UP20011214

宝さがし




 誰にも見えない、カタチがある。



 リョーマの表情は、一見他人には読みにくい。
 だが、そこに浮かんでいるほんの微かな不機嫌を、乾は敏感に読み取っていた。何しろミリ単位の変化を見逃さない男である。
「一体どうしたのかな、ルーキー君は」
 制服に着替えてから何事かをノートに書き込んでいたらしい乾は、遅れて部室に入ってきたリョーマを何気ない仕草で見つめた。
 乾の呟きに、ロッカーに寄り掛かっていた桃城がはて、といった顔で隣のリョーマを眺める。ひょいと顔を上げたその表情は、至っていつも通りに見えるのだが。
 しかし、乾は不必要な嘘や冗談を無駄に口にしたりはしない。
「んん? お前、なんかあったのか?」
「別に」
 大袈裟に目を見開く仕草をする桃城にも我感知せず、といった体で、手早く制服に着替え終えたリョーマは、大きなバッグをよいしょ、と担ぎ上げた。
「ちょっと機嫌の良くない時くらい、誰でもあるっスよ。んじゃお先に」
 その一連の動作の鮮やかさに見とれる暇もなく、リョーマは室内の面々に片手を上げるだけの挨拶を残して部室から姿を消した。
 先に部室に来ていた人間よりも早い退出に、桃城はため息をつく。
「どっちかってーと、機嫌良さそうにも見えたっスよ?」
 出て行ったリョーマの足取りの軽さに、桃城は首を傾げた。ニコリともしなかったその表情は、言われてみれば不機嫌とも取れるものかもしれないが、やはりいつもと変わらないように見えたし。感情の起伏は激しいくせに、それが態度に出る時と出ない時の差も激しいから、何とも分かりにくい。
「うーん」
 桃城の言葉に、確かにな、と乾は頷く。
「まあ、悩み事という訳でもなさそうだし、本人の言うように少し機嫌が良くない、程度の事だろうけどな。余計な詮索は、単に俺の趣味だから」
 いやな趣味……と呟く桃城を気にする風でもなく、乾はリョーマの去った出入り口のドアの方に視線を向けた。
「そういえば、手塚はとうとう来なかったな。部会はまだ終わらないか」
「そうみたいっスねー。役員ってイロイロ大変っスよね」
「来期は覚悟しておけよ」
 何気ない乾の呟きに、桃城は心底驚いたように目を見張った。
「俺っスか!? やだなァ、乾先輩」
「可能性がない訳じゃないぞ。お前だって今からレギュラーを張っているんだからな」
 他愛のない雑談に花を咲かせる部室のドアを開いて、大石が外から顔を覗かせた。
「なんだ、まだいたのか。そろそろ部室閉めるぞ」
 大石の言葉に、部室に残っていた二人は慌ててそれぞれの荷物をまとめはじめた。



 カタチのないものは、どうしたら目に見える?



 昇降口を出た手塚は、すぐ傍の木に寄りかかっているリョーマの姿を見つけてぎょっとした。
「まだいたのか」
 意外なものを見たような顔で言う手塚に、リョーマは拗ねたように唇を尖らせた。
「買い物付き合ってくれるって言ったじゃないっスか」
「部会が早く終わったら、と言ったぞ。もう部活は終わっているだろう」
 とっくに帰ったかと思った、と言う手塚を軽く睨み付けるリョーマ。
「付き合ってくれないんスか?」
「そんな事は言っていない」
 やれやれ、と肩をすくめる手塚。
 この後輩に曖昧な態度は通用しないという事を忘れていた訳ではないが、手塚は自分の不用意さに心の中で失笑してしまった。何者にも振り回される事なく我が道を行くリョーマだが、こと手塚に関してだけは違う。多分他の人間は知らないだろうが、彼は手塚の関わる事に対しては、本当に、密やかに積極的なのである。
 リョーマ本人は気付いていないかもしれないし、うっかりそんな事を言ったら怒るのかもしれないが――心底、一途なのだ。
 今日のように曖昧な約束をした後で、もしも手塚の帰りがあと二時間遅かったとしても、リョーマはここで手塚を待っているのだろう。
 うっかり、守れない約束など口に出来ない。
 もっとも手塚自身、軽々しくそういう事をする人間ではないが。
「付き合ってやるから、そう睨むな。行くぞ」
 歩き出した手塚の後を自然について来るリョーマ。怒っている訳ではないらしい。
 最近、手塚はこれまで善しとしていなかった下校時の寄り道を、よくするようになった。そうしなければ、土日も関係なく遅い時間までの部活動が日常である今現在、なかなかリョーマとの時間を取る事が出来ないからだ。
 他人に甘い自分自身に薄ら寒さを覚えない訳ではなかったが、こればっかりは無意識での部分も多いから仕方がない。
 予想外に悪い感覚でもない、というのも事実だった。

