「――っ、――ミ……なさい――」
誰かが呼んでいる。もう朝? 外はまだ真っ暗だというのに。
「ターカ、ユーミ、二人とも起きなさい。ユーミ!」
切羽詰った母の声。物静かで万事に控えめな母にはめずらしいことだった。
「ん〜〜〜……」
ユーミは甘ったれたぐずり声で、安眠を妨げられたことに抗議した。
「なによぉ〜お母さん……眠いよぉ〜」
「早く起きて、着替えなさい」
その声には有無を云わせぬ響きがあった。子供心に、いや、むしろ子供なればこそ、大人のそうした微妙な感情の動揺には敏感なのかもしれない。ユーミは毛布を引き摺りつつ渋々ベットから這い出ると、大欠伸をして顔をしかめた。シャンデリアの灯火が眩しい。目がしょぼしょぼする。
ターカが母に訊ねている。
「まだ夜中じゃない。何かあったの? お母さん」
隣のベットで寝ていたターカは、すでに着替えはじめていた。神童とほめそやされ、一族の大人たちからその将来を嘱望されている二つ違いのユーミの兄だ。
ターカはこの時十二歳、ユーミは十歳である。背伸びしたい年頃だ。兄妹とはいえ、そろそろ異性の存在がむず痒く感じられる年頃でもある。いまだ兄妹が寝食を共にしているということに不満はあったが、イルティーバ族の掟で、獅子狩りの儀式を経なければ一人前の大人として遇されないのだ。
「お祖父様があなたたちをお呼びです。身支度を」
母の声が震えていた。
評定の間はふだん、部族の偉い大人たちしか入ることができない。たとえターカ、ユーミら長老の孫たちであってさえ、近付くことの許されない聖域だ。そう、祭政一致のイルティーバ族にとって、まつりごとを司る場とは神聖以外のなにものでもない。子供たちにとってそこは、荘厳な神殿に等しいといえた。
物怖じせぬ兄妹ではあったが、さすがにこの場では緊張せずにはいられない。
「参ったか。さ、これへ」
壇兆の上に円卓がおかれ、年老いた男たちが彫像のように居並んでいる。その中心に座していた祖父グシェルが、枯枝のような腕をのばして、孫たちを差し招いた。
「儂の隣に参れ。そなたらの父の席じゃ。父の名代として席に着くのじゃ」
「は、はい。お祖父様」
ターカが紅潮して答えた。父の名代――その言葉の意味するところには思い至らずに。満座の長老たちの環視のなか、きざはしを進む小さな兄と妹。二人に注がれる視線にまじる憐憫や痛惜、それを感じ取るには、まだ兄妹はあまりにいとけない。
「では評定を続けようか。二の月の使者を通せ」
二人の兵士に両脇を抱えられ、評定の間に入ってきたその満身創痍の使者は、円卓の長老たちの前に跪くと、荒い息で云った。
「二の月守護城陥落! 大気圏結界防衛線、突破されました!」
或る者は瞑目して天を仰ぎ、或る者は色めき立つ。
「降星作戦に投入されるものと見られる次元穿孔艦、空挺輸送艦、強襲打撃艦多数を確認。第七惑星ルドナー周回軌道外縁の小惑星帯まで進出し、投錨しております。その数、概算にておよそ一万五〇〇〇隻」
注進におよんだその使者は、そこまで云うと固く下唇を噛み締め、押し黙った。血と煤にまみれた包帯だらけの体が、わなわなと震えている。
「いよいよ来たか……」
「うぬッ! ……ゼラン帝国めぇぇぇっ」
「お味方の軍勢は何をしておるのじゃ。本星域にまで敵の侵入を許すとは」
「味方が駆けつけるまで持ちこたえられそうか?」
「無駄だろうよ……」
「何と申される!? 無駄とは聞き捨てならぬ」
「楽観をやめよと申しておるのだ。各々方も誇り高きザーヌの諸部族を率いる領袖なれば、腹を据えられよ。考えてもみられぃ。敵の宇宙艦隊が現に指呼の間に迫りきたり、我等が咽喉を扼しておるのだ。お味方健在なりせば、この危急を看過するはずがあるまい」
