光と闇の海の果てに

第1話(6) INDEX 第1話(8)

〜第1話 邂逅(7)〜

 ローゼルテ街城の魔法具屋、シャン婆の嗄れ声が脳裏に甦る。
「この婆は魔力なんざ持ち合わせちゃいないもんでね。お前さんの器を測る事なんてできやしない。ただ、これだけは云えるので忠告しといてやろう。本当は魔術士(ソーサラー)ぐらいじゃなきゃ、手におえないシロモノなんじゃがねぇ……。お前さんが額面通り魔操手(ラグラー)並みの力を持つなら、おそらく半刻は大丈夫。それ以上は心身がもたんだろうから、すぐに中和剤を服用するこった。いいかい? 半刻だからね。……もし、制御を失った魔力が暴走すれば……こいつは魔法使いの血筋であるお前さんのほうが、この婆よりわきまえているだろう。何をか云わんや」
 ユーミは思い詰めた表情で、目の前に置いた、掌におさまりそうな小さな黒い瓶を見続ける。
 カナングの呪酒――瓶の中身、暗褐色の液体はそう呼ばれていた。おのれの命を触媒となし、魔力を飛躍的に増幅する古代の秘薬である。
 ユーミの祖父グシェルは、よく彼女に語り聞かせたものだ。魔法とは本来、人智のたちいるべき領域の摂理にあらず、と。だから、その理力の行使には畏怖と罪悪感がつきまとう。今この時も、常に心の奥底にわだかまる不安――もしかして、自分はとりかえしのつかない禁忌を犯しつつあるのではないか? その内在する恐れは、ユーミの精神をかき乱してやまない。
「ここまで来たんだ。もう後戻りはできない」
 ユーミは黒い瓶に震える手をのばした。


 ソレル街城は、富裕な市民たちの多く住むペルフェンゼル街城と二連星をなす魔工天体で、帝室の四季の離宮や諸親王家の御用邸がある風光明媚な星カルトヴァにもほどちかく、とこう人口の多い消費市場をひかえた立地で、ニーブレン星系有数の商業集積地となっていた。
 マリィとカールがソーコ夫人に伴われてやってきたのは、ソレル街城の中心都市のひとつ、ライヴァント地区。《聖刻の儀》を控えたマリィの衣裳を見立てるためである。
 帝国中にその名をしられた名店が建ち並ぶ通りは、さすがにマリィの心を浮き立たせるものがあった。
「たしかこのあたりだった筈なのですが……あ、ございましたわ」
 ソーコ夫人が馬車の背窓をこつこつと叩いて、御者に合図をだす。
「到着でございます、ひい様。若君」
 車寄せにつけられた馬車をおりてみると、そこは店というよりはごくありふれた裕福な家の屋敷のような構えで、蔦のからみついた鉄柵の門があり、薔薇の咲き誇る庭園があった。
「ここが仕立て屋さんですの?」
「ええ。近年では錚々たる老舗の高級ブティックを押しのけて、いくつもの親王家はじめ諸侯から御用達の墨付きを下げ渡されている店ですのよ」
 柔和そうな老紳士が、玄関でマリィたちを出迎えて深々と一礼した。
「いらせられませ。お待ち申し上げておりました」
「お出迎え大儀。こちらがくだんのレーゼンテ男爵令嬢、マリィ姫様であらせられます。そしてこちらは弟君、カール公子様にあらせられます」
「《ソ・ノーヴァ》店主オズでございます、マリィ姫様。カール公子様。このたびは私どもに晴れの日の御用命をたまわり、また、このような下つ方の弊店までご来臨をいただきまして、光栄このうえもございませぬ」
「マリィ・レーゼンテです。よしなに」
 横で姉の辞儀を見ていたカールも、倣って挨拶をした。
「カール・レーゼンテです。よろしく」
  「ささ。まずは応接室にてお寛ぎくださいませ。後ほど当店のデザイナーのほうから御案内させていただきます」
 オズが一行を店内へと招じ入れた。
 その日は《ソ・ノーヴァ》のデザイナーたちが京師の流行や帝国各地産の生地、宝飾品について説明し、マリィの意見を聴取したり、身体の寸法をとったりと、簡単な打ち合わせが行われた。
 広大なゼラン連合帝国の各地から取り寄せられた生地は数千万種類にもなり、なかにはドワーフ族の名工が織り上げたドワーフ織なる稀少な逸品もあった。
 《聖刻の儀》に必要な衣裳は、有爵位の家の婦女子で、正式略式それぞれの儀典用帝国貴族礼装、アフタヌーンドレス、ローブデコルテといったあたりを中心に二十着から三十着にもおよぶ。皇族や格式の高い名家の出自ともなればこの数字はさらに大きくなり、小国の国家予算並みとわれる喩え話もあながち戯れ言でない巨額の服飾費が費やされるのだ。
「ではご意見をもとに、いくつかの図案を作製させていただき、数日中に外苑の上屋敷のほうへお届にあがります。その後、仮縫い、本仕立てという段取りでよろしゅうございますね」
「わかりましたわ。まだ日程に余裕はありますけれども、間違いの無いようにお願いしますわね。とかく《聖刻の儀》間近き頃には、他家の注文も殺到するであろうほどに。――ああ、これでひとまず安心ですわ。万が一、衣裳が間に合わないようなことになってはたいへんですもの」
 マリィは御機嫌なソーコ夫人を盗み見て苦笑した。
(なんだかばあやがいちばん張り切っているみたい)

