All going to hell
騙される人間にとっての合理性〜


  さまよえるオランダ船という幽霊船伝説がある。16世紀の帆船Flying Doutchman号は神の怒りをかい、その乗組員は死ぬことを許されず永遠に航海を続けるというものだ。この船は1881年、海軍練習生時代の英国国王ジョージ5世を始め、最も最近では1942年のものまで、数多くの目撃談が残されている。現在でもこの船の存在は、船乗りを中心に多くの人に信じられている。


  金融犯罪の世界にも似たような伝説がある。終戦後、占領軍総司令部(GHQ)のもとに旧日本軍から接収した900億円相当の貴金属等を中心とする秘密資金がプールされ、戦後復興の秘密資金として企業に破格の好条件で融資され、その残りが日銀の地下室か或いはスイスの銀行に預けられ、今でも然るべき融資先を探しているというものだ。その秘密資金は、当時日本の経済機能を統轄していたGHQ経済科学局長ウィリアム・フレデリック・マーカット少将のイニシャルから「M資金」と名付けられたという。(彼はプロ野球2リーグ制の提唱者でもある)M資金詐欺というのは、この資金による融資話を企業に持ちかけ、手数料や準備金等の名目で金を騙し取る手口をいう。
詐欺師は人間の弱さに付け込むプロである。彼らは皇族や政府高官等の大物の名前を出し、或いは「国債還付金残高確認証」といった大蔵大臣の署名捺印が入った偽文書で信用させ次々と事件を起こしてきた。


  1968年、金融ブローカー山崎勇が某有名企業に「富士製鉄(暫く後に八幡製鉄と合併し新日鉄になる)にM資金の融資を斡旋し、120億円のリベートが手に入るので、金を貸して欲しい。」と言って、2200万円を騙し取った。彼らは、更に富士製鉄に対して、同社藤木専務の署名・捺印入りの偽造融資依頼書と念書を持ち出し、120億円のリベートの支払いを迫った。融資依頼書の内容は融資金額5000億円、取扱銀行は日本興業銀行、依頼者は後に経団連の会長職も務めた大物経済人永野重雄富士製鉄社長。念書には山崎に対して融資額の2.5%のリベートを支払うことまで書かれていた。


  1969年、元自民党代議士鈴木明良という人物が、全日空社長大庭哲夫を訪ねた。彼は自民党の現職議員、大石武一、原田憲の紹介状と共に「大蔵省特殊資金運用委員会」という名刺を差し出した。彼は切り出した。占領軍総司令官マッカーサーは帰国の際、大物政治家吉田茂に「M資金」を託した。吉田の死後「M資金」は日銀で眠っていたが、同委員会が然るべき融資先を探した所、全日空が選ばれたというのだ。融資額は3000億円、返済期限は30年、年利4.5%という破格の条件である。当時全日空の社内では、ダグラス社のエアバス導入を目論む大庭とロッキード社のトライスター導入を主張する若狭副社長の間で、激しい抗争が繰り広げられていた。この話に魅せられた大庭は資金で優位に立つべく、融資申込書や念書を何通も振り出してしまった。その一部は右翼の大物児玉誉士夫の手に渡り、児玉はこれをネタに翌年の株主総会で大庭を失脚させた。若狭が社長に昇進し、トライスター導入が決定されるが、この過程で児玉や田中角栄首相に巨額の賄賂が渡されたことが暴かれ、ロッキード事件へとつながっていく。


  1975年の東急電鉄2兆円融資事件にも「M資金」が関係していると言われている。西オーストラリアで大規模な宅地開発を計画していたグループ総師五島昇は、その資金調達を腹心の酒井幸一常務に命じた。ホテルニューオータニの一室に陣取った酒井の動きは、すぐに金融ブローカーの間を駆け巡り、「M資金」を基とする融資話にのった酒井は、融資依頼書や念書を振り出してしまった。それらは当然コピーされ、総会屋に流れてしまう。押しかけてきた総会屋達は大騒ぎを起こした。東急は責任を酒井に押し付け、彼をグループから追放する。この後平成になっても、日産自動車副社長の藤井大至、インキ業界最大手の大日本インキ化学工業の川村茂邦社長、NKKの志賀学副社長など被害に合う人間は尽きることがない。


  「M資金詐欺」がこれほど有名でありながら、被害者は誰もが自分が聞いた話だけは本物だと信じたのである。そして彼らはさまよえるオランダ船に遭遇した不幸な船乗りのように、皆奈落の底に落ちていった。この世のあらゆる事象には合理性があるという。では騙された人間達にとっての合理性とは何だったのであろうか?


  日本企業内部にはダブルスタンダードがある。大企業といえども表の決算と、関係会社等を通じた裏の資金繰りがあるという事実は、これまで何度も新聞ネタになってきた。為替や株式の運用の失敗による巨額の損失の飛ばし然り、不良債権、在庫の隠蔽然りである。不良資産を秘密裏に処理するためには、当然公表できない資金が必要になる。表と裏の処理を続けている限り、そして問題解決の先送りと他人任せを続けている限り、常識外れの融資話には、何時でもニーズがあるのである。