UP20011003
視線の先のウラオモテ
ヒトには誰も、裏表がある――というけれど。 奴にも当然、それはある。 何時も飄々として、その唇から放たれる言葉にはまるで飾り気というものがなくて、いっそ気持ち良い位に素直で陰はないけれど。 それでも言葉には出さない部分で様々な事を考えてはいるようで。 たとえば、誰かとの気楽な会話の中で出てくるライバルの名前とか。 ほんの些細なニアミスに舌打ちした時とか。 そんな時、さりげなく俯いたその視線。 目深に被られたお気に入りの帽子に隠されてはいるけれど、その表情は、どんな時よりも鋭くて、挑戦的だ。 いつか、非公式に試合をした時もそうだった。 それ以来、わずかな会話の端々でこちらに向けられる無遠慮な視線。それは普段の奴が纏う余裕とかいうものがすっかり影を潜めたぶしつけなモノで。 受けるこちらの背に戦慄が走ってしまうような、あからさまな激情。 隠しているつもりなのかは知らないが、ちゃんと視線を合わせた時にはそれはすっかりとナリを潜め。後に残るのは普段通りの余裕の笑みだけだ。 笑顔の多い女は、一瞬素に戻った時を見逃すな、というような話をどこかで聞きかじったような気がするが、なるほど道理だと今なら分かる。 女に例えては奴が怒り出しそうだが、しかし的は射ているだろう。 ふたりでいるわずかな時間の中でさえ。 時折外される視線。 わざわざ視界を外して俯いた時にどんな表情をしているのか、気にならないといえば、嘘になる。 「部長は無表情だから、時々何考えてるんだか分からないよね」 そんな事を言われた事がある。 そういう時でも奴は存外にこちらの思考を読んでいたりして、最近では隠し事もままならないのではないかという錯覚に捕らわれたりもしている。いや、錯覚ではないのかもしれないが。 だから、その台詞をそっくりそのまま返したいこちらの思いにも、気付いていそうなものなのだけれど。 すれ違う瞬間とか。 向かい合っていた身体の向きを変えて、それぞれに歩き出す時、とか。 その時に見せているであろう表情をこんな風に気にする自分自身に、滑稽さすら覚える。 もっともっと、相手の事を細部まで知りたいから? きっとそれは違う。 抱えている嫌な思いとか、気に掛かっている疑問とか、そんな事を胸に隠し持っていないか。彼が過ごしている時間にしらけてしまっていないか。 きっと心に澱んでいるのは、そんなマイナスのイメージ。 口に出す回数が少ないだけに、その胸に思い描かれているであろう見えない部分が気になってしまう、という事だ。 女々しい事この上ない……とは思うけれど。 「部長、タオル」 急に声を掛けられて、驚いた。 汗を洗い流していた水道から顔を上げてみれば、いつの間にか真横に佇んでいるのは見慣れた後輩の姿。 「?」 「タオル。貸して」 言うが早いか、越前は掛けていた肩から強引にタオルを奪う。 こんな一見無意味なやり取りも、今ではあたり前の光景になってきた。 バシャバシャと頭から水を被るように顔を洗ってから、奪い取ったタオルで顔を覆って息をつく。今日も存分に身体を動かして疲れたのだろう。 「ドモ」 言いながらヒョイとタオルを首に掛け直してくる越前を見つめる。 この無表情な顔はまったくいつも通りで。 今ここで、いきなりキスでもしたら驚くのだろうか? やってみたい衝動にかられるが、こんな事で怒らせでもしたら後が面倒なような気もする。気が狂ったかと思われるのも、それはそれで悲しいものがあるし。 「部長、ちょっと」 「うん?」 首に掛けたタオルを両側から強く引かれた。 「――」 一瞬の、キス。 強引にかがまされて奪われた唇に、柔らかな感触を覚えたのはその一秒後だった。 我ながら鈍い……いや、そんな場合でなく。 「……何なんだ、お前は」 よほど渋い顔をしてしまったのだろう、それを見た越前は、クスクスと笑いながら半歩離れた。 「部長がキス、したそうだったから」 悪びれない表情と台詞に、返す言葉がない。 事実だからだ。 どうしてこうも、この後輩は人の思考をあっさりと読んでくれるのだろう。読心術の修行でもしているんじゃないのか。それとも、まさかとは思うが、他の人間も口に出さないだけで、実はこちらの考えている事など全て漏洩している、とか。 そんなはずはないと思いたいのだが。 普段から意識している訳ではないが、分かり辛いと言われた事はあっても、わかりやすいと言われた事はない。どちらでも構いはしないが、あまりにも読まれやすいというのもどうかと思う。 自分が知らぬ間にその域まで達しているかもしれないと考えるのは、正直怖い。 「越前」 「何スか?」 「俺はそんなにわかりやすいか?」 「……」 キョトンと、目を見開く。 そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしなくても良さそうなものだが。 