「……」
「つまり――味方は敗れたのだ」
今や誰もが認めざるをえなかった。数日前からぽつりぽつりと途絶えてゆく遠い前線の消息。状況はその暗澹とした予測をことごとく裏付ける。
破竹の勢いで帝国軍を蹂躙しつつありと捷報が櫛の歯挽くようにもたらされ、誰もが圧政からの解放と自由への夢に酔いしれた日から、まだひと月と出ていない。暗転は急であった。
「さても云い甲斐なきお味方かな! 聞くところによると帝国側の総司令官は、十五かそこらの弱冠というではないか」
「さよう。机上の兵法しかわきまえぬ初陣の小僧、なにほどのことやあらん」
「その小僧にしてやられたのだよ」
「……信じられぬ。ザーヌ連合宇宙軍を率いていたのはグシェル殿のご子息ライル殿であろ。あの勇猛な戦士が、そんな小僧に後れをとるとは……」
「軍師アルゼン様もついておりながら、なんたることよ」
「その軍師様じゃが……あの老人、本当に信ずるに足る者なのか? 今更繰り言になるでの、黙してまいったが……」
「これ。魔道師様に対し、無礼であろう」
「本当に魔道師であるならば、な……が、どうもわしは気に食わぬ」
その言葉は、一同の胸に小さからぬ不審と疑念を芽吹かせた。というか、それは誰もの心の奥底にわだかまっていた想念ではあったが。
「しかし、おぬしもアルゼン様のすさまじき魔力をまのあたりにしたではないか」
「そ、そうだ。それに、魔道師ギルドの物心両面の後援あったればこそ、我等はこうして巨大な帝国に対し蹶起できたのでないか」
「そのことも、魔海制覇に邪魔な我等を破滅に追い込まんとて、巧妙に仕組まれた陥穽ではあるまいな?」
微かな不安が細波のように人々の上へ伝播してゆく。
「我等の没落が、いったいぜんたい魔道師ギルドになんの利をもたらすというのか……ゼラン帝国や炎樹連邦の勢力を伸張させるばかりではないか」
評定の間の円卓についたザーヌ諸部族の長老たちの目が、期せずしてイルティーバ族の長グシェル老に集まった。グシェルは淡々と現実を語った。
「地上戦の準備を。敵軍が間無しに降星してこよう。ベルセ殿、おぬしには星に残る船団を率いてランザーヌ星域から離脱してもらいたい。女子供を逃がさねばならぬ」
「し、しかし……」
「枉げて頼みたい。敵が布陣を終えていない今ならまだ間に合う。ザーヌの血を根絶やしにするわけにはいかんのじゃ。約束の時が満つるまで、な」
誰もがうなだれてグシェルの言葉をかみしめた。
長老たちの評定は、正直いって半分も理解できなかった。だが、何か容易でない事態が起こっていることだけはユーミにも感じられた。
グシェルは我が孫たちにむかって云った。
「ターカ、ユーミ。そなたらはこれより、この爺や父に成り代わりてネイゼルの丘に赴き、封魔殿を守護せねばならぬ。それが、祭司の家に生まれた者の務めなのじゃ」
ネイゼルの丘の封魔殿奥津城、そこにはザーヌ諸部族にとって伝来の秘宝たる、《熾炎剣》なる魔力剣が奉納されていると聞く。
ターカとユーミをそれぞれ両の手で抱き寄せるグシェル。盲いた灰色の目から泪が零れおちた。
「未だ獅子狩りの儀式も済ませてはおらぬ、年端もゆかぬそなたらにこのような試練を課さねばならぬとは……不甲斐ない儂を許しておくれ。老いさらばえて魔力をほとんど失うた儂に、もはや封魔殿は扉を開かぬのじゃ。余人にはこの役目、務まらぬ。当代の祭司たるそなたらの父ライルを継ぐ、そなたらにしかな」
ターカは俯いたまま何かじっと考え込んでいたが、きっと顔をあげるとかすれた声で喋った。
「お祖父様、だいじょうぶ。ぼくはだいじょうぶだよ。――でも、ユーミは……封魔殿守護のお役目は、総領であるぼくが一人で引き受けるからさ、ユーミはベルセ長老様の避難する船団のほうに入れてやって。お願いします」
