UP20020419
青学メモリアル:6 彼と彼らの特権
日曜日。 午前の練習を終え、昼休みを迎えた青学テニス部の面々の中で、ガシャガシャと弁当をかき込みながら、桃城があたりを見回した。 「越前、どこ行ったんだ?」 「さあ」 カチローが首を振る。 晴天の許、珍しくも今日は、堀尾、カチロー、カツオの三人組が桃城と弁卓を囲んでいる。が、そこにリョーマの姿はない。 「部室……じゃないよね」 なんとなく、カチローが呟いてみる。 「部室は今、手塚と大石が陣取って打ち合わせしながら食事してるから、いないと思うよ」 唐突な、背後からの声。 「あ、不二先輩」 「越前君に限って、そんな理由でいじけて姿くらますって事もないと思うけど……」 他には聴こえない程度の声で呟く不二。 何にいじけるかといえば、手塚が昼休みも自由にできない、という点に関してだ。 しかし不二の考えるように、これはリョーマにはありえない。もともと手塚とリョーマの二人は、部活動の中で必要以上にベタベタと引っ付いたりはしない。ゆえに、二人の関係は不二と乾、菊丸の三人しか知らないのだ。普段の部活動内の昼食だって、数えるほどしか一緒に摂った事がない。それだって土曜日など、部活に来る前に教室でひっそりと一緒にいるくらいだ。 別段、今ここにリョーマが一緒にいないからといって、堀尾達的に特に場が盛り下がるという事でもない。ただなんとなく、いつもいる者がいないと気になる、それだけだ。そうでなくとも普段から気まぐれな男であるし。しかし、あまりまわりのペースに合わせるタイプではない彼でも、昼食時に一年生グループの中にいないというのは珍しい。 「リョーマ君、どこに行っちゃったのかなあ」 「腹でも壊してんのかな?」 いや、案外どこかで、昼寝でも決め込んでいるのかもしれない。 桃城を含めた四人は、なんとなく通り一遍あたりを見回した後で、ふうん? と首を傾げたまま昼食を再開した。 「不二」 不意の小声に不二が振り返った先には、チョイチョイと手招きをする乾の姿。 「どうしたの、乾」 「面白い情報があるんだが」 「……? 何ソレ」 意味深な笑いを浮かべる乾に、いぶかしげな表情を向ける不二。 「今俺についてくると、もれなく面白いものが見られるぞ」 「……??」 訳がわからないながらも、歩き出した乾の後をなんとなくついていってしまう不二。おそらくこの乾が面白いというのだから、確かにそうなのだろう。 コートから少し離れた場所で、乾が静かに指を差す。 「あれ。どう思う?」 「どうって……」 乾の指差した方向に視線を向けて、不二は思わず開眼しそうになってしまった。 「あれぇ」 丁度良い日陰を作る木のたもとに、珍しい二人組の姿があった。 リョーマと海堂である。 「どうしたの、あの二人……」 木に寄りかかってカツカツと無言で弁当を口にする海堂とは微妙にずれた位置で、リョーマは同じ木に身体を預けて目を閉じている。外で食べるのに丁度良い具合にと気を遣われたのが明らかである手製の弁当を、あくまで上品に食す海堂。そしてその側方でゴロリと転がったままのリョーマ。 至近距離にいながら、二人はまったく言葉を交わす気配もない。 すでに覗き見が得意技になりつつある不二は、物陰に姿を潜めたまま乾を振り返った。 「ちょっと乾、どういう成り行きでああいう事になった訳?」 「う〜ん」 パラパラとアヤシゲなノートをめくる乾。 「もともと二人で示し合わせた訳じゃないみたいだな」 普段から独りでいる事の多い海堂のいる場所に、たまたまリョーマが独りでやってきた。つまりはそういう事らしい。 「……でもさ、二人で鉢合わせになって、どっちもその場を離れないのって?」 独りになりたい者同士がその場で出くわした場合、どちらかが踵を返しても良さそうなものだ。 「そこが面白い情報なんだよ」 表情を隠す眼鏡の奥で、おそらくは微笑みながら、乾はノートをパラパラと繰り続ける。実に楽しそうだ。 「越前と海堂、まれにあんな風に一緒にいる事があるみたいなんだな」 乾の言葉に、不二はキョトンとなってしまう。それは不二も初耳だ。 「どうして」 「まあ、あくまで統計に基づいた憶測でしかないんだが」 一体どんな統計なのか興味深い所だが、それはともかく。 リョーマが時々、ちょこんと海堂の近くに歩み寄る。 