UP20011224
アメイジング・グレース
Home Sweet Home そこが 最後に帰れる場所 時にはふたりで どこか遠くへ出掛けてみたり つまらない から騒ぎをしてみたり いつでも どこに行くのでも あなたと一緒にいたいけど 本当は 本当は何よりも ――何よりも 僕がいつでも帰れる場所が たったひとりのあなたであればと 小さいようで 大きな願い これもひとつの 祈りでしょうか ズイ、と目の前に突き出されたのは、スポーツ用品店の、大きな紙袋。 これが、プレゼントという事らしい。 「部長?」 これは何? とでも言うかのような視線を、手塚に投げかけるリョーマ。 「開ければわかる」 ひとこと。 それはそうだけど、と苦笑しながら差し出されたそれを受けとって、リョーマは袋の中を覗き込んだ。外見はただの紙袋だけれど、その中にはちゃんとキレイに包装されたプレゼントが顔を覗かせている。 「ありがと」 それだけ言って、リョーマは手塚を背後の玄関へと促した。 リョーマの誕生日は二人で、と、事前に交わした約束通りに、手塚はリョーマへのプレゼントを引っ下げて越前家を訪れた訳だが、今日はどこかへ出掛けようという計画は、実は特にない。それでなくとも冬の寒空の下、どこへ出掛けても混み合っているし。たまにはのんびり過ごすのも良いと、二人の暗黙の了解。 こんな事で意気投合してしまう中学生というのも、あまり健康的ではないように思えてしまうが、普段が健康的すぎるくらいの日常なのだから別にいい。 とりあえず、自分の部屋に手塚を招き入れ。 母と菜々子が焼いてくれたバースデーケーキを前にして、リョーマはあらためて手塚からのプレゼントを覗き込んだ。 「開けていいっスか?」 「いいぞ」 ムードもへったくれもない雰囲気の中で、言葉少なな会話。哀しいまでに普段通りの二人だが、どっこい、本当はこれまでのどんな誕生日よりもうきうきとしている今日のリョーマだ。 だって、手塚に祝ってもらえる初めての誕生日。 昨日のうちに済ませてしまったクリスマスのパーティにも手塚はいたが、二人きりの今日は、格別の記念日だ。 それにしても、手塚からのプレゼントは。布モノをそのままくるんだような、やけに大きな包みの中身は何なのだろう。スポーツタオルにしては大きすぎるし。 「言っておくが、中身はウィルソンのジャケットだぞ」 手塚がボソリと呟いて、リョーマの手がぴたりと止まった。 「――はい?」 あくまで何気なく、といった感じの手塚の言葉に、リョーマは目の前の男を凝視する。 「うぃるそん……?」 「そうだ」 良く聞くメーカーの名称。 それって。 ――結構、高いんじゃあ……。 スポーツを愛する者としては、それくらいのものは普段から身につけているだろう。特別にお高いブランド物という訳でもない。けれど、他人にプレゼントするものとしては、かなり値段の張る物なのではないだろうか。 中学生のリョーマの、素直な感想だった。 「そんなの、もらっていいんスか?」 おそるおそる。 「いいから持ってきたんだ」 顔色ひとつ変えない手塚。既に購入して、プレゼント用に包装までされているのだから当然の事かもしれないが。 「この前、たまたま用品店に行ってそれを見つけたんだ。それしか思い付かなかった。家の手伝いをしたり爺さんの相手をしたり、結構苦労して小遣い稼ぎをしたんだ。受け取れ」 思わずポカンとしてしまうリョーマ。 この部長が、小遣い稼ぎ……。 リョーマのために用立てた金で、リョーマのために購入したもの。これ以上に、リョーマが受け取るべき物はない。 「アリガトウゴザイマス……」 それしか言葉の見つからないリョーマは、ガサガサとプレゼントの包みを開けだした。 そうして姿を現したのは、くすんだ橙色のジャケット。 ただし、全体に可愛いクマが、プリントされた。 「……部長……」 これは、もしかしなくても――女物。 あまりにも予想外のプリティな一品を、リョーマは穴があくほどに眺めた。しかしどれほど眺めてみても、ラブリーな物は、やはりラブリーだ。 これはちょっと、いくらなんでも。 「これ、皆の前で、着られない……」 「着なければいいだろう」 「じゃあ、いつ着るんスか」 「さあな?」 あくまで涼しい顔の手塚。