 かくして所用を済ませ、まだ夕方には早いという中途半端な時間に《ソ・ノーヴァ》を辞したレーゼンテ家の一行は、
「まだ時間も早いですし、お食事でも如何です? もしよろしければ、わたくしの古い馴染みがやっております小さなレストランが、ここソレル街城にございますの」
 というソーコ夫人の提案で、外食ということにあいなった。
「ばあやのお知り合い?」
「はい、ひい様。《兎爆弾》亭と申しまして、食通のあいだでは穴場なりとて、人口に膾炙いたしおりますのよ。それはもうおいしくて、ほっぺたが落ちそうになりますこと請け合いですわ。ほほほほほ」


 実のところ、ユーキ・アーファン・ゼルティアが望みさえすれば、微行など造作もないことである。ただ、彼の日程や微行の手筈を遺漏なくこなすべく、エルベートほか腹心の者がほんの少々骨を折るはめになるのだ。
「殿――ユーキ様」
 思わず殿下という尊称を用いそうになって現在の状況に思い至り、慌てて言いなおすエルベート。
「道が違います。そちらではありません」
「まぁそうせき給うな。この辺りは店構えもずいぶんと立派なんだね。ちょっとした殿宇並みの建築じゃないか」
 ユーキは興味深げに店々のショーウインドを覗きまわった。
 彼は宮廷にあってこそ典儀を歯牙にもかけぬ奔放な変わり者と目されていたが、そこは銀河に君臨する一族の貴公子である。生来そなえた気品は、如何に庶民の身繕いをしたとて韜晦すべくもない。そこで、さる辺境豪族の子息が都見物にやってきた、というような体裁をとっていた。エルベートとシムクはさしずめ御付きの従者か。
 衣裳などには殊に気を遣い、地味で垢抜けない偽装を心がけたのであるが、やはり元が若い貴公子と凛々しい騎士である三人は人目を引かずにはおかなかったようで、とくに道ゆく若い娘たちが袖引きあい、ひそやかな興味の視線を投げかけてくる。
「このソレル街城にはバールト家やヘイルゼー家など、世に聞えた財閥の経営するデパートなどあまたありと聞き及んでおります」
 シムクがユーキに説明した。
「ふ〜ん。折角だから買い物でもしていこうか」
「か、買い物……ですか?」
 エルベートとシムクは面食らって反芻した。金銭をもって物品をあがなうのは庶民的にはごく当たり前の経済行為であるが、なにせこの若者はそうした浮世のたつきからはおよそ縁遠い世界に生きる雲上びとである。その彼の口からよもや「買い物」などという言葉が飛び出そうとは、昨今の椿事ではあった。
「いや、だってほら、エミナ嬢を口説きにいくんだろう? やはり徒手というのは具合が悪いじゃないか」
 繁栄をきわむる古き帝国において得てしてそうであるように、爛熟の宮廷文化の担い手たる貴族たちは総じて享楽的だ。ところが、悦楽の趣くまま懶惰に流れられてははなはだ不都合な者たちもいる。繁栄の礎たる盤石の軍事力――それを象徴する騎士たちが例えばそうだ。厳格な紀律をもって鳴る騎士団幼年修練館が存在意義を持つ所以である。その古きよき伝統に陶冶され、先達たちの驥尾に付してきたエルベートとシムクは悩む。二人は若いだけに、昔かたぎな老騎士たちのごとき尚武一徹な思考は未だ持ち合わせておらねども、やはり基本的に彼等は禁欲的な精神を美徳のひとつと心得るもののふである。男女の機微や恋愛の手練手管に長じているとは到底云い難かった。
「宮中の作法でふるまわねばなりませんか?」
 シムクは縋るような視線をユーキに向けた。
「そうとは云わないさ。しかし、相手のレディに君の至誠を示さねばなるまい?」
 人並みすぐれた観察眼をもつ青年提督はこの状況を面白がっていたが、もちろん心中をおくびにも出さず云った。
「う〜ん……町方の男どもは、こういう時どうするんだろうな」
「無難なところで、花束でも贈ってはどうだい」
 エルベートが助言した。ユーキはその言葉に満足そうに頷いたが、論評は慎重に控えた。いつしか彼のペースであることを、エルベートとシムクに悟らせてはいけない。
「では花屋を探そうか」
 ユーキは揚々と街路を歩き出した。せんかたもなく後に続くエルベートとシムク。
 ――と、不意に、エルベートが立ち止まり、振り返って背後の人込みを睥睨した。シムクはさりげなくユーキの前に廻り込み、佩剣の柄頭(ポンメル)に手を置く。
「?――どうした? 二人とも」
 シムクがエルベートと目配せを交わし、軽く頷き合うとユーキに囁いた。
「つけられております」
「任せる」
 ユーキはシムクの瞳をじっと見てすぐに事態を把握し、多くは語らずそう応えた。彼は身のほどをわきまえていて、こういう時自分が足手まといであることを承知していた。軍籍に身をおいて四年――たったの四年ではあるが、戦場往来のうちに積み重ねた職業的経験は、この貴公子の冷徹な戦術眼を磨きあげていたのだ。
 シムクが鋭く目を光らせ、云った。
「エルベート。広いところがよい。ここでは思うさま働けぬ」
「心得た」