兄への無邪気で他愛のない対抗心が鎌首を擡げた。ユーミは憤慨して叫んだ。
「あ、あたしにだって出来るもんッ!」
「だってユーミは女の子だろ」
「関係ない! そりゃあ、頭はお兄ちゃんのほうがいいかもしんないけどさ、運動はあたしのほうが得意だもん!」
「お祖父様の話を聞いてなかったのか? 頭がいいとか、運動が得意とかは問題じゃないんだ。魔力が強くなくちゃダメなんだ」
「いやだ……そんなのずるい!」
「ずるいって云っても、ユーミは魔力なんてからっきしないじゃないか」
「や!」
涙ぐんでいたユーミの顔がくしゃっとゆがんだ。グシェルが年老いた皺だらけの手で、ユーミの頭を優しく撫でつけた。
「よしよし……泣くでない。ユーミもターカと共にネイゼルの丘へ行きなさい。と云うか、行ってもらわねばならぬ。爺から頼む、この通り」
「へへ……わかった、おじいちゃん」
ユーミが勝ち誇って微笑む。鼻水を啜り、涙を拭った。
「しょうがないなぁ……足手まといになっちゃダメだよ」
それはターカにしてみれば、兄として妹をちょっと誡める程度の軽い気持ちから口をついて出た言葉だったのだろう。が、グシェルはにわかに孫を慈しむ祖父の顔から、三軍に叱咤する総大将の顔となり、厳しくターカを叱った。
「図に乗るな、こわっぱ! そのほうごとき半人前の小僧に、一人でライルの代りが務まると思うてか? 痴れ者めが慢心しおって……兄妹力を合わせて事にあたるべし!」
ターカとユーミをネイゼルの丘へと送り出してからのこと。
「お察しいたす。……グシェル殿」
長老の一人ベルセが、グシェルの肩に手をかけた。グシェルは両手で顔を覆い、肩を震わせて嗚咽を洩らしていた。孫を死地に追い遣る結果になるかもしれぬという悔恨が、老躯をうちのめす。
「部族の為とは申せ、可愛いさかりのお孫様二人を犠牲にせねばならぬとは……領袖とは辛きものですな」
「詮方もなし。祭司一族の宿命じゃて」
「しかし、我等ザーヌへの義をたてんとなさる志、分からぬではないが……魔操手の素質なきユーミ殿まで封魔殿に送ることはないのではありませぬか?」
グシェルは孫たちの去りし扉のほうに目をさまよわせた。と云っても盲目の彼には、残映を追うこともかなわぬが。
(……やはり、ベルセ殿も気付いておらぬか。あの子の潜在魔力の大きさに)
黄昏の荒野。茜色に染まった大地にふたつの騎影。砂埃をまきあげながら疾駆する駿馬、それを駆る騎手の体は遠目にも小さい。まだ子供であろう。が、なかなかどうしてその手綱捌きは堂に入ったものだった。
後尾のほうを駆けていた馬の騎手が拍車をあてて速度をあげた。先頭の騎馬と並ぶや、馬蹄の音に負けじと声を張りあげる。
「ねえ! ねえってばぁ!!」
風をきって疾駆しているので、なかなか声が届かない。
「なんだよ」
「聞えてんじゃない」
「……」
「あの地平線に見える山がネイゼルの丘なんでしょ!?」
「……そうだよ」
ターカがまっすぐ前を見据えたままつっけんどんに答えた。ユーミはさらに話しかけようとしたが、ターカの拒絶を感じて溜息をついた。まだ和解に応じるつもりはないらしい。
「……」
「……」
気詰まりな沈黙がおちる。
(なによ……ちょっと叱られたからって、ヘソ曲げちゃってさ)
しかし、ターカが祖父に一喝された経緯については、ユーミも多少良心の呵責を感じていた。だから、こうして兄との関係修復をはかるべく、宥和の姿勢を示しているのではないか。
(お兄ちゃんのバカ)
ユーミの馬がやや遅れた。ユーミは気を取り直して手綱を握り締めた。
(あれ?)
