UP20011030

−絆−




 この胸に留まる悲しみも
 足を止めるような歓びも
 いつかは乗り越えて行けるのかな
 僕たちは




「ラリーやろうよ」
 そんな言葉に乗せられて。
 越前家裏手のテニスコートに立ちながら、手塚は自分がいつの間にか相当荒い息をついている事に気付いた。
「越前」
 対角線上に立ち、そこを微動だにしないままに幾度となく繰り返されるボールの打ち合いのさ中に相手の名を呼んでみるが。呼ばれたリョーマはまるで手塚の声が聞こえていないとでも言うかのように間髪入れずに球を打ち返してくる。
 手塚とリョーマに限り、誰かの目の届かないところでテニスの試合をする事は禁じられていた。この二人がうっかりマジになった場合に、シャレにならない展開になるからだ。だからこの二人がせいぜいやれる事と言えば、こんな球の打ち合いくらいなのである。
 けれど、手塚がおや、と思ったのはついさっき。
 リョーマが打ち返してくるボールが、異様に重いのだ。
 かなり、本気になっている。
 自分も相当燃え上がりやすい性格である事を知っているから、手塚はまずいな、と思いはじめた。
「おい越前」
 再び声を掛けてみても。リョーマはまるで意に介さずボールを打ち込んでくる。
「越前!!」
 手塚は、帰ってきたボールをリョーマの顔めがけて思い切り打ち返した。

 バシンッ。

 リョーマは器用にラケットを顔の前で構え、そのボールを真上に打ち上げた。無論手塚も、リョーマの反射神経を考慮した上で打ち込んだのだ。
「何てことするんスか」
 水を差された、とでも言うように憮然としたままネットに近付いてくるリョーマ。
「それはこっちの台詞だ」
 手塚もつられるように近寄ってみれば、お互いに汗だくで大分息も上がっている。少しも走っていないのに、この消耗の激しさは尋常ではない。そういえば、相当長い間打ち合っていたような気もする。
「練習の域を出るなと言われているだろう」
「……」
 何事もひとりで器用にやりこなすようなイメージで見られがちな手塚だが、彼はこれで案外他人の言う事を素直に聞く方だ。自分でも無茶をしやすい性格だという事を心得ているからである。
「越前?」
 口をへの字に曲げたままのリョーマに呼びかけると、彼はスイ、と手塚の方に手を差し伸べた。そして無言のまま、ネット越しに彼の肩に両手を絡めてくる。
 訳が分からずリョーマの背に手を回し、手塚はその身体を抱き上げてネットのこちら側に連れ込んだ。しかしリョーマは、そうされた後でも肩からぶら下がったままで、手塚から離れようとしない。
「おい?」
「……強くなりたい」
「……何?」
「どんな痛みにも、負けないくらい」



 最近になって、リョーマが時々何事かを考えるような仕草をしていた事は、手塚も気付いていた。そう、都大会の後あたりからだ。頼まれてもいないのにそこまで口を出すのもどうかと思ったから黙っていたが、どうやらその辺の思考がピークに達していたらしい。今日は特に、どこか様子が変だった。
 シャワーを浴びて少し熱を冷ましたらしいリョーマは、まったくいつもと変わらない仕草で手塚に纏わりついた。リョーマを待っている間に読んでいた雑誌をその手から取り上げ、自分の腕を絡めてくる。
「何なんだ、お前は」
 これもまたお決まりになりつつある手塚の言葉に、リョーマは不敵に笑みを返す。
「俺は俺の幸せを噛み締めてるところ。……っス」
 ……なんだそれは。
「……ちょっと知ってる二人組がいるんスけどね」
 唐突に、リョーマは手塚から視線を外して話しだした。
「その二人を見てたら、色々考えるところも出てきて」
 リョーマが途切れがちにゆっくりと話す時は、ことさら手塚に話を聞いて欲しい時だ。
 手塚は口を挟まずに、ただ頷いた。
「どんなに強く望んでも、どうしようもなく道を分かつ時もあるんだって」

 共にいる事を望み、涙を流した彼。
 そこに、別の道を指し示した彼。
 それぞれに歩き出した彼らは、ある意味――強かった。

「俺はね。部長が好き」
 リョーマは、手塚の左手の指に、自分の右手の指を絡めた。
 力強い、大きな手。
「俺がこれから見つけようとする道で、もしもこの手を離さなければならない時が来たら。そんな選択を強いられる事があるとしたら、俺はどうすると思う?」
 手塚を試そうとするかのように、リョーマは微笑みながらも、まっすぐに手塚を見つめた。
 手塚は、そんなリョーマの手を強く握り返す。
「行くだろう?」
 リョーマは、笑った。
「うん。俺は行くよ。部長だって、きっとそうするでしょ?」
 いつか、自分が見出すであろうひとつの道。
 そこに、今隣りにいるこの人と共に行けないとしたら?
 ひとりで歩く事を選ぶのか、それとも、この人と共にあるために、その道を塞ぐのか。
 リョーマの答えは、確実に前者だった。
「だって俺は、もう部長と出会っているからね」
 違う道を歩むとしても。
 たとえばそれで、どんなに遠く離れる事があっても。
 自分と手塚の間には消えない絆があると、リョーマは確信している。
 それは単に、俗に言う大切な人、という事だけではなくて、同じ時の中を歩く、絶対的な仲間、もしくはパートナーとしても。