リョーマのこんな反応は、既に予想済みと言わんばかり。 結論。 手塚の前でだけ、着ればいい。 半ば呆れながらも、多分そういう事なのだろうと頭の中だけで結論づけて、リョーマはそのジャケットに袖を通してみた。 女物とはいえ、ゆったりと程よく身体を包み込む柔らかな感触。さすがは手塚の見立てといったところか。……散りばめられた、柄はともかく。 「かわいいじゃないか。似合うぞ」 手塚の言葉に、リョーマは目を丸くした。 「……かわいい?」 「ああ」 「似合う?」 「ああ」 無表情を保ったままの手塚とは対照的に、リョーマはその表情をゆっくりと笑みの形に変えた。 「ぶっちょー」 グワッと手塚に抱き付くリョーマ。 「ありがと」 「嬉しいか?」 「嬉しい」 素直なリョーマの言葉に、手塚は珍しく微笑んだ。手塚の身体を抱きしめるリョーマには、その貴重な光景を見る事は出来なかったが。 しかし。 リョーマはヒョイと身体を離すと、ズイッと両手を差し出した。 「何だ?」 「もいっこ。ちょーだい」 「……」 「誕生日のプレゼント」 「クリスマスと誕生日と、両方欲しいとでも言う気か?」 リョーマは、こくこくと頷く。 「だってみんな、誕生日とクリスマスにもらうでしょうが。部長、用意してるでしょ?」 「……憶えてたな」 やれやれ、と手塚はポケットをあさる。 リョーマの言う通り、正確には、ジャケットはクリスマスのプレゼントだ。誕生日の物は、別に用意してある。というか、実はリョーマとふたりで出掛けた時にお互いで購入した物だ。手塚はリョーマのバースデープレゼントとして。リョーマは手塚へのクリスマスプレゼントとして。 「俺は自分で買った分、ちゃんと受け取ってきたっスよ」 ちょっとした特注の物だから、出来上がるまでに日数を要したのだ。 「ほら」 リョーマがにこやかに小さな袋から取り出したのは。 二枚のプレートがついた、銀のドッグタッグ。 デパートのアクセサリーショップで彫刻サービスを行なっていた物だ。 胸にゆったりと掛かる長さの鎖の留め金を外して手塚の首へとまわすと、器用に後ろでそれを留めた。手塚も同じように、ポケットから出したお揃いの物をリョーマの首に掛ける。 胸に下がる二枚のプレートを、リョーマは満足そうに眺めた。 二枚のうち、少し大きめの一枚に刻印されているのは、一連のアルファベット。リョーマの名前だ。それから、国籍と誕生日、血液型。更には緊急連絡先として、自宅の電話番号。 そして、もう一枚に刻印されているのは。 『KUNIMITSU TEDUKA』。 そのすぐ下に、やはり彼の連絡先の番号。 手塚の首に掛けられたお揃いの物にも、まったく逆のものが付いている。 これで、何があっても彼らは、お互いのいる場所に帰ってくる事になるのだ。遠い場所でどんな状況に陥っても、例えば自分自身が、その正体を失くしても。 それを存分に眺めたあとで、リョーマは再び手塚を抱きしめた。胸許で微かに響く、ふたつの金属音が心地良い。 こんな時でも手塚は何も言わないけれど。いつも、一番欲しい物をくれる。 そして、一番あげたい物を、必ず受け取ってくれるから。 好きだよ。ずっとずっと、いつまでも……。 それからふたりは、本当に見事に、ゴロゴロと時を過ごした。 すっかり慣れたリョーマのベッドの上で雑誌を読む手塚。その足許でカルピンをかまうリョーマ。交わす言葉は、殆どない。いつもの事ではあるけれど、こんな沈黙を居心地悪いと感じた事は一度もなかった。 ただ傍にいる、その事が。 本当は、贈る物なんて何も要らないのだ。けれど人は時に、贈り物に心をのせて大切な人へとそれを差し出す。大事な想いが、目に見えるように。そしてそれが、胸の中まで届くようにと。 だから本当は、何もなくていい。 ちゃんと想いが、届くなら。 目の前で寝そべっていた身体が動かなくなったのに気付いて、手塚はリョーマを覗き込んだ。 カルピンとふたり、すやすやと寝息をたてている。 ――いつのまにやら。 半ばうつ伏せたリョーマの首許から投げ出されたように、波打つ鎖の先で鈍く輝いているのは、所有印のような、銀色のドッグタッグ。 こんな風に飾り気なく、すべてをさらけ出す彼を、自分がどんなに大切にしているのか。