UP20010901
青学メモリアル:1 情熱の在処(ありか)
元々何が悪いって。 そりゃあ自分が悪いのだけれど。 「グラウンド30周とどっちが楽だったカナ……」 渋い顔でぼやきながら、越前リョーマはガシガシと床にモップを走らせる。 だって、何かというとすぐに走らせるのだ。あの鬼部長は。 だからつい「ワンパターン……」などと呟いてしまったのが運のツキ。それならばと即刻言い付けられたのが、部室の掃除。しかも、遅くまで部活にいそしむ放課後ではなく、昼休みに。 逃げたら走らせる、との部長の呟きを受け、仕方なく昼飯を胃の中にかき込み、リョーマはこうして部室でせっせと掃除に励んでいるという訳だ。 何しろ、リョーマを見下ろした時のマングースのような目は、いつもの倍の迫力があった。暫く夢に見そうだ。 「部活に遅刻なんて、今に始まった事じゃないのに」 リョーマは眉間に皺を寄せる。同じ事を繰り返すから部長がキレるのだという事に気付いているのかいないのか。 掃除と言っても、手塚部長の許、活動にいそしむ男子テニス部の部室はいつもキレイだ。少なくとも、他の男子クラブよりは。 この部屋に余計な掃除の必要性が無い事はひと目見れば分かるし、これとグラウンド30周ならば前者の方がはるかに楽だろうと普通なら思うところだが、何も考えずに身体を動かす事よりも『掃除』の方がリョーマのストレスにつながりやすいという事を、部長は良く知っている。楽な事では罰にはならないのだ。 そろそろ良いかな、などと考えていたところで、部室のドアが開いた。 「うぇ」 そこに現われたのは、掃除を言い渡した鬼部長、手塚国光の御尊顔である。 「終わったか」 「へぇーい」 逃げたら走らせる、との言葉通り、ちゃんと役目を果たしているかどうかのチェックにやってきたのだろう。マメというか、後輩の教育に身体を張っているというか。 「そんなに汚くないから、完了っス。いいでしょ?」 モップを置き、プラプラと雑巾を振ってみせるリョーマに、手塚は部室内をぐるりと見まわした。 「まだだ」 「ええ!?」 手塚は、壁の一点をついと指差す。 「そこの棚の上、まだできていないだろうが」 「えー、どこ」 「そこだ」 不可思議そうに首を傾げるリョーマ。手抜きをごまかせる相手でもないから、結構頑張ってやったような気がしたのに。 とぼけている風でもない様子に、手塚はリョーマを見下ろした。 「ああ……」 そういうことか。 見下ろしたリョーマの頭が、自分の肩にも満たない高さにあるという事を忘れていた。身長179cmの手塚と151cmのリョーマでは視点が違いすぎるのだ。 「ここだ」 手塚はリョーマの腰を後ろからグイ、と掴むと、ひょいと持ち上げた。 「あー、そうか」 得心したようにへら、と笑うと、リョーマはその棚に持っていた雑巾をパフン、と乗せた。 「おい……」 その体勢のまま悠然と雑巾がけを始めるリョーマに、手塚は顔をしかめた。 「いいじゃん、そのまま持っててよ。すぐ終わるっス」 手塚の二本の腕に支えられたまま棚の雑巾がけを終えると、リョーマはにっこりと笑って「ほい、終わり!」と嬉しそうに言った。 「そうか」 「わぁッ」 リョーマの言葉の直後に、手塚は無表情のままその両手を離してリョーマの身体を床に落とした。 ドシンと着地した後、体勢を崩したリョーマはそのまま真後ろの手塚の身体に倒れ込む。もちろん、手塚はその程度では微動だにしない。 「アンタねー……乱暴に扱って、俺の脚がどうにかなったら責任とってくれるんスか」 拗ねたように口を尖らせるリョーマに、手塚はあくまで無表情のまま言葉を返す。 「そんな事でどうにかなるような足腰ならいらん」 「ひっどいの」 リョーマは手塚に寄り掛かったまま、その腕を手塚の両脇に回し、彼の腕を取って自分の身体の前まで持ってきた。 他人が見たら、手塚がリョーマを抱きすくめているようにも見える。 「そんな事言って、俺に期待してるでしょ? 今よりもっと強くなるって思ってるでしょ」 「……」 リョーマは、ぐいと上を向いて手塚の顔を見た。 「アンタいつも、あんな風に身体張って後輩の面倒見てるの?」 非公式に組んだ、ふたりだけの試合の事を言っているのだ。 「おかげで俺は、色々と煮えちゃってるよ……知ってると思うけど」 悔しかった。最初は。 直後に、燃え上がった。 奮い立つとは、まさにこんな感じを言うのだ。 対戦した相手を『弱い』と感じた事は数え切れないほどあったが、リョーマは自分が最強である、などとおごった事はない。それでも、自分を打ち負かせられるほどの強敵に出会える事は、殆ど無い。 けれど、手塚はそれをやってのけた。 その実力で自分を叩きのめした後、彼は言ったのだ。 青学の柱になれ、と。 悔しさは、歓びと紙一重だった。超えなければならない相手は沢山いると頭では解っていたけれど、その第一の実物が目の前にいる。 こんな熱さを感じたのは、初めてのような気がした。 「部長がその力を見せつけるくらい、俺は有望でしょ? 部長だって、少しは本気だしたでしょ?」 少し、どころではない。 リョーマと試合をした時、手塚も全力だった。 手塚が全力を出す機会も、そうそうはない。 今ですら充分に強いというのに、新芽のように凄まじい勢いで伸びを見せるその力は、はっきり言って脅威だった。 後はきっかけさえあれば。 そう思って、いても立ってもいられない思いで試合を申し込んだのだ。 何よりも、その力をこの身体で感じてみたくて。 