 古ぼけた、だが清潔で温かい空間。長い歳月、炉の煙で燻された梁や柱は黒光りし、のどかな田舎の茅屋のような雰囲気をかもしていた。厨房のほうからは、じゅうじゅういう音とともに美味しそうな匂いがただよってくる。
 夕食時にはまだ早い刻限。さほど広からぬ店内に客の姿はまばらであった。
 ソーコに続いて店に入ったマリィは淑女らしからぬとは思ったが好奇心が勝り、物珍しげに店の中を見渡す。その時、店の奥のほうからひょいと顔をのぞかせたオレンジ色の髪の若い娘と目が合った。
「あ! お客さん! エミナおねーちゃぁ〜ん、お客さんだよっ」
「はぁい」
 揃いのエプロンドレスにハイソックス、頭にカチューシャといういでたちの娘が二人でてきて、マリィたちにぺこりと礼をした。
『いらっしゃいませー♪』
 娘たちの元気な声がハモる。どちらも年の頃なら十五、六歳。桃色の髪とオレンジ色の髪という違いこそあれ、よく似た面差しをもつ美少女たちであった。
「ほほほほほ。お久しぶりですこと、ふたりとも。まぁまぁ、すっかり娘さんらしくなって」
「あー! ソーコおばさんじゃないですかぁ。おひさしぶりですぅ〜」
「おかみさんは元気かしら?」
 厨房のほうからいかにもきっぷのいい声がかえってきた。
「元気だから、こうして厨房に立って汗流してるのさ。その笑い声はソーコちゃんだね? あんた、ずいぶん御無沙汰じゃないのさ」
 大きなフライパンを持った女シェフが店の奥から出てきた。
「お屋敷勤めのほうはお休みかい? あら、お連れさん?」
「今日は主家のご姉弟をお連れしたのよ。あなたの料理を食べていただこうと思って」
「おやおや、嬉しいこと言ってくれるわ。ちょっとほら、エミナにミーカン! ボサっとしてないでお客様をお席に御案内して」
「はぁい。お母さん」
 マリィ、カール、ソーコ夫人の三人が円卓のひとつに着席し、ウエイトレスの二人が給仕をはじめる。ここで改めて先ほどの女シェフが出できたり、帽子をとって頭を垂れると、胸に手を当てて自己紹介した。
「《兎爆弾》亭オーナーシェフ、カスーネ・スルガンでございます」
 マリィが優雅に首をかたむけた。
「カスーネさん、ですか?」
 カスーネはにっこりと笑った。
「さようでございます、お姫様。わたくしめの両親がかの伝説の烈姫、救国の英雄皇女カスーネ姫様の大の崇拝者でございまして。そりゃあ、このニーブレンに生まれ育った者は誰でもそうに決まってますがね。そんなわけで、畏れ多くも御偏諱を犯したという次第で」
「まぁ」
「もっとも民部省の戸籍役人は渋い顔で、帝室に対したてまつり不敬だとかナンとかガタガタ文句ぬかしたそうですがね、ウチの親父はちっともへこたれなかった。こちとら心の底から烈姫さまを崇拝申し上げてるから、大事な一人娘の名前に烈姫さまのお名前を頂戴するんだ。どこが不敬だべらぼうめ! って口癖のようにわめいてましたよ。今頃は草葉の陰でしてやったり、得意顔でしょうさ」
「そうですの」
「お姫様と若君様のことは、このソーコ・シュズリー夫人から時たま伺っておりますよ。ねぇソーコちゃん」
「うちのばあやとは旧知の間柄だそうですね。シェフ」
 ソーコ夫人がこたえた。
「あれはそう、わたくしがまだひいさまくらいの頃のことです。先代の男爵さまに連れられて初めてトールジットから帝都に上って参りましたわたくしは、先代さまのお情けで帝国学院に進学させていただくことになりましたの。その時の学院の同窓生が、このカスーネ・スルガンですのよ」
「あら、ばあやの御学友の方でしたか。それにしても帝学にて学ばれたとは、才媛でいらっしゃるのね」
