UP20050731

 

                                   瞳に映る空と君と



 は、時々何もしないときがある。

 ククールがそんな風に感じ始めたのは一緒に旅をするようになって、しばらくの時間を過ごしてからだ。
 何もしない、という言葉で表現していいものかどうか。なにも戦闘の局面において攻撃も回復も一切しない、ということではなくて。また街や村に立ち寄ったときに、買出しやらなにやら必要な事をサボるといったような、具体的にセコいことを言っているわけではない。
 一日をどこかの宿で過ごすとき。
 道中の道端で身体を休めているとき。
 普段の彼は、いつも何がしか身体を動かしていて、男の割にはかいがいしいといったイメージを周囲に与える。馬車を引くミーティアの毛並みを整えたり。頻繁に武器屋や道具屋に出入りしては、必要なものを買い揃えたり。野宿と決まれば簡単な晩餐の準備だって率先してやるし、道具の整理だって欠かさない。
 けれど時々。
 本当に時々、は何もしない。
 夜を過ごす宿の部屋の窓辺で。身体を休める草の上で。
 黙って空を見上げたり、その場に寝転んで静かに瞳を閉じていたり。
 ただ、じっとしている。
 それが悪いイメージというわけではなくて、むしろいいとか悪いとかそういう次元の問題でもなくて。

 そうやって動かないでいるは、なんとも不思議、なのだ。

 なにもしないでそこに佇んでいるだけなのに、そう見えない。
 どう表現していいのか、わからない。




 チラリと目を向けるククールの視線の先で、今もは目を閉じて仰向けに寝転んでいる。柔らかな下草の上で、両腕を適当な方向に投げ出して。
 そんな彼は、ただ静かにそこにあって、それでも。
 そこに存在する色々なものを、そうやって受け取っているようにも見えるのだ。
 誰から、何から、なにを。
 具体的に言ってのけることはできない。けれど、そこにあるすべてのものから、ありとあらゆるものを。その身体に心に享受して、集約しているような、そんなイメージ。
 それが彼の戦う力になるのか、それとも生きて行く糧か。ただ単に情報として蓄積されて行くのか、はたまた何の意味もないのか。深いところまでは、誰にも察することが出来ない。けれど、それがにとって必要なことであるのだろうと、周囲は自然と認識していて、だからそういうときの彼には、仲間は誰も近寄らないでそっとしておく。旅の仲間は、の良き理解者でもある訳だ。
 けれどククールは、そういう彼を放っておくのが苦手だった。
 ふと気付いたときに、空気と一緒に消えてしまっているんじゃないかと。そんな風に考えてしまうほどに静かなその佇まいも理由のひとつかもしれないが、ぶっちゃけて言ってしまえば、道端でそうやっている彼は、ひとりにしておくと行き倒れそのものにしか見えないからだ。
 だから何となく離れがたくて、ククールはいつも、そんなの近くで木に寄りかかって復活を待っていたり、隣に座って一緒に呆けていたりする。それを嫌がる素振りは見せていないから、まあいいのだろうと。

 静かに腰を下ろしたククールのすぐ横で、気配を感じたは静かに目を開いた。
 けれどククールに視線を渡すでもなく、その瞳はまっすぐ上に向けられたまま、その視界の端にククールを入れている、といった感じだ。
 まるでひとこともなく。
 しばらくそうしたあとで、ククールはを見下ろして呟いた。
「何考えてんだ? いつも」
 静かなその一言に、の視線がはじめて動いた。その視界に、確実にククールを受け止めている。そうしてを取り巻く不思議な空気は、潮が引くようにそっと形をひそめた。
「……何も」
「そうか?」
 短い言葉の応酬。
「うん……何もってことはないのかもしれないな。けど、漠然と、色々。きっと意味はないんじゃないかな」
「ふぅん」
 淡々と呟くだが、静かな時間を中断されて、不機嫌になっている様子はない。これまでゼシカたちは多少気遣ってきたのかもしれないが、実はあまり繊細な問題でもないのかもしれない。
「まあでも今思ったのは――空が青いなあって」
「まあな……」
 なんとも返答のし難い言動。ククールはこういう雰囲気が得意ではない。けれど、今ここでといることに、不思議と不快さは感じない。
「青い空とか白い雲とか木々の緑とか、いいじゃん、なんか、そういうの」
「あん?」
 いきなり何を言い出すのかと、ククールはを凝視してしまう。
「そういう中に人の作った集落があって、色んな生き物が沢山いてさ。なんだかんだでひとつになって、この世界の中で生きてる」
 訳がわからないと顔に書いてあるククールを眺めて、はおかしそうに笑った。
「まあオレはどこで誰から生まれたかもまるでわからないんだけどさ。そんなオレでも、そういうことを感じるのは他のみんなと一緒で、どうして生まれてきたのかなって、生まれてきたことに意味なんてあるのかどうかもわからないのに、それでもここに生まれてきて良かったって、誰かがオレを産んでくれたことに本当に感謝したいくらい、オレこの世界が好きなんだよね」
 だからそれを満喫してるんだよ、と、はまた笑う。
「ふうん」
 本当は、考えていることはそれだけではないのかもしれない。けれど案外本当にそれだけかもしれない。わからないけれど、ククールは相槌をうつことしかできない。ふうん、だのへえ、だの。けれどはお構い無しだ。右から左に抜けているわけではなくて、それがククールの受け止め方だと知っているからだろう。