足許の草叢で、何かが光をはじいた。ユーミは馬から降りて草叢に寄った。
(あ! ラッキー♪ 金貨だ)
ランザーヌでも広く流通している帝国標準通貨の、一万リーズ金貨であった。為替レートはよく分からないが、ユーミの小遣い五年分には匹敵しようという大金だ。外貨で、しかも目下の敵国の通貨であるとはいえ、帝国標準通貨の信用度は高く、それに普天率土、天然金の価値は稀少であることに変わりがない。
こんなところで、一体誰が落っことしたんだろう?
(まぁいいや。とりあえず拾っちゃえ♪)
ユーミはそそくさと金貨を拾い、上着のポケットにしまいこんだ。
三〇フヤールほど先のところで、ターカが馬を止めてこちらを睨んでいた。ユーミは慌てて鞍によじのぼり、ターカの馬に追いついた。
「ごめん。ちょっと落し物しちゃって」
ターカは目で文句を云って、馬首をめぐらした。
兄はいつもこうだ。気分を害すると、頑なに口を閉ざすのだ。
(ちぇ! ……子供のクセにかわいげのないヤツ)
ネイゼルの丘――頂には環状列石がうっすらと霞みみえ、そこから麓まで伸びる石段がある。中腹あたりには石門があった。遠目には至ってシンプルな構成であるが、その石柱の巨大さは特筆に値する。ようやく石段がはじまる丘の麓に立ってみると、その雄渾にして精緻な構造に覚えず畏怖の念をかきたてられた。
馬を木に繋ぎ、二人は無言で石段を登った。その丘陵の比高はさほどのものではあるまい。ただ平坦な大地にあってぽつりと隆起したネイゼルの丘は、かなり遠くをも見霽かすことができた。
頂に至る頃には、不断の香かくやとばかり、いずこからともなく霧がたちこめ、なにかただならぬ霊妙な雰囲気がただよう。環状列石を仰ぎ見、二人はどちらからともなく顔を見合わせた。
「……ねぇ。封魔殿って? これ?」
円環の中央あたりの地面に、一辺三フヤールほどもある正方形の石板が埋まっている。周囲に繁茂する草木や伸び放題の蔓草が、訪れる者とてなかった永の年月を感じさせた。が、磨きぬかれた鏡のようになめらかな石板は、風雨に晒されていながら劣化の気配すらない。
「えっと……うん、たぶん。てゆーか、ぼくも伝承ぜんぶを口授されたわけじゃないし……」
しゃがみ込んで石板を覗くユーミ。不思議そうなおのれの顔が映っている。
「帝国のやつらから、ここを守ってればいいの?」
「う〜ん……」
いつの間にか兄妹の冷戦は棚上げ。
「なんか文字が彫ってあるね。見たことない文字だ」
「この碑文、たぶん真ルーンだよ」
「お兄ちゃん読める?」
「読めるわけないだろ」
ユーミは身を乗りだそうとして石板に手をついた。途端、石板がカッとまばゆい光輝を発した。
「えっ!? ちょ、ちょっとぉ――っ!?」
当然ユーミの体重を支えるべき反作用が、ふいと消滅した。ユーミの体はそのまま石板に沈んでゆく。夢中でまさぐった手が、ターカの足首を掴んだ。
「うわっ!?」
体勢を崩したターカもユーミもろとも石板に引きずり込まれ、消えた。半瞬後、光が熄み、石板はもとのなめらかな姿を取り戻していた。
おそるおそる目をあけたユーミの眼前に広がるのは、ドーム型の広大な空間に建ち並ぶ尖塔群であった。
「うっわー……まるで地下神殿だね」
「まるでじゃなくて、地下神殿だよ。すごいな。機構が生きているんだ」
地下空間というのは水が染みだしてくるので、放置すれば永い歳月をかけて地底湖となる。そのため地下構造物を維持するには、常時水を汲み出す仕組みが必要となる。イルティーバ族の技術では、せいぜい風車で水を汲み上げるくらいが関の山だ。そして、地上に風車など見当らなかった。すなわち、この封魔殿はイルティーバ族による造営でない可能性が高い。とすれば、