 カスーネはくすぐったそうな顔で頭を掻いた。
「才媛なんて上等なモンじゃありゃしませんよ。料理人になりたくて結局、寄宿舎を飛び出したんですから。そいでもって、そのまま親方んとこに弟子入り。帝学は中退。ま、後悔なんかしちゃいませんがね。こうして自分の店を持てて、娘たちも手伝ってくれる」
 そう云ってにこやかに笑う彼女の顔は自信と誇りに満ちていて、マリィはちょっとした羨望とコンプレックスをおぼえるのだった。
「御立派ですわ。ご自分の道を御自身で切り開かれる。婦女子の身であれば、苦労もひとしおでありましょうに」
「月並みですがね、お姫様。女は度胸と愛嬌ですよ」
 食器を整えてカスーネの後ろに控えていたエミナとミーカンの姉妹は、またお母さんの口癖が始まったと云いたげに肩をすくめた。カスーネはジト目で娘たちを振り返った。
「よその星じゃどうか知らないけどね、ここソレルじゃ十五っていや立派な大人さ。あんたたちも早く一人立ちしなよ」
 桃色の髪の姉エミナが、唇を尖らせて反抗的に云った。
「もーお母さん! お客さんの前で……ソーコおばさんだけじゃなく、初めてのお客さんだっているのに」
 ソーコ夫人が助け船を出した。
「カスーネちゃんは果報者ですわ。あんまり贅沢云うとばちがあたりますわよ。なに、エミナちゃんもミーカンちゃんもこんなに可愛らしいんですもの。心配はいりませんわ。きっといまにいい人が――」
「ソーコちゃんソーコちゃん、微妙に論点がずれてるんデスけど……」
 しかしエミナは赤くなってそっぽを向き、さあ仕事仕事と呟きながらミーカンを引っ張って厨房の奥に引っ込んでしまった。カスーネは苦笑して首をふった。
「分かりやすい子だこと」
「あら、誰かいい人がいるの?」
「最近たまに来るお客さんにご執心みたいでね」
「どんな方なの?」
 ソーコ夫人は教養があり礼節を知るレディであったが、この時ばかりは相手が友人という気安さもあったので、興味のおもむくままそう訊ねた。
 カスーネはにやりとした。こちらも友人に話したくてうずうずしていたらしい。
「いい男だね。あたしから見ても、ありゃいい男だ。かなり身分が高いんだろうねぇ、なんだかお忍びみたいなんだよ。ウチの常連さんたちは騎士様じゃないかってウワサしてる」
 古来よりゼラン帝国においては、騎士は若い娘たちの憧憬の的であったといえる。
「おっと、うっかり四方山話が過ぎたかしら。お待たせいたし、ご無礼いたしました。お姫様、若様」
「あらま。わたくしとしたことが、つい。ひいさま、若君、申し訳ございません」
「いえ、よろしいんですの。お友達どうしですもの。話に花が咲くのも当然ですよ」
 カスーネが、手に持っていたなめし革装丁の冊子をマリィたちに渡した。
「こちらが本日のメニューとなっております」
「シェフのお薦めは?」
「そうですね。この星に来る途中、衛星軌道から御覧になりましたでしょうけど、ここソレル街城は海のある天体でございます。海の幸が豊富ですから、やはり食材といえば新鮮な魚介類でしょうね。今の季節ですとソレル牡蠣など旬で――」
 カスーネが途中で言葉を切って沈黙した。
 テーブルの上に置かれたグラスが、かたかたと震動している。グラスにみたされていた水が小刻みに波紋を描いた。
「何かしら?」
 マリィとソーコ夫人もまた顔を見合わせた。
「……地震?」
 その時、遠くのほうで爆発音のようなものが立て続けに起こった。腹に響くような重低音の轟きが、しばしのあいだ余韻をひいた。


