UP20020101

行く年と来る年と




 手塚がリョーマからの電話を取ったのは、12月31日、大晦日の夜も大分更けた頃だった。ちょうど、八時をまわったあたりだろうか。
『部長、今から初詣に来ません?』
「初詣?」
 ふと時計に視線を向ける手塚。タイミング的にはまあ悪くない時間かと思う。けれど、リョーマは今『来ません?』と言ったか。
『穴場があるっスよ。うちの裏の寺。ただ鐘を撞くだけだから、近所の人が甘酒飲みに来る程度だとか言ってたし』
 なるほどそういう事か。しかし。
「まさか、門松作るのを手伝わせるつもりじゃないだろうな」
『……何でわかったんスか』
 ……。
 本当に純粋に、思いつきだけで言ってみただけなのだが。
 まだ作っていなかったのか。
 たしか、クリスマスにツリーとして使った松の木で門松も作るだのと言っていたような気がするが。
『なんか親父がね、部長の手を凄く期待してるみたいだから。本人はお袋に引きずられてだけど、寺の方に行かなきゃならないし』
 鐘を撞くのなんか面倒くさいと、嫌がっている姿が目に浮かぶようだ。
「……わかった。すぐに出るから待ってろ」
 やれやれといった体で手塚が言うと、電話の向こうのリョーマの喜色が、雰囲気で伝わってくる。
『あのね、あのね部長。手伝ってもらいたいだけじゃ、ないからね』
 妙に浮かんだリョーマの声に、苦笑してしまう。
 何かと口実を付けても、ただ会いたいというのは、もうお互い様だ。たかだか一日をまたぐだけの話かもしれないが、それでも新しい年を一緒に迎えられるのは、手塚だって嬉しい。
 早く来てよ、と言うリョーマの言葉で受話器を置くと、手塚は気味が悪いくらいに軽い身のこなしで、出掛ける準備をはじめた。



「これを結わえるから、押さえろ」
 手塚の言葉に、リョーマは素直に従う。
 年が明けるまで数時間という夜に、まさか門松作りで汗を流す事になるとは思わなかった。
 しかし越前家に来てみれば、すでに材料はほぼ揃っていて、ほとんど組み上げれば良い状態になっていたのだ。今更手塚の手を必要とする作業でもないような気がする。まさか、その辺の組み合わせのセンスを手塚に期待していたという事なのだろうか。
 それとも、あの父親は。
 無用のチャンスを作ってくれたという事だろうか?
 こんな事でまで"貸しを作った"などと後から言われたらと思うと、ちょっとやるせなくもなってくる。おそらく考えすぎではあるまい。なにしろ、仲睦まじい息子達の盗撮写真を仲間にばら撒いてくれたお人だ。想像に難くない大騒ぎは、未だ記憶に新しい。
 すでに南次郎の中では、手塚は遊び甲斐のある息子婿なのだ。

 菜々子が、ひょっこりと顔を出した。
「お疲れ様です。ごめんなさいね、クリスマスにも来ていただいたのに」
 これが終わったらゆっくりして下さいね、と笑う菜々子に、手塚は会釈で答えた。
「でもね」
 菜々子は珍しく手塚へと近寄ると、ご機嫌な様子で座り込んだ。
「おじ様の事、怒らないで下さいね。あれで、リョーマさんの事可愛くて仕方ないんですよ」
「ちょっと……」
 何を言い出すんだと割って入ろうとするリョーマにかまわず、菜々子はフルフルと掌を上下に振る。心底愉快そうだ。
「リョーマさんが機嫌の良い時って、おじ様もご機嫌なんですよ。それなのにリョーマさんって手塚君が絡むと浮いたり沈んだりが激しくて、もーおじ様ってばその落差に辟易してたみたいで、それで手塚君を上手く使おう、なんて考えたみたいですよ」
 何言ってんの、とリョーマに身体を張って止められて、菜々子はようやく話すのをやめ、しかし笑いをこらえるように肩を震わせた。
 気を悪くしないでね、という言葉にも、手塚は曖昧に頷くしかなかったが。
 こんな物言いがイヤミにならないのもこの女性の特徴かもしれない。