(コスメテル・リーフラート……)
ターカの脳裏に浮かんだのは、失われた古代文明の名であった。
「ともかく中に入ってみようよ。奥津城っていうくらいだから、きっと奥にあるんだよ」
「そだね。ところでその『おくつき』って何なの?」
「奥津城ってのは、お墓のことらしいよ。封魔殿奥津城が誰のお墓なのかは知らないけど」
「え〜〜!? お墓だったの!? 気味が悪いな……」
「恐がりだもんな、ユーミは」
「うぅ……やだなぁ」
ターカがぎゅっとユーミの手を握った。照れくさそうに正面を見据えたまま云う。
「だいじょうぶ。ぼくが一緒だよ」
「……うん」
ユーミはターカの手を握り返した。
兄と妹は、手を繋いで地下神殿の奥へと進む。どういう仕組みなのか、ドーム空間の内壁それ自体がほのかに発光していて、ちょうど月夜のような明るさである。
「お兄ちゃん、伝承どこまで聞いてる? 熾炎剣て何なの?」
心細さを紛らすように、話をふる。
「なん十万年も昔、宇宙には魔導司(ルーンゼイテス)ネイテルっていう大魔法使いがいたんだ」
「魔導司? 何それ? 初めて聞いた」
「そう。魔操手(ラグラー)や魔術士(ソーサラー)や魔道師(ウィザード)の上位に位置する魔召史(メイジ)の、そのまた上の魔法使いが、魔導司なんだ。古文書なんかでは、魔導司のことを《カナーセルの使徒》とも記述しているけれど。ぜんぶで十五人いたらしい」
「魔道師よりも上のクラスがあるの!?」
「魔法の歴史を知らない人は、魔道師こそが魔法使いの最高位だと思ってるらしいけどね、それは現代の世界でのこと。遥か太古の世界では、もっとすごい魔力をふるう魔法使いがおおぜいいたんだってさ」
「う゛……あたしも魔道師がいちばん偉いと思ってた」
「ユーミはまだ十歳だもん。知らなくて当然だよ。これから勉強すればいい」
ユーミは頭を掻いた。
「あたし、お兄ちゃんみたく頭良くないからなぁ……魔操手の素質もないみたいだし」
「この魔導司ネイテルは魔法具創造の名人で、今の世界で神器と呼ばれるものは、ほとんどこの魔法使いの作らしいよ」
「そんじゃあ、熾炎剣ってのもその人が創ったんだね」
ターカが肯いた。
「そう。ネイテルは七振りの魔力剣を鍛えたんだけれど、そのうちのひとつが熾炎剣ってわけさ。――ぼくたちザーヌ諸部族の御先祖様はね、魔導司ネイテルに仕えた一族だったんだ。ネイテルに熾炎剣を託されて、代々守護してきたんだよ」
「ふ〜ん……封魔殿奥津城って、ひょっとしてそのネイテルさんのお墓なんじゃない?」
「それは分からない。魔導司のレベルになると、もう人間の常識はあてはまらないと思ったほうがいいよ。人ってよりは神様に近い超越者なんだから。まだどこかで生きてるのかもしれないし、お祖父様がおっしゃるには、別の宇宙に行ったという説もあるそうだよ」
ユーミは歩きながらしきりに首をかしげた。スケールがあまりに途方もなさすぎて、いまひとつ現実感が湧かない。
「そんなすごい人の創った剣なら、きっと熾炎剣もすごい剣なんだろうね」
「たぶんね。でも、凄過ぎて、きっと誰にも使いこなせないよ」
「ん〜と、全部で七つあるんだっけ? ネイテルさんの魔力剣。ほかのやつはどこにあるの?」
「それもまったく分からない。ザーヌに伝わってるのは熾炎剣だけだから。ただ、こんな伝説もある――ネイテルの七振りの魔力剣はそれ自体が鍵になっていて、どこかの亜空間遺跡に、その剣を挿し込む七つの鍵穴があいてるんだってさ。七振りの剣がすべて鍵穴に一致すると、何かの封印が解かれるとかナンとか……」