それを自覚したのは、いつの事だったか。 もう、忘れてしまった――。 瞳を閉じるリョーマの胸を、微かな旋律が心地良く掠める。 どこかで耳にしたような、懐かしいメロディ。 ――しばらく、忘れていたよ。 アメリカで暮らしていた頃に、あたり前のように歌われ、自然と憶えていた古い歌。 アメイジング・グレース。 長い時を暮らし、帰る家を見つけた人生の旅人の歌。歓びも哀しみもすべてその胸に抱き、神のいる光の国へと還る彼の、祈りの歌――。 今、思い出すなんてね。 神様なんて特に信じていなかったし、幼かったあの頃の自分に、この歌の意味なんて、てんで解らなかったけれど。今なら、解る。 俺にもね。 最後に必ず帰る場所が、ここにあるよ――。 胸の内で奏でられるその旋律に誘われるように、リョーマは静かに目を開いた。 何時の間にか、眠っていたらしい。 手塚をほったらかしだったな、とぼんやりと思って、リョーマは静かに頭を上げて――思わず、目を見張った。 ベッドの上、壁に寄り掛かったまま。 手塚は、目を閉じていた。 「……」 そろりと、リョーマは手塚に近寄る。 「……部長?」 微かな声に、反応はない。 膝の上に雑誌を乗せたまま、手塚は静かに眠っていた。 「うそ……」 その隣にそっと腰を下ろしてみても、手塚は気付かず寝息をたてたまま。 ちょい、とその肩に触れてみたら。 ゆっくりと傾いだ身体が、パサリと微かな音をたてて、リョーマの膝の上へと倒れ込んだ。 うわあ。 これまでにないほどに驚いて、ちょっと感動した。 こんな手塚の姿を見るのは、正真正銘初めてだったのだ。 「部長……」 この人が、自分の前でこんな姿を晒すのが、嬉しい。そしてそれはきっと、本当にこの自分の前で……だけ。 いつもいつも、厳しく張り詰めた顔をして。そんな彼の姿が好きだったけれど、こんな風に弛緩している姿も好きだな、と思う。 ねえ、本当に――好きだよ。 もう、絶対に。 絶対に、誰にも渡さない。 優しく閉じられたその瞼にそっと指で触れて。 お互いあまり、口には出さないけどね。 まるでとても大切な宝物にそうするように、リョーマはそっと、膝の上の手塚の頭をその腕の中に抱え込んだ。 「ねえリョーマさん。ツリーの下、見た? おじ様からプレゼントがあるみたいよ」 25日の朝、部活へと向かうために家を出ようとしたリョーマを、菜々子が呼び止めた。 「プレゼント?」 いぶかしむリョーマ。 わざわざ通例に乗っ取ってツリーの下にプレゼントを置くなどと。手の込んだ事をする時に限って、あの父親はろくな事をしたためしがない。 眉間に皺を寄せながら、ツリーという名の松の木の下に視線を向ける。 見た事のある紙袋が視界に入った。よく使っている写真屋の派手な封筒だ。 「写真?」 ガサガサとそれをあさって、一瞬後に仰天した。 一枚の写真。 そこには、眠る手塚の頭を膝の上に抱えたまま、同じように眠り込んでいるリョーマの姿。 ――いつのまに……!! 良く見れば、ご丁寧に焼き増しの領収書までもが添えられていた。 この写真と同じ番号の焼き増しを……一昨日家に来た、青学レギュラー陣と同じ数……。 「菜々子さんッ!!」 クワッと振り返ったリョーマに、菜々子は小さな悲鳴を上げて一歩下がった。 「な、何!?」 「親父は!?」 「え、えーと、さっきいそいそと何処かへ出掛けたみたいだけど……」 遅かった……!! リョーマは物も言わずに、凄まじい勢いで玄関から飛び出した。 短距離走者もかくやという勢いで、リョーマは父が目指しているであろう青春学園への道のりを疾走し。 その勢いのままに、人目もはばからずに、叫んだ。 「親父のバッカヤロ――――ッ!!」 あなたの前でだけこの身に着けるジャケットと、あなたへと帰るための、銀の鎖。 そして古い、祈りの歌。 きっと――最後に願うのは。 何にもないけど、あなたがいる場所。 END |
●あとがき● 最近は、現像も焼き増しもソッコー出来て困ったもんですねえ(笑)。それにしても、青学の父も小遣い稼ぎか。所詮は部長も中学生……。 国際的に見て、名前の"KUNIMITSU"に"S"を入れるのかどうか一瞬迷い、自分のクレジットカードを眺めたり。"つ"の付く本名らしいですよ、氷村(笑)。 |