UP20030303

口実





 だるい、雨。

 参ったな、とリョーマは思う。
 もともと今日は天気がよくはなかったけれど。
 部活が終わってから、今日はほんのちょっと遠出して本屋に寄ってみた。そこで立ち読みをしているうちに、もう降りだしているなんて。今日に限って、だ。
 家に帰るまで待っていてくれればいいのに、なんて、天気に向かって言ってみたところでどうにもなりはしないのだが。
 一度店の外に出かかって、再びきびすを返してしまうリョーマ。もしかしたら後少し待っていたら止むかもしれないなどと考える彼の頭の中には、よりいっそう降りが激しくなるかもしれないという可能性は存在していないらしい。

「……あれ」
 つい、声に出してしまう。
 店内の奥、文庫本のあるコーナーに、その姿を見つけた。
 手塚だ。
 これから購入するのであろう参考書を片腕に携えている彼は、外国文学の小説が並ぶコーナーで、小さな本のページをペラペラと繰っている。リョーマのいた雑誌コーナーからは死角になっていたから、今まで気付かなかった。おそらく向こうもそうだろう。
 部長でも寄り道をする事があるんだ、とリョーマはぼんやりと考えた。部活動以外で手塚の姿を見る事は、テニス部に入って間もないリョーマには滅多にない。同級生ならまだしも、先輩の私生活など案外知らないものだ。

 リョーマにとっての手塚は、いろいろな意味で興味の対象だ。
 そのテニスのセンスと強さは言わずもがなだが、そのカリスマ性の高さや、他人を惹きつける魅力。それに当てられているという点では、リョーマだって他と変わらない。同学年の人間はそうでもないのだろうが、リョーマのように学年の違う後輩は、テニス部内外を問わずに遠巻きにして見ていることが多い、馴染みがたい先輩だ。
 どんな人なんだろう。何を考えているんだろう。
 手塚に憧れる人間は、皆一様に彼の深い部分を知りたがる。
 リョーマもそのひとりだ。
 憧れてる、とか。そんな風には思いたくないというか、あまり考えた事はないけれど。
 リョーマの性格からは珍しく、たまにアプローチを投げかけてみても、いつもさらりといなしてしまう隙のない人。まったく相手にされていないのならまだ納得も出来るのだが、微妙な反応は返ってくるから、なお質が悪い。そんなつもりはないのだろうが、リョーマの反応を逆に楽しんでいるようにも見えてしまうのだ。なんだか憎たらしい。
 その余裕の佇まいは一体なんだ。

 振り向かせてみたい。
 視線を自分に向かって釘付けにしてみたい。

 そんな欲求が、リョーマの中にいつからか存在していた。
 テニスの事も、それ以外の事も、この人の事を、知りたい。
 それを独占欲と呼ぶのかもしれないとか、どこからそんな想いが湧き出してくるのかとか、そんな事はあまり考えたくはなかったけれど。

「部長」
 歩み寄って声をかけると、文庫本を手にしていた手塚は、無表情のままでリョーマの方へと向き直った。が、すぐに再び本へと視線を落とす。
「越前か。……どうした」
 本のページをめくる手を止めないままに、手塚は短く問う。興味があるのかないのか。まったく曖昧な態度だ。
「雨。降ってきたっスよ」
 リョーマの言葉に、手塚はふと手を止めた。
「そうか」
 それだけ言うと、手にしていた本を静かな動作で棚に戻す。が、手塚は本を戻したその手で棚の別の場所をたどり始めた。ここを離れるつもりはないらしい。
 手塚も自分と同じで、雨が止むのを待つつもりなのかもしれないと、リョーマは考えた。
 その横顔を見つめる。
 ――邪魔にされてる訳じゃないみたいだし。ここにいたって構わないよね。
 こんな風に他人のそばにいようとするリョーマは珍しい。だが、そうでもしないとこの人の事は本当にわからない。わかりたいと思う事自体が、リョーマには珍しい現象なのかもしれないが。
 手塚の隣で、その辺にある本を手に取ってみた。パラパラと中を覗き見てみるが、興味がないし、さっぱりわからない。まともに読もうとしていないのだからわからないのは当然だが。
 そう。わかろうとしなければ、わからない。
 本の中身も人の中身も、一緒だね。
「……?」
 そんな事を考えながら本を戻していたら、ふと視線を感じたような気がして。リョーマは顔を上げた。
 隣の手塚を見てみるが、彼の視線は再び手に取った本に注がれている。

 ――いや。
 見てたよね。
 そんな風に思う。
 多分たった今まで、手塚は自分のことを見ていた。そんな確信がある。
 自分も時々手塚の事を意識していたから、逆に気付くこともある。彼の、自分に注がれる視線に。部活の時も、そうでない時も。時折強烈に感じる、手塚の視線。
 たまたま見かけたとか、そんな生易しい眼差しではない事を、リョーマは知っていた。
 手塚が、自分を見つめる。
 何かを探るように、あるいはその姿を、瞳に焼き付けるように。