「部長ってさ、俺の事好き?」
 唐突なリョーマの言葉に、手塚は思わず手にした筆記具を取り落としかけた。あくまで無表情を保ったまま、あたりを視線だけで確認する。が、広い店内で文房具の棚を眺めている数人の買い物客は、こちらの様子を気にしている風でもない。
 静かな安堵。
「ねえ」
 そんな手塚の様子をまったく気にもかけず、反応を促すリョーマ。
 もともと物事をはっきりと口にする男ではあるが、ここまで周りを気にせずこんな事を口走るのは、彼らしくないといえばらしくない。
「いきなり何だ」
「いーから」
 ぐい、と手塚の袖を引くリョーマは、あくまで手塚の言葉を待っている。
 手塚は、眉間の皺を深くしながら、ひとつため息をついた。すでに会計を済ませたらしいリョーマの買い物袋を確認して、そのまま外へと促した。
「部長」
 大人しく着いて来ながらも、リョーマは仏頂面で声をかけてくる。
「誰かに何か言われたのか」
 店の外に出てから、リョーマの方へと向き直る手塚。
「……」
 リョーマの無言に、やれやれ、と思う。
 なかば当てずっぽうで言ってみた言葉だが、どうやら図星であったらしい。



 形がないっていうのは、時々不安になったりするんだよ。



 リョーマの妙な言動の原因は、従姉である菜々子の言葉にあった。
 リョーマは、これまでに何度か手塚を自宅に連れ帰った。その度に彼と顔を合わせていた菜々子は、つい最近リョーマに妙な質問をしてきたのだ。

「手塚君て、リョーマさんのなかよしの先輩なのよね?」

「それが何?」
「ううん、なんか、とても厳しそうな人だから。あんなに表情変えない人ってそんなにいないし、あまり、親しそうに見えないなって」
「……」
 そんな訳ないわよね、と菜々子は慌てて取り繕うように微笑んでいたけれど。
 なんだか……それって、もの凄く事実だ。
 常に無口で無表情な手塚から、何がしかの感情を引き出す事は、はっきり言って至難の技である。他の人間よりも多く手塚との時間を獲得している筈のリョーマですら、その変化を目にする事は、ほとんど皆無に近い。仕方のない事だと普段から思ってはいるけれど、それにしてもズバリ、親しそうに見えない……とか言われると。
 ――俺の事、どう思ってんの?
 リョーマがにわかにそんな事を考えてしまうのも、無理のない事である。

 自分自身の事であるなら、揺るぎのない自信を持っていれば良い。
 しかし、他人の事は、そういう訳にはいかない。
 手塚がそういう人間だと分かってはいるつもりだが、それですべてを納得できるほど、リョーマは大人ではないのだ。時々は、ジレンマだってある。
 そう、わかってはいる。でもたまには――と。

 先刻桃城が感じたリョーマの上機嫌は、今日手塚と買い物が出来るというリョーマの浮き足立った気持ちからだったが、逆に乾が感じた不機嫌は、どうやらこの辺のところにあったらしい。

「ねえ」
 あくまで手塚を促すリョーマ。
「……」
 手塚は内心、頭を抱えた。
「誰に何を言われたか知らんがな。お前は俺の気持ちを量るのに、俺よりも他人の言葉を重視するのか?」
 ……。
 すき好んでそうしたい訳じゃない。
 手塚があまりにも気持ちを表に出さないからこそ、こんな風に他人の言葉に惑わされたりするのだ。

