UP20021102

Darling!!  ― 13 「本日の、心の天気予報!」




「あれえ?」
 いつもの如くにテニス部の朝練に顔を出した不二は、その中に見知った顔がひとつ足りない事に気付いた。
「越前君、いないね?」
 そう。そこにはリョーマの姿がないのだ。手塚と共に登校するようになってから遅刻のなくなった彼が、今日はまだ姿を見せていない。
 いつも一緒にいるはずの手塚はというと、すでにジャージに着替えてコートへと出向いてきていた。
「手塚、越前君はどうしたの」
 不二の問いかけに、手塚は視線だけを向けて一言返した。
「今日は休みだ」
 へえ、と不二はその口許に人差し指をあてて考え込む。
「どしたの。オメデタ?」
「そうだ」
「……えッ?」
 不二はうっかり開眼してしまった。
「冗談だ。風邪らしい。部活だけじゃなく学校自体休みだ」
 不二の目が、再びゆるゆると細められる。
「手塚の冗談って笑えない……」
 この鉄面皮は、あくまで無表情のままこんな冗談を言ってのける。というか、今までこんな事はなかったのだが……やはり愛は手塚をも変えるか。
 しかし。
「あの越前君が、風邪ねえ」
 鬼の霍乱。いや、それは言葉が違う気がする。しかし風邪などというものには無縁のように見える健康優良児の後輩なのに。
「昨夜忙しかったからちょっと放っておいたら、風呂上がりのまま自分の部屋でゲームをやっていたらしい。真夜中までだ」
 手塚は、いかにも不本意とでも言いたげに呟いた。
 リョーマもリョーマだが、自分の監督が甘かったと思っているのかもしれない。憮然とした表情を隠そうともしない。
 ――なるほど、今日の手塚は、表情豊かに不機嫌だ。
「そうか、心配だね」
「自業自得だ」
 あくまで厳しい事を言い放つ情緒不安定な手塚に、不二は密かな失笑を禁じ得ないのだった。


 陽も大分暮れて、あたりが夕闇に包まれる頃。
 それまで昏々と眠り込んでいたリョーマは、ふいにパッカリと瞼を開いた。
「……?」
 自分はどうしたんだっけ、とぼんやりと考えを巡らせる。
 そうだ、数年ぶりに風邪なんかひいて、学校休んだんだった。
「――!!!」
 そこまで思考が至ってから、あまりに見慣れた景色に仰天して、リョーマはガバリと飛び起きた。
「ここ、どこ!?」
 そう、ここはリョーマの部屋、である。
 手塚家ではなく、越前家の。
 なんで。どうして自分はここにいる?
 まさか今までの事がすべて夢だったのではないかなどというところまで考えを及ばせて、リョーマはベッドから飛び降りた。
 手塚との事も、あの家にあるはずの自分の空間も。
「部長!?」
 ふらつく足取りで、リョーマはドタドタと階段を駆け降りる。
 居間にいた菜々子が、目を見開いた表情でそんな彼を迎えた。
「リョーマさん? もう大丈夫なの?」
「ねえ、部長は!?」
「ぶ、部長って……」
 手塚君の事よね、と菜々子が考えたところで、タイミング良く玄関の外から声がかかった。
 ――手塚だ。
「こんばんは」
「部長!」
 突然スパーンと開け放たれた玄関の戸に手塚が驚く暇もなく、リョーマがそこから飛び出した。
「越前?」
「部長! 今までどこで何やってたのさ!」
 どこで何をと言われても。普通に学校に行って、今まで部活に参加していただけの事だ。至って普段通りに。
 こんなに息を切らせて、何をそんなに切羽詰まっているのだ。
「何で俺、この家にいるの!」
 なんでって。
「お前、憶えていないのか? 今日はじいさんも仕事だし、母さんも出かけるし、父さんも出張中だからこっちで寝てろと朝言っただろう。越前の家の方から迎えを出してもらうからって」
 部活が終わったら迎えに来るという事も、ちゃんと言っておいた。その時間違いなく、リョーマは頷いたはずだ。しかし本人はまるで覚えていないらしい。確かにリョーマが実家に連れてこられたのは、彼が眠りこけているうちに、だったのだが。
「病人をおどかさないでよ!」
「病人になったのは、自分のせいだろう」
「俺じゃないよ、部長のせいだよ! 俺の事、放っておいたでしょーが」
「そんな理屈があるか!」
 心配で情緒不安定になっている者と、病気で気分が昂ぶっている者同士、いきなり玄関先でケンカをおっぱじめてしまう。
「俺、帰る」
「ちょっと待て!」
 ぷいとそっぽを向いていきなりスタスタと歩き出すリョーマの身体を、手塚は片手で押し留めた。パジャマを着たままで、外をフラ付こうというのか。
「せめて着替えてからにしろ」
「……」
 無言で手塚を睨み付けるリョーマは、一言もないまま踵を返して玄関を戻り、階段を駆け上がった。
 大した病人だ。
 手塚は静かに、溜息をついた。