 それはとても熱くて、痛い。

 だから本当は気付いている。
 リョーマが手塚を見つめる情熱が、一方通行のものではないという事に。
 多分、この人と自分の抱えているものが、一緒なのだという事に。

「部長って、休みの日は何やってるんスか?」
 唐突に、そんな言葉が出てしまった。
 他にもっとマシな話題の振り方があるだろうにとも思うが、言ってしまったものは仕方がない。今度こそ驚いたのだろうか、手を止めた手塚は、そのままリョーマを凝視した。
「別に……色々だ」
 簡潔な、手塚の答え。相変わらず愛想も何もない。
「何スか……色々って」
「色々だから色々だ。休みになる度にテニスばかりをしているわけでもないし、勉強だけしているわけでもなければ、釣りばかりしているわけでもないだろう。だから色々だ」
 一理あるが。
 この人って、釣りなんてするんだ、とリョーマは思う。普通、自分でするのでなければ『釣り』などという言葉は出てこないだろう。
「ふ〜ん」
 自分で話題を振ったものの、大して気のなさそうな相槌を打って、リョーマはそれでも手塚の言葉を頭の中に留めた。
 たったひとつだけれど。手塚の事を、新しく知った。
 そんな些細な事にわくわくするような妙な気分を抱きながら、リョーマは大きな荷物を背負いなおした。
「んじゃオレはお先に失礼するっス」
「そうか」
 ほんの、短い会話。
 それだけでも何だか楽しい気分になりながら、リョーマは手塚から離れて歩き出した。

「……」
 しかし、店の外に出てみれば、雨は未だに降り続いている。そんな短時間で止めば世話はないのだが、先ほどよりも大降りになっているような気がしないでもない。
「何だよ……全然止んでないじゃん」
 誰も止むとは言っていない。
 ため息と共に、諦めて走り出そうとしたリョーマだが。
「越前」
 さっきまで聞いていた声に、呼び止められた。
「部長?」
 振り返れば、会計を済ませた本を抱えた手塚がそこに立っている。
「これを使え」
 そう言って彼が差し出したのは、きれいにたたまれた、折りたたみの傘。
 ――傘、持ってたんじゃん。
 しつこいようだが、誰も持ってないとは言っていない。
「いいっスよ……部長が濡れるし。オレん家近いっスから」
 とりあえずは遠慮をしてみるリョーマ。
「いいから持って行け。俺はすぐそこからバスに乗れるからいい」
 けどそれじゃ、せっかく傘持ってる意味がないと思うけど――と思いつつも、ここまで言う手塚の好意を無にするのもためらわれる。これで断って、万がいち風邪でもひいた日には、それ見たことかと叱咤されるような気もする。
 いいって、言ってるんだし。
「……ドモ」
 素直に、受け取ってみる事にした。
 そうして受け取った傘をばさりと広げて、そのまま歩き出そうとしたが。
 ふと思い立って、リョーマは背負ったバッグの口をあけて、中をあさりだした。
「部長、はい」
 ポイと、手塚の頭に白いものを乗せる。
 お気に入りの、白い帽子だ。
「越前?」
「頭くらいは守れるでしょ。かわりに貸しときマス」
 手塚には、似合わない事この上ないが。
「おい……」
「いやならこの傘も返します。おあいこでしょ。……あ、一応それ大事なものなンで、明日には返してクダサイ」
 有無を言わさずそれだけを言って、リョーマは振り返らずに走り出す。手塚からは見えないが、その表情は、悪戯っぽい笑顔に変わっていた。
「……」
 やれやれ、と、手塚は思う。相変わらず、マイペースで強引な後輩だ。
「……?」
 はて、と思う。
 リョーマは明日返せといったが、明日は日曜日で久しぶりのテニス部オフ日だったはずだ。部活動はないから、二人が顔を合わせる事もない。まさか、その事を忘れているのだろうか。
 ――いや。
 手塚はふと、目を細めた。
「口実に、使っていいという事か」
 らしくもなく、ひとり呟く。
 明日返せと言っただろう? と。
 もう、気付いているのだろう。あの後輩は、自分達の中にある戸惑いも、微かな情熱も。だったらそろそろ、距離を縮めてみてもいい頃だ。

 ふう、とため息をついて、手塚も歩き出した。
 確か自宅にも、部員名簿のコピーがあったはずだと記憶をたどりながら。




END





★最近の氷村の傾向なのか、また初心に戻ってみたり(笑)。でも相変わらず、リョーマさんのほうからアプローチが。うちの手塚って小心者なのかな?



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