そして海堂の方は、それを拒まずまた立ち去る事もない。 この状況が成立する事が、時々あるのだ。その時というのはすなわち、リョーマが何事か抱え込んでいる事があって、更にそれを誰かに伝える事をしようとしない時。 「……どーゆー事」 「越前が自分の中で整理したいものがある時に、その辺の気持ちを無言でぶつけられる相手として丁度いいみたいだな」 「無言で?」 「そう。『俺的にはこうなんだけど?』みたいな事を、口には出さずに投げかけられる相手、という事だな」 つまり、物理的に相手をしてもらいたい訳ではないのだ。ただそこに、佇んでいるだけで良い。傍から見れば、ずいぶん利己的というか、我が侭な気まぐれの対象とされているようなものだが。 「海堂はその事、知ってるの?」 「おそらくはな。知っているから、ああやって相手にしているんだろう」 ただ無言でそこにいるだけなのだから、相手にしているも何もあったものではないが。 「越前君てば、水臭いなあ。何か心配事があるなら、僕に言えばいいのに」 いらんというほどリョーマのあらゆる問題に首を突っ込みまくっているという事実をさて置いて、不二はさも心外だと言うように呟いた。 「妬くな妬くな。適材適所というヤツだろう。ああいう時もあるさ」 しかしそれでは、リョーマのご機嫌ひとつでまわりの人間がすべて動いている、というような気がしないでもないのだが。まあ、わがままプリンスにはありがちな光景なのかもしれない。 それに巻き込まれているひとりかもしれない乾はしかし、完全に面白がっている。 「でもあんな感じで、本当にいいのかな?」 「終始無言という訳でもないらしいぞ。時々は……」 「ねえ」 小さな、リョーマの声。 昼寝の体勢を崩さないままのその呟きは、海堂に向けられたものだ。 ほらな、と、乾は不二に目配せする。 「海堂先輩って、好きな人いないの」 「……」 「うわ、越前君、直球すぎ……」 リョーマの言葉に、無言のままの海堂とは対照的に、口許を押さえてしまう不二。 「そういうのってさ、ホントに面倒っスよね、……実際」 海堂は何も言葉を返さないが、それでも構わないのか、むしろその方が都合がいいのか、リョーマは独り言のように淡々と言葉を綴る。海堂は海堂で、聞いているのかどうかも怪しい素振りで、しかし大人しく弁当を食べ続けている。 「好きなその人のために何でもしてやろう、とか、そういうの解らないでもないけど……そんなんじゃ後々、自分が困ったりするんじゃないのかな」 リョーマの言葉には今イチ脈絡がないというか、いきなりそんな事をつらつらと言い募られても、相手は困る。しかしその相手である海堂は、あくまで無言を決め込んでいた。 盗み聞きの不二だけが、ふと乾の方に顔を向けた。 「越前君の今の悩みって……もしかして、手塚がらみ?」 「だろうな」 リョーマが珍しく好きな人云々と口にするのだから、それはほぼ間違いなく手塚に関する事だろう。大体、彼にとって自分ひとりで解決できないほどの悩みなど、手塚の事以外ではあまり考えられない。もともと、何かを人に相談するようなタイプではないし。 「大体、その相手にそこまでする価値が、あるわけ?」 瞳を閉じたまま、呟き続けるリョーマ。 「おいチビ」 「……」 海堂が初めて口を開いて、リョーマはふと目を開いた。 「そういうテメーはどうなんだ」 「……」 「手前でそういう風に思う事を、自分では一度もやってねえのか」 「……俺は、違う。そのヒトのために、何かしてやろうとか……そんなんじゃない。その人のためじゃなくて、もし誰かからそう見えてたとしても、それは俺自身がそうしたいからで、だからそれは俺自身のため、で……」 リョーマはそこで、言葉を切った。 何かを考え込むように、視線だけをさまよわせる。 「そう、なのかな?」 「……」 「あの人も、そういう事なのかな」 「さあな」 あくまで視線のひとつも合わせないままの二人。 微妙に言葉の足りない会話だが、それでも何気に成り立っているらしい。 「越前」 不意に遠くから呼びかけられて、リョーマはそちらに視線を向けた。 手塚である。 昼食を終えたのであろう手塚が、そこに佇んでいた。 「行け」 海堂の、たった一言。 その言葉で、リョーマはよいしょ、と、さも面倒くさそうにその身を起こした。 手塚の方へと歩いて行くリョーマをただ見送って、海堂は食事を再開する。 