 いつからだろう、気付いたらククールは、こんなときいつものそばにいた。
 最初はそのことに、は違和感を覚えた。
 誰も近寄って来なかったところに人がいるのだから、その違和感は当たり前のものだ。
 けれどしばらくしたら、それにも慣れてしまった。
 いつもいるから。それが当たり前になって。いて当然、になって。
 そう、この世界と、同じ。
 いつも目の前に広がる抜けるような青空よりも近い場所に存在する、広い肩と銀の髪。そこにいるククールと、その向こうの、空。それはなんて立体的なコントラストだろうと思う。
 初めてのものが、当然のものへと変わって行く。この空も、ククールも。
 生まれたばかりの赤ん坊は、初めての空気を吸い込むために産声をあげ、大声で泣くものだろう。初めて開いたその目で見た光は、刺すほどに眩しいものではなかったか。もちろん憶えてはいないけれど。
 それらがどんどん、あって当然のものへと変わっていって、でもそれはなくてはならない大切なもので。なくなったら生きては行けないほど大切なものなのに、それは普通にそこにあるもの、で。
 今のたちは、それを失ってしまうかもしれないのだ。
 当たり前のものが、なくなるとき。
 そんな日は来なければいい。
 それらを護るために今の自分たちはここにいて、そのために自分たちは、こうして旅を続けている。いつかお役御免になるときが来るように。
 青い空もとりまく空気も朝の光も、当たり前にあったから、そこで生きて行く者たちが存在し続けてこられたのなら。それらを護ってきた何かが、これまでずっとこの世界にはあったのだろう。

 だからは、いまここに存在するすべてのものを、その身体で感じ取る。
 失くしたくないものを、ひとつひとつ刻み付けて、記憶して。
 そう。きっとこれを。
 多分、これを――

「なんだよ、どーした?」

 寝転んだままのが、急に腰に纏わり付いてきたから、ククールは一瞬面食らってしまった。両腕をがっちりとククールの腰にまわすは、悪びれない様子でただ笑う。
「記憶してるんだ。放っとけよ」
 放っとけと言われても。
「あ、そ……」
 さっきから相槌ばかりのククールだ。
「たまにはただ傍にいて欲しいときだってあるんだよ」
「誰かに?」
「ククールに」
 何だそれは。ひょっとして愛の告白か。
「お前の考えてることは、複雑なんだか単純なんだか、お前流すぎてわかんねえ」
「いいよわかんなくて。そのうちきっと、おまえの記憶が教えてくれる」
 がこんな風にしていたことを、いつか思い出すときに。そのときにきっと、がどんなことを考えていたのか、わかる。
「気の長い話だな……」
「そうだよ」
 きっと。海も森も、そこにある草や土も。そこを駆け抜けるすべてのものを、余す事無く記憶しているのだろう。今それを辿って行く、たちのことも、全部。だからも、全部を憶えておく。その腕に、胸に、身体中全部に焼き付けて、消えない記憶として行く。
 物言わぬ彼らもも、きっと同じだ。
 そう、きっとこれを。
 多分、これを。

 愛している――というのだ。

 愛で世界を救えるだろうか。それはわからないけれど。
 愛はきっと、その対象を救うことができる。
 愛するものを救うことは、できる。

 だからは、この愛おしい世界を自分も救うことができるんじゃないかと、そんな風に思っている。ひとりでは無理でも、この世界を愛する多くの力で。
 そしてもしも自分や世界を愛するものたちが、この世界からも愛されているなら。
 それは無敵の相思相愛ではないかと。

「ククールはきっと、オレを救うよ」
「……なんだ、そりゃ」

 ――知っているよ、オレを癒すときの、おまえの透明な光を。
 時折向けられる、本当はまっさらで汚れのない、敬虔な祈りを。
 そしておまえを焼き付けようとする、己の心の、その意味を。
 その想いを、何と呼ぶのかを。

 ほんとうは きみも しっているはずだ。

 だから、絡めた腕を振り解かない君が、ここにいる。
 この目に映す青い空と君の姿を、自分の中にそっくり焼き付けようとするのを、邪魔しないように、静かなままで。

「ククールはきっと、オレを救う」
「ふーん。じゃあオレのことは、おまえが救ってくれんの?」
 繰り返した言葉に、ククールが冗談めかした反応を返す。こんな些細な言葉の応酬の本当の深淵を知るのは、多分ここにいるお互いだけ、だ。
「そうだなあ」
 は、ククールに撒きつけていた腕をするりと解いた。そしてムクリと起き上がり、大きく伸び上がってその場に立った。
「そうするか」
 の言葉にククールは返事を返さなかったが、立ち上がった彼の後を追うように自分も腰をあげた。独自の休憩時間の終了を読み取ったのだろう。
 そのまま二人、仲間のもとへと歩き出す。
 言葉が少ないのは、多分、言葉にしない部分をわかっているからだ。
「たまにこうやって呆けてるおまえは変なヤツだけどさ。そのあとに見せるおまえのその顔を、オレは結構気に入ってんだよ」
 呟くようなククールの言葉を、は受け止めてただ笑う。
「うん」
 それだけを、返した。

 ふと広げたククールの視界に飛び込んでくる、いつも通りの景色。その端には、少しだけ前を歩くの姿。
 が何を見つめていたのか、ククールはわかった気がした。
「……失くしたくねえモンは、護るしかねえよなあ」
 ククールの言葉が聞こえたかどうかはわからない。は無言のまま、幾分か楽しそうに前を歩いている。


 失くせないものを、その胸に、身体に取り込んで、護ろうとする。
 そんな二人とその仲間たちを内包する青い空は、物言わぬままただひたすらに、静かにそこに、青の輝きを放ち続けていた。






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何年か前に、氷村は曲作りもしていたんですけどね、その中の代表作みたいなのが3曲あって、そのうちの1曲を聴きながら構築した話だったりします(笑)。だからタイトルもその曲と同名だったり。
でもなんだか〜、昔書いたアンジェリークの長編とテーマがかぶってしまった感もあったり……(苦笑)。

 

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