「好き」
 唐突なリョーマの言葉。
 手塚は、一瞬目を見開いた。
「簡単な事でしょうが。俺は部長が好きだから、好きだって言ってんの。こんなに簡単な言葉でしょ。たった一言だよ」
「そういう風に言わせて、言われて、嬉しいか?」
「言わせなきゃ、言わないからでしょ!」
「……簡単な事を簡単に口にしていたら、本当に簡単な事になるだろうが」
 手塚の言葉に、リョーマの眉がつり上がる。
 ゆっくりと歩いていた足が、ピタリと止まった。
「なに。じゃあ部長は、俺がいつもあんたに対して、簡単な事をお手軽に言ってるって、そう言いたい訳!?」
「そうじゃない」
「そうでしょうが!」
 ちがう。
 そんな事を言っている訳ではない。
 リョーマがそういう風にストレートに気持ちをぶつけてくるのは、それが何より大切で本当に本気の想いであるからだという事は、手塚も充分に承知していた。

 ――わかっている。こんなのは、言い訳だ。

 手塚はこれまで、誰に対してもこんな情熱を抱いた事がない。だから、どんな事よりも戸惑いが先に立ってしまう。はじめてだからこそ戸惑う手塚と、逆に積極的に前へと進もうとするリョーマ。そういう意味で、二人は完全に対極にいる。
 単に照れているだけなのだと。
 そんな自覚も、手塚にはある。
 小難しい事ならいくらでも口に出来る。
 けれど簡単な一言が、言えない。
 それで相手を不安にさせてしまう事もあると分ってはいるけれど、自分はこんなにも――どうしようもなく、他人に対して不器用だ。



 見えない気持ちは、形にして?



 リョーマは、ぷいと手塚から視線を逸らした。
「もういい」
 そのまま再び歩き出す。
「越前!」
 手塚はそんなリョーマの手を、ぐいと掴み上げた。
「ちょっと部長」
 リョーマは憮然と振り返る。掴まれた手を振り払おうとしても、その力は抗い難いほどに強い。
「放してよ」
 その手を解こうともう一方の手を掛けたが、それすらひとまとめにして、手塚の両手に掴み取られてしまった。
「部長!」
「そんなくだらない事で、俺から離れるのは許さないぞ」
 己の手を取ったままの手塚の言葉に、リョーマは両の目を皿のように見開いてしまった。
「――は?」
「許さない」

 手塚の表情は、あくまで大真面目。
 ――この人って。
 ――この人って……。

 泣く子も黙るというか、笑う子も泣かすような高圧的な態度と厳しい顔で、こんな殺し文句を言う人間が他にいるだろうか。
 そう。最上の、殺し文句だ。たとえばそれがリョーマの盲目ゆえだったとしても、そんな事はとりあえず関係ない。
 我知らず上気する頬を隠すように、リョーマは俯いた。
 だから。だから簡単だって言ったのに。
 たったこれだけの事が、リョーマの胸に深く突き刺さる楔になるのだという事に、天然な手塚は気付いていない。計算したうえでの言葉ではないからこそ、それはリョーマの心の真ん中にまで届く。でもだから、たまにはそんなものが必要なのだと、リョーマはそう言いたかったのだけれど。
 だけど、そんな不器用さが。
 好きなんだから、仕方ないよね――。

「……飯」
「何?」
 俯いたまま呟かれたリョーマの言葉に、手塚は一瞬その手を緩めた。
 リョーマは、掴まれた両手もそのままに、ひょいと顔を上げる。
「夕飯。食べてくでしょ」
「あ? ……ああ」
 うっかり、間抜けな顔で答えてしまう手塚。
 じゃあ行こう、と手塚の手を引くリョーマの機嫌は、気付けばすでに斜めではないらしい。その変わり身の速さに、手塚は首を傾げるしかないけれど。
 しかし、実はすでに手塚を連れて帰ると家に連絡済のリョーマ。その行動も凄いが、手塚の方も学校を出た時点で、遅くなると家に連絡を入れている。
 こんな二人は既にもう何なんだか……という点には、本人達ですら全く気付いていない。