「……」 その光景を、不二と乾は不可思議な表情で見守るばかりだ。 「海堂って……もしかして、二人の事知ってるのかな?」 「これまでの行動結果から察するに、知っているようだな。だが意外だ。あんな風に、越前と接していたとはな。いい先輩ぶりを発揮しているじゃないか」 案外可愛いもの好きの海堂。しかし盲点だった。 「だけど、せっかく懐いてもらってても、やっぱり手塚には敵わないんだよね。海堂煮えたりしないのかな」 「ふぅん……」 つい自分的視点で意見を言ってしまう不二だが、海堂は何も、リョーマに懸想している訳ではない。あくまで兄が弟を見守るような、そんな感情だ。行儀の良い本物の弟を持つ海堂ではあるが、生意気盛りのカワイゲのない弟分、というのも案外ツボなのだろう。 だから、端から手塚と張り合うつもりはない。海堂にとっては、その手塚も尊敬の対象である大切な先輩なのだ。 そんな二人の間が平和であれば、それが海堂の平温でもあるのだった。 手塚とリョーマはというと、人気のない校舎の陰まで足を運んでいた。 「越前。また見られていたぞ」 唐突な、手塚の言葉。不二と乾の事である。 「ふうん? 気付かなかった。……別にいいけど」 「海堂と、何を話していたんだ?」 「……うん」 らしくもなく、リョーマはほんの少し俯く。 「ねえ、部長がいつも俺にしてくれる事って、全部俺のためなの?」 こちらもまた、唐突である。 「どういうことだ?」 「あんたが俺の事で動いてくれるたびに、無理してるんじゃないかって思ってたんだけど」 リョーマのわがままを、たしなめつつも結局聞いてくれる時とか。 リョーマとの時間のために、自分の時間を切りつめてくれる時。 思えば、二人だけで試合をした時も、そうだった。 あの時、手塚は左肘の故障を抱えていた。それを押してまで、リョーマの開花を促すように全力で挑んできた手塚。一歩間違えれば、自分が再起不能になってもおかしくなかった状況だ。 自分が何かを失う事も厭わずに情熱を傾けられるたびに、リョーマは思う。 自分のどこに、そんな価値があるのか――と。 こんな風に一緒にいるようになってからの二人は、お互いが少しずつ歩み寄るようになった。それは極々自然の成り行きだと思う。そうやって自分以外の人間が傍にいるのだと認識して、ある程度相手に合わせる事ができないようなら、その二人は決して上手くは行かないだろう。それは無理をして、という事ではなくて、当り前の心の変化で。 けれど。 あまりにも個性の強い二人だからこそ、リョーマは思う。 自分の存在が、手塚に無理をさせてはいないか、と。 そんな事をこの人にさせているのかと、想像してしまったら、怖くなった。 よくよく、自分は手塚に対してわがままを言っていると思う。実に自分の思うように振舞っている。世の中を斜に構えて眺めているような印象のリョーマが、彼相手に素直な心を見せるようになった結果だ。 そんな素直なわがままを聞いてもらえるのは嬉しい。 きっと、それを聞いてもらえなければもらえないで、手塚相手にへそを曲げて、喧嘩にでもなっているだろうと思う。 矛盾しているが、これはどうしようもないジレンマだ。 手塚の行動のひとつひとつが、自分のためなら嬉しい。 けれど、それでは手塚に無理が生じるのではないか。 でも、自分の性格は変えられない。 けど、だけど。 「それで、海堂に何て言われた?」 手塚は溜息をつく。その辺のジレンマを海堂に対してぶつけていたのだろうと、容易に想像できたらしい。 「ん……なにも。でも」 「でも?」 「なンか、わかった気もする。違うかもしれないって。俺もそうだから」 「そうだな」 手塚の言葉に、リョーマは彼の顔を見上げる。 「俺は何も、すべてお前のために色々な事をやっている訳じゃない。お前がお前のためにやっているかもしれないと思っているような事も、俺は、俺がそうしたいと思うからやっているんだ」 リョーマのためにではなく、自分のために。 リョーマの行動に合わせるような素振りも、リョーマを理解したいと、自分で思うから。 そう、今のリョーマのように。 以前、出会ったばかりの頃は、自分を見下ろすこの人を見上げる事が、なんとなく気に食わなかった。けれど、いつからかそれが苦にならなくなった。