おばあさんはふわふわと撫でる。 「カワイイ子だねえ。家族旅行かいね」 手塚家の爺さんのみならず、老人にとってはリョーマは可愛く見えるものなのかもしれない。 新婚旅行である、という事はとりあえず伏せて、全員が黙ってうんうんと頷いた。 手塚とリョーマに関して言えば、傍から見て兄弟といっても支障は全然無い。リョーマあたりは、おそらく小学生に見えているのだろう。 国一はボソリと呟いた。 「なるほど、硫黄の匂いがするのは、温泉たまごのせいなんじゃのー」 チガウだろ。 この地の温泉の質が硫黄泉だからだとかいう事は、この際どうでも良い事なのかもしれないが。 家族5人で、もさもさと温泉たまごを食した後、あちこちの小さな店を物色して、家族は早速予約しておいた宿に入った。 リョーマの希望通りに、もちろん動物の同伴ができて、混浴風呂のある宿。家族用露天風呂まで備え付けてある豪華な旅館だ。家族用とはいっても、3人くらいは余裕で一緒に入浴できる。大浴場とは、やはりほんの少し趣が違うというものだ。 部屋に通されてから、リョーマはあたりの検分に忙しい。 「部長! 見て見て!」 小さな引き戸を開けてみれば、そこは小さなペット用浴場。ちゃんと天然温泉だ。リョーマは、ハウスから出したカルピンを抱き上げて、一緒にそこを覗き込んだ。 「あとで一緒に入ろ、カルピン」 「ホァラ」 そう言った後で、リョーマは自分の荷物をガサガサとあさり出す。 「何だ、越前」 「なんだ、じゃないでしょ。風呂行くんスよ、風呂。ここって24時間入れるんだって。凄いよね」 早。 それにしても、今時珍しくもない部分に、リョーマは妙な感心をしている。 そうこうしている間にも、タオルやら着替えやら、手早く目の前に並べて行くリョーマである。本当に楽しみにしていたらしい。 やれやれと思いながら、手塚も自主的に準備を始めた。どうせ引っ張られていくに決まっているのだ。夕食までは、まだ時間がある。 二人は連れだって、大浴場へと向かった。 パシャパシャと熱い湯に手を浸しながら、天然岩仕様の露天風呂に悦っているリョーマ。少し濁った湯にずぶずぶと身体を埋めて行きながら、漏れた言葉は「あ〜……」である。 ちっちゃな身体に、強大なジジくささ内包。 「部長も早く」 リョーマに半ば引っ張り込まれるように手塚も湯にその身体を沈めながら、思わずフゥ……と深い息をついてしまった。 どっちもどっちである。 「お湯の加減はどうかしら?」 真打ち(?)、彩菜登場。 今は他に誰もいないから良いものの、誰が入ってくるかわからない混浴風呂に堂々と入ってくるのだから、彼女の度胸もたいしたものだ。 手塚はただ、頭を抱える。 これでいいのか。父さんは何をやっているのだ。 ついつい視線がさまよってしまう。いくら母親とはいえ、女性である事に変わりはない。目のやり場に困ってしまうのも仕方のない事だろう。 平気で彩菜を招き入れる、リョーマの新妻モードが恐ろしい。 両手を組みあわせて水鉄砲遊びなどを始めた二人を尻目に、手塚はここからの脱出方法をひたすら考えていた。一糸まとわぬ、妻(爆笑)と母に囲まれているのである。のぼせるのも時間の問題だ。 ピスピスと水鉄砲の流れ弾をその顔面に受けても、気にしている心の余裕がない。というか、気付いていない。相変わらず、大した集中力だ(違)。 ふと視界の隅に、白いものを捕らえた。 入口に目を向けてみれば、それはそっとこちらを覗き込む、国一の白髪である。 「は、入ってもいいかの?」 顔半分だけを覗かせる、控えめな爺さん。 その微妙な笑顔からポロポロと零れ落ちるお花に、手塚は完全にその場に沈み込んだのだった。 ここで念を押しておくが、あくまでこれは新婚旅行である。 |
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