「……誰かに、そういう事言われました?」 「……いや」 お前に一番読まれているんだというのに。もしかしてこの男は、その自覚すらないのだろうか。 「そ。ならいいけど。部長の事わかりやすいなんて言う奴がいたら、絶対教えてよ」 「なんで」 「俺が悔しいから。部長の事理解してます、なんて面されるのムカつくからね」 挑発的な瞳。 ここは、喜んで良いところ、なのだろうか。 「部長、わかりやすいって訳じゃないと思うよ。どちらかといえば、わかりにくい。それが分かるって人間がいるとすれば、それは部長の事を気にして良く観察してるからでしょ」 他人事のように言うけれど。 ――自分の事を言っているのだと、気付いているか? 「そういうお前も、相当分かり辛いがな」 意趣返しのようにそんな事を言ってみても。 越前は、ただ笑う。 「そうスか? そんなつもりはないんだけど」 くるくるとよく変わる瞳。 豊かな表情をいくつも知ってはいるけれど。その陰に隠された部分をひけらかさないのは、どんな心の動きから来るものなんだ? 「分かり辛い、かなぁ?」 呟いた後、越前の視線が一点で留められた。 「ああ、桃先輩が歩いてくる。……そうっスね、今この場で部長にキスでもされれば、さすがに俺でもびっくりして本気で面白い顔になるかもよ」 面白い遊びを思い付いたというような、越前の笑顔。 越前の言う通り、背後に近付く人の気配は、桃城なのだろう。その足取りの軽さは、こちらの会話が聞こえていないがゆえの気楽さからか。 そんな状況を楽しむかのような越前の言葉は、冗談なのか真面目なのか、今イチ掴みかねるところだけれど。 その肩を引き寄せて、抱き込むような形で口唇を重ねた。 ゆっくりとその熱さを奪った後で身体を離してみれば、越前は相変わらずの余裕の表情。 ――嘘ばっかりじゃないか。 「ホントにするとは思わなかったなあ」 ……。 この性悪が。 確かに、こんな悪ノリは自分でも意外だが。 ピタリとその場で止まった背後の気配に振り向く事すらできない。 桃城がどんな驚愕の表情でこちらを凝視しているのか、確認するのはちょっとした勇気が要る。たしか、そう、ムンクとかいう画家の有名な絵画に出てくる人物のような顔をされていたら、結構怖い。 「部長の方が、変な顔。……ね、早く着替えちゃいましょ。遅くなるっスよ」 何事もなかったの様に、置いたままだった眼鏡を自分の物のように手にとって歩き出す越前。ストップモーションの桃城にひらひらと手だけを振っている。 何が驚く、だ。 全然変わらないじゃないか。絶対こいつより、桃城の方が驚いたに違いない。……頼むから、他に言いふらしたりしてくれるなよ。 小悪魔のような後輩に手を引かれながら部室棟に目をやれば。洗って日干しにされたまま、たて掛けられているどこかのクラブの姿見。 通りすがりに一瞬映った鏡の中の越前は。 ――真っ赤になって、はにかむように微笑んでいた。 心底、驚いた。 そのあとでふと胸に押し寄せる、あたたかな波。 これだろう? と、自分に問う。 本当に知りたかったのは、こういう事だろう? 嫌な思いを隠していないか。本当は吐き出したい焦燥感もあるんじゃないか。――そう考えていたのも事実だ。けれど、それ以上に、何よりも。 身体全体で、好きだと言って欲しかっただけなんじゃないのか――。 我ながら浅はかで贅沢で、我が侭な欲求。 何もかもを包み隠さずに、と。 ――けれど。 見えないからこそ大切で、愛おしくなる気持ちもある。そんな風に思ってみるのも良いんじゃないかと考え直す。 越前が普段そうとは気付かせぬままにこちらの思いを探ろうとしている、そんな微かで密やかな行動のように。 相手の事が手に取るように分かるのも、逆に分からなくて惑うのも。 それは、その人の事を想うがゆえ――だ。 つまり、そういう事だろう? 袖を引きながら歩く越前の腕を取って引き寄せる。 その髪をクシャリとかき混ぜてみれば、彼はイタズラっぽく微笑んで、その腕を腰へと絡めてきた。それをこの上なく可愛いと思ってしまうのはやっぱり秘密――で。いつも越前が抱いているのも、きっとこんな秘密なのだろう。 そう思ったら、この小さな後輩が何よりも愛おしく思えて。 それでもたまには本音を見せ合うのも悪くはないぞと心の中で囁きながら、乾きはじめた黒髪に、そっと口唇で触れた。 今度こそこの場に、誰もいない事を確認した後で。 END |
●あとがき● イッツ尻切れトンボ。うう、切れた尻は痛いよ。んまあ、お下品。て、それはともかく。うちの桃ってやはり……ダシか……。すまんね。とりあえず、正真正銘のラブコメですね。もっと越前が余裕かましてて、ぐるぐると部長がひとり上手する話のはずだったんだけど。おっかしいなあ。しょせん最後には差し出されてしまう、手塚への作者の救いの手(笑)。ポエマーならぬモノローガー(造語)手塚炸裂。怒らずに、笑って下さい。へこ。 |