UP20011022
青学メモリアル:5 結成デバガメ隊! 1
ガラリと、景気の良い音と共に3年1組の教室のドアが開かれた。 「手塚先輩、います?」 入口に佇んでその名を呼んだ一年生の姿。そのぶしつけとも取れる態度に、しかし教室に残っていた数人の生徒は特に機嫌を損ねる様子もなく、その後輩と教室の奥を交互に見比べた。すでに、こんな光景は慣れっこであるらしい。 「ここだ。入ってこい、越前」 数人の視線の先、自分の席でリョーマを待っていたらしい手塚は、立ち上がる事もなく彼を手招きした。 当たり前のように上級生の教室へと足を踏み入れるリョーマ。その手には、母が持たせてくれたのであろう昼食用の弁当箱が携えられている。 今日は土曜日。 午前の授業が終われば放課後という日に、リョーマは時々手塚と一緒に昼食をとる。 だから、3年1組ではこの光景が珍しいものではなくなっているのだ。同学年の間でも一目置かれている手塚と、その彼が気を許している後輩であるから、最上級生の間でも文句が出る事はない。 「ねえ部長、見て見て」 向かい合って弁当を広げた食事の場で、リョーマは制服のポケットから一枚のチケットのようなものを取り出した。 「何だ」 手塚はそれを凝視する。そこには派手な飾り文字で『リトル・トリックタウン』と印刷されている。 「何だか、新しい屋内アミューズメントパークみたいなのができたらしいっス。いろんなゲームとか遊びがあるんだって。これ、うちのオヤジがもらってきたペアのタダ券」 「……それで?」 嫌な予感に、顔をしかめる手塚。 しかし、リョーマはそんな彼の様子に頓着せずににっこりと笑う。 「明日、オフでしょ?」 「嫌だ」 「まだ何も言ってないっス」 「だめだ」 「何でさー?」 取りつく島もない手塚の拒否反応に、リョーマはふっくりと頬を膨らませる。 「俺と出掛けたくないってゆーんスか!?」 「お前とが嫌なんじゃない。場所が嫌だと言っているんだ」 アミューズメント施設などという場所に手塚を誘うリョーマもリョーマだが、せっかくの誘いを歯に衣着せぬ勢いできっぱり嫌だと言い張る手塚もたいがいな性格だ。 「だって、数少ない部活オフの日っスよ!? せっかくタダで行けるんス! いいじゃん、そのくらい一緒に行ってくれても!」 「そういう場所には桃城か菊丸か、そうでもなければ同級生を誘えば良いだろう」 手塚の言葉に、リョーマは辛抱堪らんといった風情で立ち上がった。ガタンと派手な音をたてながら椅子が弾かれる。 「何言ってんの!? こんなカップルばっかり来るような場所に、何で俺が部長以外の人と行かなきゃならないんスかッ!」 教室中に響くような大声で、フォローのしようのない事を叫ぶリョーマの口を塞ぎかけた手塚だが、無用のオーバーアクションを避けようと、かろうじて思い留まった。 連れてってやれよー、などと教室のどこかから掛けられる軽い調子のひやかしに、きつい一瞥をくれながら頭を抱えてしまう。 まったく、この男は……。 「ふーん、へーえ。あ、そう。どーせ部長は、俺がこんなにお願いしても全然きいてなんかくれないんスよね。それも、俺が他の誰かとデートみたいな事してもイイとまで言うんだ。その程度なんだよね。どーせ俺なんて……俺なんて……」 リョーマは再びストンと椅子に座り込むと、膝を立ててそこに顔を埋めてしまった。 クスン、と鼻を啜る。 「手塚が後輩泣かせてる〜」 再び掛けられるからかいの声に、手塚はピクリと反応するが無視を決め込んだ。 「嘘泣きはよせ」 「……チッ」 憮然としたままの手塚の声に、リョーマはしかめっ面をひょいと上げた。 ハア、と、手塚は深いため息を洩らす。 おおよそ、こういう事で泣くなどという行為には程遠いところにいる男が何をやっているんだと呆れ返る。 しかし、だ。 わかっている。 裏を返せば、普段人前では不遜な態度を崩そうとしない彼が、バカバカしい嘘泣きをしてまで行きたい、という事なのだ。 まったく、どうしようもない。 どうしようもなく……彼に甘い。 「……わかった」 ややあって、呟くように吐き出された手塚の言葉に、リョーマの表情がぱっと明るくなった。 「行く!?」 「ああ」 覚悟を決めて、頷く。 「ホントに!?」 「ああ」 「ドタキャンなしっスよ」 「しつこい」 「だから、部長スキ」 「……!」 ついでのように囁かれた言葉に、声をなくしてしまう手塚。 目の前に、極上のリョーマの笑顔があったからかもしれない。 ――それほどまでに嬉しいものだろうか。 確かに、ふたりで丸一日出掛ける機会などそうそうはないのだが。 まあ、いいか……。 リョーマが嬉しそうにしているのを見るのは、手塚も気分がいい。もっとも、だからといってそう頻繁にこんな誘いをされても困るが。冗談でなく、本当にそういう場所は苦手なのだ。 「とにかく、さっさと食え」 「はーい」 上機嫌に、良い返事。 「寝坊するなよ」 前科のあるリョーマに、手塚はきっちりと釘をさす。 「大丈夫っス」 「起こしてやらないぞ」 「しませんてば」 「よし」 そして完全に食事モードに入ってしまったふたりの視界には。 必死になって笑いをこらえている周囲の光景はまるで入っていなかった。 同時刻、3年6組。 「ねー、不二、行こうよォ」 「えぇ〜……」 向かい合って弁当をつつき合う不二と菊丸。 