 子供は刹那主義で未来に目を向けないと、人は言うけれど。
 たしかにそれは、間違いではないかもしれない……けれど。
 けれど、未来ある子供だからこそ、確実に近付いてくる『その時』に早くも思いを馳せて不安になる事だってある。
 そして、アテのない、見えない『絆』を心から信じていられるのも、子供であるがゆえの特権――なのかもしれないが。
「だからね。俺が欲しいのは、もしも傍にいなくても、見えないアンタの事を思って歩いていけるだけの、強さ」
 軽い練習のつもりであった球の打ち合いにもムキになってしまうほど、リョーマは強さに飢えていた。
 テニスも、それ以外の事も。
 自分の持つ強さが、確固たる自信とチカラとなって己の中にあり続けるように。
 悲しみや憤りがこの胸の内に留まる時も、それをものともせずに前へと進み、いつかはそれを昇華する事ができるようにと。

「強さを求めるのは結構な事だがな。あまり先を急ぐな」
 先を急ぐな、などという言葉が無駄である事は、手塚も良く分かっている。自分だってそうだからだ。リョーマも手塚も、現状で満足している訳ではない。
 けれど。
「まだまだ、俺達には今やらなければならない事が山のようにあるだろう」
 まずは関東大会。その先には全国大会。もちろん、手塚はそこまで辿り着くつもりでいる。
 急いて遠い未来を見据えようとしなくても。近い未来へと向かって着実に歩いて行くだけで、遠くにあるはずのそれは、否応無しに近付いてくるものだ。
 望むと、望まぬとにかかわらず。
「その間に、俺達もっと、強くなれる?」
 二人を繋ぐ、この絆は。
「なれる」
 心を繋ぐ糸は、一朝一夕に強くなれるものではない。ゆっくりと時間をかけて、自分たちで育てていかなければならないものだ。ただぼんやりと待っているのではなく、お互いの想いを投げかけながら。
 けれどそれだって、今こうやって同じ時間を過ごすうちに、少しずつ築き上げていけるもののはずだ。
「俺はテニス、もっと強くなるよ。部長にも負けないくらい」
「俺も負けない」
「うん。だからね、違う方の強さは、部長が分けて?」
 絡めたままの指。握ったままの手。
 いくらでも、こうしていられるような気がする。いつまでも。

 ひとりきりでは手に入れられないものが、今の二人にはある。

「どうしてほしいんだ?」
「さあね?」
 手塚の言葉に、リョーマははぐらかすように笑う。
「そスね。いつもいつも、毎日いっぱい触って抱きしめて、甘い言葉囁いてってのは?」
 がくりと、手塚はリョーマの髪に額を押し付けた。
「お前は、そんな事をこの俺に望んでいるのか?」
「いーえ。うっそ。そんなの、たまにしかいらないから」
 たまに、ときたか。
「ずっと、」
 ずっと俺の事、好きでいて。
 リョーマは呟いた。
 そんでたまには、その気持ちを、俺に見せて。だって部長って、時々スナオじゃないから。
「……どっちが」
 いつでも傍若無人に振り回してくれるくせに。
 それがこの男の気持ちの現われだって、分かっているけれど。
 素直なんだか、そうじゃないんだか。けれどそんな彼に、いつでも答える気でいるのだからもうどうしようもない。
「時々、な」
 手塚はそう言って、己の手に絡められたリョーマの指に口接けた。
「アリガト」
 リョーマもお返しのように、同じように手塚の指に口唇をあてる。
 きっとどんな事も、この手の強さで飛び越えて行ける。例えいつか、その身体は離れても。

「でもやっぱり、同じ場所を歩いていけたらいいよね」
 リョーマはクスクスと笑った。
 そして今抱いているこんな不安が、杞憂で終わればいい。
 未来はこれから来るから、ワカラナイから未来と言うのだけれど。
 だからこそ今は、ここで二人で過ごす今は、小さな不安はさておいて、二人余裕の笑顔でいよう。

 もっと強くなる、これからのためにね。




END




●あとがき●
……ホントにコメントのしようのない話っすね……。なんだかんだと言い訳しながらただ単にベタベタしたいだけの話なんだと思って下さい(自爆)。何が書きたかったんだ、氷村。てーか、本当は裏ページ用に考えてた話なんだけど、テーマでまとまってしまったので強引にエッチな部分をカットアウトしてしまったあたりで無理が生じたような(涙)。



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