UP20020327

Darling!!  ― 6 「休日って、実はけっこう忙しい。」




 日曜日、早朝。――正確には、午前5時30分。

 ガチャ。
 国一が孫息子の部屋のドアを開くと、その無愛想な孫は、すでに普段着に着替えてそこにいた。
「ム……」
「おはようございます」
 無表情のままの挨拶に、国一も「おはよう」と返した。が、何気に目が泳いでいる。
「こんな朝早くに、何か用ですか」
「うむ、いや、休日といえど、たるんでいてはイカン。まだ寝呆けてはいないかと思ってな、そう、起こしに来たんじゃ!」
「今まで一度もそんな事をしに来た事はないでしょう。大体、俺は休日でも、お祖父さんに起こされた事はありません」
「ムムッ……」
 それはその通りだった。

 チィッ。この早起きさんめ。

 普段の厳しい教育方針はどこへやら、国一は心の中で悪態を吐いた。
 懐に隠した、超小型使い捨てカメラ。こいつで夫婦仲良くおねむな姿、を激写しちゃろう、などと考えていた事なんて、とてもこの孫には言えやしない。
 ……変な趣味の爺さんである。
 大体そんな写真を撮りたいのなら、早朝ではなく夜中にでも忍び込んでくれば良さそうなものだ。もっともそんな事をしたところで、この敏感な孫は、すぐに気配に気がついて目を覚ましてしまうのだろうが。

 国一は、ふと手塚の背後のベッドに視線を向けた。
 そこでは嫁であるリョーマが、未だにすやすやと寝息をたてている。
「嫁はまだ寝ているのか!?」
 言い訳のようにそんな事を言い放ちながら、そこに近付く国一。
 まだとても、リョーマが起き出す時間ではない。

 もっさりと膨らんだ掛け布団の中を覗き込めば、半ばうつ伏せたリョーマの罪のなさそうな寝顔。
 爺さん視界でどう映っているかはともかく、普段は目つきもきつく愛想の良くないリョーマも、寝顔だけは誰が見ても天使のようだ。いや、それも邪な著者のフィルターかもしれないが。
「……」
「お祖父さん?」
 その寝顔を覗き込んだ国一の目の前で、寝とぼけているリョーマは瞳を閉じたまま、ウニュ、と表情を動かしてふにゃんと笑った。
 ギロリと、国一はその姿を見下ろすように睨み付ける。

「……よいよいッ! 嫁などというものは、お寝坊さんなものじゃ!!」

 花咲き零れる爺さん。
 グワッと、眠るリョーマの身体をいだきしめようとする国一の首根っこを、手塚は反射神経のまま掴んで止めた。
 所用時間、およそ0.5秒。
「こりゃ、何をするか国光!!」
「お寝坊さんでいいなら起こさないで下さい!」
 年中無休で暴走する国一を押さえる事にも、いいかげん慣れてきた。
 この爺さんは、野放しにしておくと何をしでかすかわからない。
「リョーちゃんは手塚家の一員じゃ! ワシがいだきしめて何が悪い!!」
「本人の同意を得てからやって下さい!」
 いやまったくその通りであるが。
 手塚は、リョーマの足許で丸くなっているカルピンを両手で持ちあげた。
「そんなに構いたいなら、ひ孫でもあやしていて下さい」
 ズズイ、と、こちらも寝ぼけまなこのカルピンを国一の鼻先に突き出す。
 しかし国一は躊躇せずにカルピンを受け取ると、さも大事そうにギュウ、と抱きしめた。
「見たか見たか? カルぴー、お前の父さんは冷たいのう。あやつはリョーちゃんを独占したいだけなんじゃ。そうでもしなければ自信も何も持てない可哀相な奴なんじゃよ〜」
「ホァラ」
「お祖父さん!!」