不二の弁当箱からブロッコリーを奪いながら、菊丸はズイ、と身を乗り出した。 「いいっしょ?」 「だって、英二と行くと賑やかで大変なんだもん」 菊丸の提案にはまったく興味のなさそうな表情で、不二は菊丸のウインナをさっさと口に入れる。 「あッ、残しといたのに。……だって不二、これすっごく楽しそうじゃん。せっかくの休みなんだよー? たまには遊びに行こうよー」 菊丸がヒラヒラと振ってみせているのは、かの『リトル・トリックタウン』のチケット。ただし、こちらは割引券である。 「だって、お金かかるじゃない。ボク、今月ちょっときついんだよなぁ」 「不二〜」 眉根を寄せたお願いモードで見つめてくる菊丸の視線を斜に受け流しながら、不二は弁当の残りをテンポ良く腹の中に収める。 「どうしようかなー? 混んでるだろうしなぁ」 わざと焦らして菊丸イジメを楽しんでいた不二だが、その視界の端に人影を見つけて、おや、とそこを見つめる。 「不二、菊丸」 声を掛けながら教室に入ってきたのは、乾だ。 「どうしたのさ?」 不思議そうな表情の不二に答えようとして、乾は菊丸の手に握られているチケットに目を光らせた。 「あれまあ。タイムリーなものを」 「なん? そう、乾きいてよ。不二がいくら誘っても一緒に行ってくれないんだよぉ」 菊丸の大袈裟な涙目に、乾は不二へと視線を向ける。 「大丈夫、不二はきっと一緒に行ってくれるぞ。ついでに俺も行ってやろう」 「ちょっと、乾……」 一方的な決定に反論しようとする不二に、乾は気味の悪い微笑みを見せた。 「今、1組で面白〜い話を聞きかじってきたぞ」 あまりの人の多さに、手塚は閉口していた。 ある程度の人ごみには慣れているつもりだったが、遊戯場のそれは一種異様なものがある。新しい施設らしく派手な装飾を施された会場内に溢れんばかりの人の群は、まさにひと山いくらといった風情だ。 「おい、越前……」 ギュウギュウと押されるほどではないが、行き交う他人との接触を避けるように縮こまっているリョーマを見下ろすと、さすがに少々おののくように手塚の袖をつまんでいる彼は、ため息をついて手塚を見上げた。 「さすがに、混んでるっスね」 「チケットをよこせ。それから、そんな処を握っていなくていいから掴まってろ。はぐれるぞ」 人の柱の中でうっかりこのおチビさんと離れてしまったら、見つけるのは容易ではない。 さすがに口に出しては言わないが、名前入りの旗か風船でも持たせておきたい気分だ。 手塚がツイと肘を差し出すと、リョーマは躊躇なくそこに腕を回してくる。どうやら自覚はしているらしい。 「お兄さんとはぐれないようにね」 ゲートでチケットを受け取りながら微笑む受付の女性に、リョーマはついと頭を傾がせた。 「ドモ」 傍目に映るこのコンビは、どう見ても仲の良い兄弟。その年齢差は大目に見ても大学生と小学生といったカンジなのだろう。二人の年齢を如実に表現してくれる学生服を、今日は着用していない。 「怒らないのか?」 からかいまじりの口調で自分を見下ろす手塚に、リョーマは本気で首を傾げる。 「何で? 子供に見られたって別に構わないスよ。事実ちょっと前まで小学生だったんだし」 大人から見て小学生も中学生も大差ない子供だという事実はさて置き、リョーマは妙に勝ち誇ったように笑う。 「公然と部長に張り付いてられるって事だしね」 そう言って、リョーマは手塚の腕に身体全体で纏わりついた。 見た目の幼さは、利用できるうちに利用しておくべきだと考えているのかもしれない。こういう処で背伸びをしたがらないあたり、リョーマは精神的に大人だった。そして確かに、今のこの状況ではリョーマのこの妙に達観した考え方が手塚を安堵させている。少なくとも、これではぐれる事はないだろう。 「あぁ〜、手塚とおチビ、腕組んでる。何かいいな、いいなー」 二人の後方、乾の陰からコンビの様子をうかがっていた菊丸が羨ましそうに呟いた。 「えーじ、呑気な事言ってないで、君もちゃんと乾に掴まってなよ!」 自分も菊丸の服の裾を握り締めながら、不二ははしゃぎがちな菊丸を抑した。本当に、予想以上に人が多い。 「いいじゃんか、ちょっとくらい〜。何だよ不二ってば、来ないって言ってたくせに」 「あれ、そんな事言ったかなー? とにかく、ふたりを見失わないでよ」 「まあまあ」 菊丸と不二のやりとりに乾が苦笑する。 あの時の乾の報告を受けて、コロリと態度を翻した不二を含めた三人組。にわかに結成されたデバガメ部隊は、嬉々として手塚達を追うも、やはりあまりの人の多さにだんご状態になっていた。 しかし遊びに来たいと言っていた菊丸ですら、それよりも目の前のふたりを追う事に全意識を集中している。 「どんなデートするのかな〜。手塚とおチビ」 「何せ、あの手塚と越前君だからねえ」 おおよそ感心できない覗きを決行しながら、妙な期待に胸膨らます不二と菊丸。休日の二人の行方を事前に知れる機会などそうそうはないのだから、嫌でもテンションはあがるというものだ。 「おいおい、どんな事になっても、後でふたりをからかったりするなよ。覗きがバレるからな」 「わかってるよ〜」 乾の言葉に不本意ながら同意を示す二人。 本当は、それを一番やりたいんだけど。この場合は仕方ない、と密かにため息をつく。 本当に純粋に、悪意はないがイタズラ心だけは旺盛な連中だった。 |