瞳を輝かせるユーミ。
「オタカラの封印がとけるとか?」
「御伽噺だよ。吟遊詩人が好きそうな題材だから、誰かの創作じゃないの。――あ、行き止まりだね」
「扉がある……この向こう?」
石とも金属ともつかぬ材質の、繊細な彫刻が施された巨大な扉が、二人の行く手をふさぐ。ターカが扉を検めはじめた。
不意に、ターカの様子が変わった。厳しい顔で、キョロキョロと辺りを見まわす。
「何……何よう?」
ユーミは怯えて兄の背中にぴたりと寄り添った。
「わかんない。今なんか鳥肌が立っ――えっ!?」
「キャァ!!」
いきなりものすごい力で上着をひっぱられ、ユーミが転倒した。もつれるようにターカも倒れる。
(ククククククククク……道案内御苦労。お陰で結界のうちに入ること叶ったわ)
頭の中に殷々と響き渡る声。
「念話!? 誰だ!?」
ターカはすぐに体勢を立て直し、健気にユーミを背に庇った。
ユーミの上着を突き破り、小さな光が虚空に飛び出して静止した。
(え? え!? あ……あれ、あたしの拾った金貨だ)
神殿のあちこちの空間が歪みだした。その生まれた空間のひずみの中心から軋むような音が洩れてくる。
「召喚術だ……ユーミっ! ぼくから離れるなよ!」
巨大な漆黒の手足が、ぬ〜〜っと歪曲空間から伸びてきた。地響きをたてて床に降り立つ感応ゴーレムの巨体。全部で五体。
「ひぃいい! お兄ちゃんっ、こ、恐いっ!」
「ネーヴァ・ソンタルテ・ヘルヴ・トイルゼング・エスリム・ルーヴァス……」
ターカが呪歌を唱えだした。呪歌とはイルティーバ祭司家に独特の魔操律顕現の法である。ターカは十二歳の若年といえど、神童と謳われるほどの魔力の持ち主だ。
ターカの背中にぎゅっとしがみついて震えているユーミを、ちらりと見る。
(ぼくが闘わなきゃ……ぼくしか闘えないんだ。妹を守らなきゃ……)
ターカのかざした掌の先に、魔法の炎が収斂しつつ渦巻いてゆく。躍る炎に、薄暗い神殿の内部が明るく照らしだされた。
念が嘲笑うような調子を帯びた。
(ほほぅ……我と闘うつもりか、小僧。生兵法は怪我のもとだぞ)
「うるさい! これでも食らえっ!」
輝きが最高潮に達した火焔球を、一番近くにいたゴーレムめがけて投げ放つ。大人の二十倍は背丈がありそうな鋼鉄の巨人。その胸部に炸裂するターカの攻撃呪文。爆炎につつまれるゴーレム。
(ククククククククク……我がゴーレムどものミスリル積層装甲に、魔操ていどの術が果たして通じるかな?)
炎は掉尾の勢いとばかり燃え盛ったが、ゴーレムは事も無げに動いてターカたちに襲いかかってきた。白煙たちこめる中から姿を現したゴーレムは、ちょっと煤けてはいたが、これといってダメージを受けた様子は見られない。ターカは絶望的に呻いた。
(効かない……)
「お兄ちゃん! ききき来た来た! 来たってば!」
(ユーミだけは……ユーミだけは……)
ターカが強張った顔でユーミの腕を掴んだ。自分の上着を脱いで、ユーミの肩に羽織らせてやる。
「お兄……ちゃ、ん?」
「テルセ・トルエーヤ・ヴェンレ・セタ」
「な……にしたの? ねえ!?」
ユーミはターカの尋常でない瞳に不安を感じ、ターカに縋りつこうとした。が、不可視の壁にさまたげられて、兄に触れることができない。
「これからユーミの体を地上に空間転送する。たぶんネイゼルの丘の頂に出られると思う。ぼくがここで時間を稼ぐから、後はなんとか逃げ延びてくれ」
ユーミはイヤイヤと首をふった。みるみる涙で視界がかすむ。