 ひとつ部屋の中でやいのやいのと騒ぐふたりと一匹の横を、ひとつの影がスゥ、と通り抜けた。
 えっ、と反応したふたりの視界に映ったのは、彩菜だ。
 彩菜は無言のままベッドに近付くと、布団を被ったリョーマの身体を揺さぶった。
「リョーマさん、起きなさい」
「――……」
 何だかいつもと、様子が違う。
 いつも笑顔を絶やさない母の厳しい眼差しを、手塚は生まれて初めて見たような気さえする。
 そして、リョーマ。
 先程までの大騒ぎの中でついぞ目を覚ます事のなかったリョーマが、ちょっと彩菜がその身体を揺さぶっただけで、もそもそと起き上がったのだ。
「おはようございます、リョーマさん」
「……オハヨウゴザイマス」
「昨日の内に済ませておくように言っておいたお庭のお掃除は、一体どうしたのかしら?」
「……」
「それにこのお部屋」
 彩菜は、その人差し指でスッと窓のサンを撫でた。
「ああいやだ、真っ黒だわね。嫁であるあなたが主人と寝起きするお部屋が、どうでしょ。この程度のお掃除も満足にできなくて、手塚家の嫁が務まるのかしら?」
「か、母さん……!?」
 普段と打って変わった母の姿に、驚愕する手塚。
 大体リョーマがどうにかしなくても、指で撫でて埃がつくような部屋ではないはずだ。手塚は普段からキレイ好きなのである。
 しかしリョーマは俯いたまま「ごめんなさい」と小声で言った。
「お生まれは悪くないはずなのにね、ああ、それとも私の教育が良くないと、そういう風におっしゃりたいのかしら。ねえ、リョーマさん?」
「お義母さま、至らなくて申し訳ありません。でもこれからは一生懸命、やりますから……」
 リョーマは、涙目になった。
 さすがの手塚も、状況について行けなくて青くなる。
「あの、母さん!?」

 しかし彩菜は次の瞬間、にっこりと微笑んだ。

「凄いわリョーマさん、涙まで出せるのね」
「寝起きっスから……」
「もうリョーマさんたら、素敵なんだからvv」

 一体、何が起こった。

 手塚はまるで機械が首を回すように、ギリギリと音をたてそうな風情でリョーマの方へと視線を向けた。
「え、越前……?」
「? 何スか?」
「今のは……」
 なんだ、と言いたいが、どうにも声に出来ない。
「あァ……嫁と姑ごっこ」
 なんじゃそりゃあッ!!!
「私、憧れてたのよ〜〜vv こう、障子とかを指でスッと撫でるのね。これ、女の夢なのよ〜」
 ――そうか?
 というか、今何時だと思っているのだ。

 いつの間にか出来あがっていた嫁と姑の妙な連帯感に、手塚はがくりと肩を落とした。
「面白い遊びをしとるのォ〜」
 感心するな、爺さん。
「という訳で国光、はいこれ。ちゃんと見ておいてね」
 いつも通りのにこやかな表情に戻った彩菜は、手塚に大量のチラシのようなものを手渡した。
 手塚の表情が、一瞬にして強張る。
「……本気だったんですか」
「あら、冗談だとでも思っていたの?」
 それは、全国の旅行案内パンフレット。
「あまり時間が取れないと言っていたから、国内にしておいたわ。好きな所を選んでね」
「……」
 ――そう、うれし恥ずかし新婚旅行である。
 2、3日前にこの話を出された時、手塚は本気で冗談だと思っていた。というか、出来ればそう思っていたかっただけなのかもしれないが。
「嫁を旅行にも連れて行ってやれんでどうする!」
「そうそう、男の甲斐性よ、国光」
「部長、俺、パンフ見る見る!!」
「……」
 はああああああ。
 手塚は、早朝にしてこの日何度目かの、盛大な溜息をついた。
 みんな楽しそうだ。いっそ涙が出そうなくらい楽しそうだ。
 でもここで泣いたら負け犬だ。我慢しよう。

 こうして、手塚家の賑やかな休日は、唐突に始まるのである。




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