 微かな言葉ですら、それは宝物になるから。



 食器の片付けをしながら、菜々子は小さな声でリョーマを呼んだ。
「何?」
 トコトコと寄ってきたリョーマに、菜々子はズイ、と煎餅の盛られた器を差し出す。
「持ってお行きなさいって、おばさまが」
「あー……ありがと」
「ねえ、リョーマさん?」
 ニコニコと微笑む菜々子に、リョーマはキョン、と斜めに視線を向ける。
「何か、違ってたみたい。本当に仲良しなのね」
「……は?」
「手塚君て、表情がわかりにくいから無表情だと思ってたんだけど、それっていつも、俯き加減だったからなのね」
 リョーマは眉間に皺を寄せる。
 だから、なに? と言いたいらしい。
「いつも、リョーマさんの事見てるのよ」
「……!」
 菜々子の言葉に一瞬目が泳いだリョーマだったが、何事もなかったかのように上目遣いに彼女を見つめて、唇の端を釣り上げた。
 余裕ありげな、その笑顔。
「……仲良しだよ」
 それだけ言って、軽い足取りで自分の脇を摺り抜けるリョーマの後ろ姿を見送りながら。
 なんだか、普通の仲良しとは何となく趣きが違うような気がする――とは、口に出さない方が良いような気がしたから、黙っていたけれど。
 菜々子はフウ、と息をついた。
「リョーマさんも、あとちょっと身長が高かったら、そんなに見上げないで済むのにね」
 見下ろしたり、見上げたり。
 まるで、相手の気持ちを推し量るかのように。
 まるで、言葉の代わりに大切な気持ちを伝えるように――。
「恋人同士みたいよね」
 笑顔の呟きが核心を突いているという事実を、菜々子本人は――もちろん知らない。

「部長!」
 抱えた煎餅もそのままに、リョーマは手塚に飛びついた。
「!」
 何事かとリョーマを凝視する手塚の反応もまるで気にせずに、リョーマは屈託なく笑って、小さな声で言った。
「俺の事、好き?」
 途端に苦虫を噛み潰したような表情になる手塚。
「またそれか」
 身体にリョーマと煎餅を張り付かせたまま、手塚は肩をすくめた。
「ねえ、好き?」
「どうだろうな」
 リョーマはムゥッと顔をしかめる。
「あんたって、ほんっとに素直じゃないよね。ねえ、照れ屋さん?」
「言ってろ」
 図星をつかれた手塚の捨て台詞。
 リョーマは笑顔に戻って、手塚を見上げた。自分を見つめている手塚の顔を、お返しのように見つめ返す。
 なるほど、ね。菜々子さん。
「照れる部長なんて、そうそう見らんないよね」
 といっても、その表情は殆ど変わってはいないけれど。それでもこれが、手塚がリョーマだけに見せる姿である事に違いはない。
「一応言っておくがな」
「?」
「俺だって、ジレンマがない訳じゃないぞ」
 簡単な事が言えない。
 違えようのない事実を正直に形にする事は、何も悪い事じゃないのに、むしろそうすべきだと思うのに、それが一番難しい。自分の斜めさ加減に一番辟易しているのは、誰でもない自分自身だ。
 本当は――手塚だって。
「いいよ。照れるのは、それが本当の事だから、だもんね」
「……」
 リョーマは笑った。
 手塚のそんな処が好きだから、それを解ってあげられる、たったひとりの人になるのだ。
 今なら、鬱陶しいと引き剥がされる事はないと承知しているように、リョーマは手塚に張り付いたまま。そうしてすぐに、彼の大きな手は、この背を強く抱きしめてくれるだろう。
 そう、これも、あなたがくれる本当の気持ちのひとつ。

 ひけらかさないつもりなら、探すから。
 言葉通り、あなたの隠す宝物を、ね。
 だから、できれば言葉の代わりに。



 俺があなたを見上げた時に、いつも俺を、見ていてよ。




END

Precious image song - STRAWBERRY FLOWER "涙があふれた"





●あとがき●
リョーマがオトメか? なんか、乙女よね!? ガボーン。自己完結型わがまま乙女。
ところで今回のイメージソング、これ知ってるって人は密かにマニアですね(笑)。しっかりCD持ってて、あまつさえちゃんと聴いている自分が怖い。
それにしても、公道で両手を握り合う男子中学生ってどうなんでしょう。



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