「いやだよ……そんなの……」
ターカが優しく微笑んだ。
「さっきは、その、ごめん。ぼく、ユーミのこと、好きだよ」
「あたしだって……あたしだって、お兄ちゃん大好き!」
ユーミの体をつつみこむように展開された光の膜が、徐々にその輝きを増してゆく。
「いやだ! 待って! お兄ちゃーーんッ!!」
毒々しい赤に染めあげられた空には、巨大な降星艇が不気味な轟音をあげて黒い鳥の群のように飛翔していた。雲を切り裂き、まばゆい白光が流星のように軌跡をひいて地上に降りそそぐ。視界の森や街は火の海に沈んでゆきつつあった。
火の粉舞う丘陵の上で、煤けた上着を抱きしめた裸足の少女がその地獄の光景を茫然と、ただ見つめ続けていた。
まさに世界を焼き尽くす劫火と呼ぶにも相応しい炎。灼熱の風がその丘の上へも押し寄せ、枯木を焦がしてゆく。
「お兄ちゃん……」
少女――ユーミは呟いた。
(……)
ぼやけた視界。瞬きを繰り返すうち、次第に像がはっきりと結ぶ。まず最初に目に入ったのは、薄暗い天井の梁だった。横合いから誰かの手が伸びてきて、さかんに顔の前で振られた。
「やれやれ、どうやら気がついたみたいだねぇ……ちょいと、気付け薬持ってきとくれ」
「おう。お嬢ちゃん意識戻ったのかい」
誰かが傍でそんな会話をかわしているが、意識が朦朧としていてよく理解できない。全身がけだるく、力がはいらない。喉が焼け付くようだ。
「……み……ず」
かすれたか細い声で、渇きを訴える。まだ、ここがどこで、目の前にいるのは誰かという状況分析までは頭が働かない。
「水かえ? ――これ、イリュード。ついでに吸呑に水汲んできとくれ」
「よしきた」
ややあって頭を優しく抱え起こされ、口に吸呑があてられた。夢中で貪り飲む。
「これこれ。ゆっくり、少しづつ飲みな」
甘露が喉にしみわたり、どうにか人心地がつく。
夢を見ていた。子供の頃、自分の運命を一変させた、あの忌まわしい夜の夢。
(また、あの時の夢か……)
光の中で朧に垣間見えた情景が、今も目に焼き付いて離れない。勇敢に巨大なゴーレムへ向かってゆく小さな兄。その兄を容赦なく襲う巨大なゴーレムの鉄拳。兄の体はひしゃげ、壁に叩き付けられてバラバラになった。優しかった兄の顔は、無残にも柘榴のように割れ、眼球がとびだし、脳片が床に飛散していた。じわじわと広がってゆく赤い血溜り……
この悪夢から解放される時は来るのだろうか?
視線をゆっくりと周囲にめぐらせる。
「こ……こは?」
「ソレル街城、ライヴァントの場末の木賃宿さ。安心おし。この婆のアジトだよ」
「俺……生きてんだ……」
「あたりまえさね」
見覚えのある顔が目の前にある。あのローゼルテ街城の魔法具屋の老婆だ。
「あんたが助けてくれたんだ。ばーちゃん」
「働いたのはこの男だがね」
皺くちゃの老婆が、後ろに立っていた虎髭の巨漢に顎を杓った。
「そっか。ありがと」
「礼には及ばないよ。あたしゃ昔、お前さんのじい様、グシェル長老に命を助けてもらったことがあるんだ。やっと恩返しができる」
ユーミはシャン婆の顔をまじまじと見詰めた。
「ウチのじいちゃんの知り合いだったんだ」
上体を起こそうとしてもがいたが起きられず、諦める。首だけ動かして己の状態を確認する。体中包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「胸の傷はこの男が縫合したよ」
「殺り合った野郎は、凄腕の剣士だったようだな。傷を見れば分かる。が、踏み込みが甘かったようだ。間一髪だったな、お嬢ちゃん」
(貫き手がきいたのかな?)