 ……しかし、そんな風に自分が越前家で扱われていたとは。
 とりあえず方向はどうであれ、一応は気に入られているという事だろう。



 そろそろ年も明けるという頃、組み上げた門松をようやっと門前に並べて。
 その足で、二人は裏手の寺の境内へと向かった。
「さっき菜々子さんが言った事、忘れてよ」
「なんでだ?」
 心持ち膨れたリョーマの呟きに、手塚は何事もないというように返す。
「なんでって……部長、怒ってない?」
「どうして怒るんだ」
「だって……」
 まるでリョーマのために手塚を利用しているといわんばかりの。
「彼女はそんなつもりで言ったんじゃないだろう?」
「そうだけど」
「少なくとも、悪い気分ではないな。おまえが俺の知らないところでも、俺の事で怒ったり笑ったりするのは」
 リョーマは、キョトンと手塚を見上げた。
「……ホント?」
「ああ」
 手塚の言葉に、リョーマは微笑んでその腕に纏わり付いた。
 いつも、毎日。手塚のために胸の内の変化が忙しくて仕方がないけれど、それを手塚は喜んでくれるのだ。
 手塚の方はどうなんだろうな、と思う。
 彼も、リョーマの事であれやこれやと思いあぐねたりしているのだろうか。リョーマの知らないところで。
 聞いてみたいような衝動に駆られるが、意地悪なこの先輩は、そうそう素直には答えてくれないような気もする。ここは、きっとそうなんだと思って愉快な気分でいた方が良い。きっとそれは、あながち間違った想像でもないだろうから。



 数人の客に甘酒を振舞うリョーマの母親にあわただしく挨拶を済ませて。
 陽気に鐘を撞く南次郎の視界から身を隠すように、ふたりは境内の隅で身を寄せた。
「もうすぐ、年が明けるよ」
「ああ」
 リョーマは、トコトコとそばにあった切り株に歩み寄り、手塚を手招きした。小さなそれに器用に乗り、手塚の首に両手を絡める。これで、丁度良い身長差になるのだ。
「部長」
 小さな声で手塚を呼ぶリョーマの瞳は、頭上で橙色に輝く灯りに照らされて、いつもよりも深い黒曜石の光を放っていて。

 誘われるままに、手塚はリョーマの口唇に、自分のそれを押し当てた。

 重ねたまま、幾度か角度を変え、少しずつ交わりを深くして。
 そんな静かな手塚の行為に。
 小さく漏れるリョーマの声は、何度か鳴り響いた鐘の音に掻き消された。

 長い事、お互いの口唇を塞ぎ合ったあと。
 ふと何かの変化がもたらされた空気の中で、ゆっくりと口唇を離した。
 行く年の最後の、そして、迎える年の最初のキス。

「明けたね」
「ああ」
「やってみたかったんだ。二年越しのキス」
「馬鹿」
 ピョンと切り株から飛び降りて、リョーマは再び手塚に纏わりつく。
 今年も、二人は変わらず一緒にいる。
 今のは、きっとそんな、誓いのキスだった。
「お参りしようよ」
 お決まりの手順といった感じで、リョーマは年の明けた境内を先に進んだ。手塚も、それにゆっくりとついて行く。
「部長、何かお祈りすんの?」
「……さあな」
 振り向くリョーマの笑顔に、何となく返事をしてしまったけれど。
 正直、少し困った。
 何を願えば良いのやら。
 別に祈らなくてもテニスは続けるし、きっと今よりも強くなる。そしてやはり祈らなくても、リョーマとはこれからも一緒にいるだろう。
「俺達の考えてる事、一緒かな」
 手塚の胸の内を悟ったような、リョーマの言葉。
 多分、リョーマも手塚も。
 己が、己に願うままに。

 せいぜい神や仏に祈るとするならば。
 世界人類が平和であるように――といったところか。

「あ」
 先程の切り株を思い出して、リョーマは小さく声をたてた。
「早く背が伸びるように」
 何かに乗ったりしなくても、自然な形で手塚と釣り合うくらいには。
 そんなリョーマに、手塚は思わず吹き出しそうになったが、かろうじて持ちこたえた。ここで笑っては、リョーマの機嫌は急降下だろう。
「それこそ努力次第じゃないのか」
「努力はしてるっス。駄目押しだもん」
 駄目押しときたか。
 本気で笑いかけた手塚だが、リョーマにドンと胸を押されて再び思い留まった。笑いをこらえる自分など、彼に会うまでは想像だにしなかったものだが。

「とりあえず、今年もよろしく」
 本当についでとでもいうように、リョーマは笑って言った。
「ああ」
 手塚も短い返事をして。

 しっかりと手を取り合った完全無敵の二人は、世界平和と縦の成長を祈るために、朱に燃え立つかがり火の中をゆっくりと歩いて行くのだった。




END





●あとがき●
やってらんねえ……(笑)。
う〜ん、バカップルin越前家シリーズ三部作、みたいになってしまいました。咄嗟の思いつきで、正味三時間くらいで書き上げたお話なので、笑って許してやって下さい(汗)。
そんな訳で、明けましておめでとうございます、です。



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