「びっくりするくらい、的確な目標になったよ。でも、アンタは相変わらず涼しい顔してるんだよね。俺ばっかり熱くなってるのに、ずるいじゃん」 「ずるいって、何がだ」 「ずるいよ。何考えてるのかわかんないから、いつまで経ってもアンタを遠く感じる」 「……」 「少しも、近くならない……」 どっちが、と手塚は思う。 リョーマはいつも、表情豊かだ。口数はさほど多い訳でもないのに、クラブの中ではムードメーカーになりつつある不思議な存在。その性格で敵も作りやすいが、味方も多い。 けれど。 根底では、何を考えているのか、手塚にすら読めない。 その安定した精神状態のなせる技なのか、リョーマの見せる表情には余裕がありすぎて、本当のところ何を思っているのか、さっぱり解らないと感じる時がある。 こんな風に本音を洩らす事すら、滅多に無いのだ。 同級生の不二にも通ずるところがあるから、こういう手合いの扱いには慣れているが。 「だって、部長ってにこりともしないよね。いつもしかめっ面でさ。ちゃんと俺の事見えてんの?」 にこりともしないというのは事実だが。 「そんな事が、お前に必要なのか」 「さあね、わかんないよ……でもさ、あんたの事目標にすると同時に、もっとあんたの事知りたいと思ったのも事実だ。なのにあんたって、いつも視線はこっちに向いてるのに、どこを見てるのか解らないよね」 痛いところをつく。 自然に視線がリョーマを追っていたのを、見抜かれていた。目が合った事だって無かった訳ではないのだから、当然かもしれないが。 けれど、どこを見ているのか解らないというのは、原因はこの後輩の方にあると思う。 時々、リョーマの方を見ながら自分が何を見ているのか解らなくなる時がある。彼を見つめていながら、自分が彼の中の何をこの目に留めたいのか。 自分にだって解らないのだ。 「もっと、見せてよ。あんたの色々なコト」 イタズラっぽく、リョーマは言う。 どこまで本気なのか。それでも珍しく雄弁な彼の姿に、新たな発見をしたような気分になって、手塚は呟いた。 「気が向いたらな」 「ケチ」 またも口を尖らせるリョーマの様子に呆れたように小さく嘆息した後、らしくもない自分の思考を振り払うように、手塚はリョーマの身体の前で組まされていた腕を解いた。 「お前の罰に付き合ってやったんだ。今度は俺に付き合ってもらうぞ、越前」 囁くような言葉に、リョーマの顔色が変わる。 「付き合うって、何に」 「イイコトだ」 げ、と逃げを打とうとするリョーマの腕をすばやく掴み、手塚は有無を言わさぬ力で彼を引きずって部室をあとにした。 校舎の陰で一点を見つめていた菊丸の肩を、通りすがりの不二がポンと叩いた。 「なにやってんの?」 「あ、びっくりした。不二か。……何か俺、凄く面妖なものを見ている気分になってるんだけど」 おかしな表情で言う菊丸の表情を見て、不二はその視線の先を見やる。そこはだだっ広いグラウンド。 「あそこでおチビを肩車して走ってるのって……」 「……手塚だねえ。そういえば、手塚のクラスは5限目体育だったかな」 すでに体操着を身につけている手塚は、リョーマを肩に乗せたままグラウンドをぐるぐる回っている。 「何ナノ、あれ」 呟く菊丸の面白い顔に向けてにっこりと笑った不二は、得心したようにグラウンドのふたりを見つめた。 「面白い方法を思い付いたもんだなあ。確かに越前君くらいの体格なら、丁度いいウォーミングアップになるかも。今度試してみようかな」 「そういう問題じゃないと思うけど……」 他の人間ならいざ知らず、あの手塚のあまりにも愉快な姿に、菊丸は呆然としている。 「まあま、彼らもあれで、色々と逡巡してるみたいだからさ。試行錯誤させてあげようよ」 不二の言葉は難解で、菊丸には良く解らない。 「訳も分からず、近くにいたいんだろうからさ……」 隣の菊丸に聞こえるか聞こえないかというくらいの声で呟いてから、不二は彼の肩をポンポンと叩いた。 「まあ、良く見ときなよ。後で越前君をからかってあげよう。手塚は怖いからさ」 嬉しそうな不二の微笑に呆れながら、それはそれで楽しいかもと、菊丸はグラウンドのふたりに視線を戻した。 「ねえ、部長。何か俺、今すっごく恥ずかしい事してるような気がするんスけど」 走る手塚の頭上で、リョーマが呟く。 「そうだろうな。悔しかったら、俺がネを上げるくらい身長を伸ばすんだな。牛乳くらいならおごってやる」 「牛乳はもういいよ……」 そうでなくとも毎日牛乳ぜめに遭っているのだ。手塚は信用していいと言っていたけれど、本当にこんな事で身長が伸びるのだろうか。 「いつか、部長を肩に担いで走ってやる……」 手塚を担いで走れるリョーマは、身長2メートルくらいだろうか。それはそれでおもしろおかしな光景である事に、彼は気付いていない。 「期待している」 走りながら呟いた手塚の言葉が、どこか愉快そうな響きを持っていたように感じたのは、気のせいだろうか。 あいにくと、頭上のリョーマから彼のその表情を確認する事はできなかったけれど。 こんな不器用な時間しか取れない自分達の堅さ加減と、それでもなお、そんな時間を求める己の情熱の在処をこのふたりが知るのは、あとほんの少しだけ先の事である。 END |
●あとがき● 「直後に、萌え上がった」と一発目の変換で出た時には笑いました。普段如何な文章を書いているかが……(笑)。で、一体私は何が書きたかったんだろう……。ていうか、お笑いでしょう、これでは。 |