眼への貫き手だ。動体視力にすぐれた剣士なれば、なおのこと間合いに微妙な狂いが生ずるかもしれない。
(……ユーアーサとかいったっけ。あんにゃろ、今度逢うことがあったら、絶対けちょんけちょんにしてやる)
他日の報復を誓うユーミであったが、ふと別なことに思い至り、頬をあからめた。
「……おっちゃん……俺の裸、見たな……」
「あ? ああ、治療する時にちょこっと、な。まァ、役得ってやつだ。――なかなか可愛らしいおっぱいだったぜ? がははははは」
虎髭の巨漢は豪快に笑った。
「スケベ!」
「おぅ。その元気がありゃ、もう大丈夫だ。しかしあれだ、帝国騎士どもと互角に渡り合うイルティーバ族の戦士といっても、やはり女の子だな。がははははは」
ユーミはますます紅潮して、そっぽを向いた。
不覚だ。少女っぽい羞恥心が残っているとは――あの時、女を棄てたつもりであったのに。実際、潜在魔力を引き出すための苛酷な鍛練によって、おそらく自分は子供の産めない体になっているはずだ。
(修行が足りないな、俺……)
照れ隠しに話題を逸らす。
「ちっとも互角なんかじゃない。カナングの呪酒の力を借りて、ようやく対等に闘えた。帝国騎士……あいつらみんな、バケモンだ」
右腕をあげてみる。何度確認しても、やはり肘から先がない。
「しばらくは幻肢痛に苦しむかもしれないよ?」
シャン婆が云った。
「なにそれ」
「腕を斬り落とされた時の痛みが記憶に灼き付いちまってるのさ。一度灼き付いた記憶ってのは、なかなか消えないからね。これから数年、もしかしたら一生、その痛みを追体験せにゃならない」
ユーミは自虐的に笑った。
「いまさら、そんな痛みのひとつやふたつ増えたって、どってことないもん」
シャン婆が痛ましげにユーミを見た。
「若い身空でそんなこと云うもんじゃないよ。まだ人生儚む歳じゃないだろうに。――後でウチの店から義手をみつくろってやろうかね」
「……ありがとう、ばーちゃん」
気力が凹み気味の時は、人の優しさが身に沁みる。不意に熱いものがこみあげてきて、瞬いたユーミの目から涙がこぼれおちた。
「ひゃっひゃっひゃ――いい子でねんねしてな。まず体を治さにゃ」
「そんじゃ俺はお嬢ちゃんをフケさす算段でもたてるとすっか」
「すまないねぇ、イリュード。真紅のおかしらにもよろしく云っといとくれ」
「なぁに、乗りかかった船だ。最後まで面倒見てやるぜ。それに、シャン婆さんは俺たちのお得意様だしな。お嬢ちゃんのことはまかせとけ。きちんと帝都から逃がしてやるさ」
虎髭の巨漢がユーミにウインクしてみせた。
「そんなことできっこないってツラしてやがるな、お嬢ちゃん」
「おっちゃんなにもんだい? ただの医者じゃないだろ」
「俺が医者に見えるかい?」
シャン婆が云った。
「どこの世界にこんな凶相の医者がいるんだい、まったく。この男は海賊さね。かの有名なパイレーツ・ギルドの大幹部、真紅って女海賊の右腕っちゅう男だよ」
「そーゆーわけだ。よろしく頼むぜ、お嬢ちゃん」
「海賊……」
「なぁに、ビビるこたぁねェ。ウチの連中は、みんな気のいい野郎どもさ。船にはお嬢ちゃんくらいの女の子だっているぞ。つい先日拾った戦災孤児でな。めっぽう気の強えー娘でよ、きっとお嬢ちゃんといいコンビになるぜ。がはははは」
「なんだか、俺を仲間にするみたいな口ぶりだね」
「そりゃオメェ、真紅海賊団の船に便乗するからにゃ、お客さんってわけにはいかんのさ。お嬢ちゃんの特技は何だ?」
ユーミはちょっと考えてから云った。
「歌と料理、かな? いちおー吟遊詩人なんだよ、俺」
「ほほぅ、歌と料理ねぇ。そいつぁイイ。ちょうど厨房が人手不足だってコック長がさわいでたところだ。がはははは」
イリュードの豪快な笑いに釣られ込んで、ユーミもかすか笑顔をみせた。が、すぐに傷の痛みに顔を顰める。
「今は養生専一だな。お嬢ちゃん」
〜続く〜