決して無理をしているというのではなく、自然とそういう風になっていたのだ。 手塚の方も、そういう事なのだろう。 「お前がそんな事で気に病む必要は、何もないんだ」 そんな風に思い悩んでいるなど、思いもしなかったくらいだ。 本当に、手塚にとって海堂の存在は、いい発信塔になっている。 リョーマは問う。 「俺がデートに誘うのも、無理矢理甘いもの食べるのに付き合わせてるのも、らしくもなく二人でくっついてるのも、部長にとっては、大変な事じゃない?」 確かに、そんな風に指折り数えていくと、ずいぶんたいそうな事のようにも感じないでもないが。 「俺への負担、という事ではなく、お前の特権だと考えておけ」 「特権?」 「俺にも、お前に対する特権はあるからな」 「……どんな」 自分が与えている手塚への特権など、リョーマ自身にはまったく思い付かない。 「他人の事を心配する、珍しいお前が見られる」 「何、それッ!」 あんまりな言い草に振り上げたリョーマの手は、いとも簡単に手塚の手の中に収められる。手塚がその手を自分の腰へと導けば、リョーマは素直に両腕をその身体に巻きつけた。 手塚もまた、そんなリョーマの肩に腕を回す。 ギュウ、と抱きしめた後で、手塚はその身をそっとリョーマから外した。 「ゆっくり休んでおけ」 そんな手塚の言葉に、リョーマは了解、とでも言うかのように微笑む。 ほんの三秒ほどの、僅かな抱擁。 これも、この二人らしい触れ合いなのかもしれない。 「また後で、ね」 そんな言葉で括って、リョーマはその場から駆け出すのだった。 「あれ、越前君が戻ってきたよ」 ふと視線を走らせた不二の言葉に、乾もその方向を見る。 弁当を食べ終え、優雅に茶の時間へと突入していた海堂の許へと、リョーマが歩み寄ってくる。そして先程と同じように、その側方へと腰を下ろした。 「なになになに、海堂って手塚公認なわけ?」 一度手塚に連れて行かれたリョーマが海堂の許へと戻ってきた事に、不二は驚きを隠さなかった。 別に手塚的には、誰に対しても公認も何もないのだが。 「うーん、お兄さんの地位確立ってところかな」 乾も楽しそうに、無責任な事を言う。 そんな二人のやり取りなど我関せずのリョーマは、あくまで海堂とは正面から向き合わないままに、へへ、と笑った。 「……特権、なんだって」 「ケッ……言ってろ」 「フフン。ま、ドーモ」 多くを語る事無く、上手にリョーマの中から答えを導き出した海堂への、ささやかな礼の言葉。海堂のこういうところに、リョーマもほんの少し安堵の場所を見出しているのかもしれない。決して口には出さないけれど。 本当は海堂だけでなく、他の人間にもそれぞれの場所で少しずつ、なのだが。 こういうところも、手塚と関わるようになってからリョーマがほんの少し変わった部分、と言えるのだろう。 それにしてもリョーマの殊勝な言葉というのも、そうそうは聞けるものではない。しかし、そんな事はまったく感知していなさそうな海堂の斜な態度。これもまた、この二人ならではの雰囲気なのだという事だろうか。 「海堂ってば、僕の知らない間にぬけがけなんて、いい度胸してるよね〜。いいなあ。僕も、手塚あたりのお兄さん狙ってみようかな」 「いや、なんかそれ無理っぽいし」 いつまで覗いているつもりなのか謎な、この二人。 「そうかなあ。やっぱりあれかな、越前君の弱み握って撫で回してる方が有意義かな」 「無茶苦茶言うなあ」 不二は不二で、ちゃんとそれ相応の場所がリョーマや手塚の中にあったりもするのだが、それだけでは彼には物足りないのだろうか。 「人聞き悪いなあ。人生は、最大限まで楽しまなきゃね。そう思わない?」 軽い調子でそんな事を言う不二の表情は、しかし怖いくらいに大真面目なのだった。 乾の懐にしまわれている『青学メモリアル』なるノートに、今回の事に加えてその辺の事が微に入り細に書き込まれたのは――言うまでもない。 END |
●あとがき● せっかく久しぶりの続きなのに、まるで閑話休題みたいなお話でゴメンナサイ;; このシリーズは、サイドの人たちを書くのが楽しいんです〜〜(苦笑)。ところでどうでもいい事ですが、ここでの青学は、土曜日も授業あります(笑)。隔週かどうかは知りませんが(苦笑)。今年度から、学生さんは毎週土曜日お休みなんですよねー。でも青学は現実と時間軸ずれてるし。むむう。 |