 家に辿り着くまで、双方無言。
 傍から見れば怖い光景だが、この二人の場合は普段からこんな場面も少なくはないから、さして特別な現象でもない。が、やはり和やかとは言えない雰囲気か。

「おかえりー!」

 そんな雰囲気をなぎ払う元気な迎えの声に、二人は目を見張った。
「不二先輩?」
 リョーマの呟き。
 そこにいたのは、貼りつけたような笑顔を崩さない不二周助その人である。
「何故ここにいるんだ」
 手塚の眉間の皺が、自然深くなる。
 母親がもう帰っているだろうとは思っていたが、この男の存在はさすがに予想外だ。何をたくらんでいるのか。
「国光ったら。せっかく不二君がリョーマさんのお見舞いに来てくれたのに、失礼でしょう」
 彩菜がキッチンから顔を出す。
「いや、越前君がオメデタだって聞いたからさあ、これはお祝いをしなきゃと思って駆けつけたんだけど」
 ――余計な事を!!
「オメデタ?」
 リョーマの目が据わる。
「誰がそんな事言ったんです」
「手塚vv」
 冗談だと言っただろうが……。
 いや、この男が本気に取っているはずはないが。何がしか嫌がらせをしなければ気が済まないのか、この魔王は。
「オメデタ……。ふーん」
 リョーマが、手塚を仰ぎ見る。
「何馬鹿な事言ってんのさ! ここ最近、忙しい忙しいって、オメデタになるような事もしてくれてないでしょーが!!!」
「越前……ッ!」
「あらあらリョーマさん、事に及んですぐには、発覚はしにくいわよ」
 彩菜さん、そういう問題ではありません。
「あははは。最近ご無沙汰なんだねえ」
「不二!!」
 もう無茶苦茶だ。
「どーせ部長は、俺なんかよりも部の事とか予算の事とか勉強の方が大事なんだろ!」
 ぷち。
 リョーマの叫びに、手塚は静かに切れてしまった。
「なら文字どおり、足腰立たなくしてやれば満足か……」
 身体を震わせる手塚の顔も怖いが、台詞はもっと怖い。
 人前でとんでもない事を口走っているという自覚は、今の彼にはない。
「望むトコロでーす」
「覚悟しておけ……」
「部長こそ、骨抜きにしてやるからね」
「その言葉、後悔させてやる」
 暗雲立ち込める二人の間に火花が散るが、会話自体は激ラブ夫婦のそれだ。もうどうして良いやら、書いている人にもわからない。
「あらあら、それじゃあ私は早く寝る事にするわね」
「あははは、頑張ってね〜」
 呑気な二人が、エールを贈る。
 本日の天気予報。
 風邪で休養、のちにケンカ、夜半過ぎにラブラブになるでしょう。
 ともあれ、長い夜になりそうだ……。


 結局のところ。
 翌日、リョーマに思い切り風邪をうつされた手塚は、きっちりと学校を休んだ。
 そしてそのお陰でケロリと元気になってしまったはずのリョーマも、同様に二日目の休みに突入してしまっている。原因は、足腰が立たなくなってしまったから……だという事は、不二のみぞ知る事実であったが。

 ひどく面白そうにほくそ笑む魔王のひとり勝ちである……と言ってしまって良いのかは、かなり謎であるのだったが――。



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