 人通りのすくない裏路地を駆け抜ける三人の男たち。ユーキを真ん中に守り、シムクとエルベートが前後を固める。
「しかけてこんな」
「シムク、その小路を左だ。つきあたりに噴水広場が見えるだろう。広場からライヴァント環状街道に出られるはずだ。たしか街道沿いに治安庁の詰所があった」
 小路を駆け出そうとしたシムクが振り返って首をふった。
「だめだ。先回りされている……」
 騎士の二人ならば突破もできようが、ユーキの身を危険に晒すことを躊躇するシムク。
「はぁはぁ……す、すまない」
 その逡巡を察したユーキが謝った。
「殿下、大事ございませぬか?」
 走り通しで息をきらすユーキに気遣わしげな目を向ける。体感的にそう大差ないとは申せ、宇宙戦艦の制御重力と星の重力では、激しい運動をした際に負荷の違いが如実である。
「はぁはぁ……ま、まいったな……君たちみたいな超人には及ぶべくもないけど、僕だってけっこう体を鍛えていたつもりなのに……。どうも自分で考えていたより、蒲柳孱弱な質みたいだぞ」
「エルベート。治安庁に駆け込むのは早計ではないか? 誰が背後におるか、知れたものではない」
 エルベートはちょっと考え込んでから云った。
「先ほどより敵の気配を探るに、尋常の者どもではありません。どうも袋小路に追い込まれているような気がする。このまま罠に飛び込むのは愚の骨頂と申すもの……と、云いたいところですが……」
「……」
「ここからさほど遠からぬ所に、公園があったはず。そこへ向かいましょう」
 シムクは迷う様子をみせた。
「ペルゼーヌの森だったか。確かにむこうはあからさまに敵の気配が手薄だな。……こういう場合、敵の最も蝟集する箇所に乾坤一擲の闘いを挑む策こそ、期せずして死中に活ということに繋がると俺は思うんだが」
 しかし、ユーキがエルベートの提案に首肯した。
「そうだな。公園で一戦しかけてみ――」
「ケェエエエエエーッ!」
 突如、頭上からけたたましい雄叫び! 殺気も顕わに、宵闇の空に舞い躍る黒い影。サーベルを振りかざし、ユーキめがけ落下してくる黒衣に黒覆面の刺客が五人。シムクの眼睛がギラリと凄絶な輝きをおびた。目にもとまらぬ抜刀。紫電一閃、ひらめく銀光。くせものどもは五体をズタズタに斬りとばされ、瞬時にこまぎれの肉片と化して血煙の中に沈む。
 シムクが血刀をはらい、鞘に納めたその刹那。
 ――びゅんッ!
 風を切る鋭い音もろともいずかたからか飛来した矢を、人間業とも見えぬ反射で咄嗟にエルベートが掴みとる。投擲槍かと見まごうばかりの長大な矢箆がエルベートに握られたまま震えた。鏃は間一髪、わずかにユーキの眉間から拳骨ひとつぶんくらいのところで静止している。
「姑息な手を」
 鏃から青緑色の粘液がとろりと滴りおちた。致死性の猛毒が塗抹されているであろうことは、容易に想像できる。
 くせものどもの太刀筋は、斯道の者が見れば尋常の技倆にあらずと看破したことであろう。実際、エルベートとシムクは、彼等の身のこなしを職業的な暗殺者のそれと見て取った。手だれの暗殺者は隠密行動に長け、隠微に標的を仕留めて痕跡を残さない。殺気すらも感じさせず、機械的に人を殺すのだ。しかるにこのような職業的暗殺者らしからぬ、犠牲を覚悟の陽動戦法をとるあたりに、敵の並々ならぬ覚悟を察することができた。
「猶予はなりませんな」
「うん。急ごう」

 商館やらホテルやらの高層建築が密集するあたり。そのひとつ、とある建物の三角屋根に、胡乱な黒衣に黒覆面といういでたちの者たちがとりついていた。ユーキたちを襲撃した刺客たちと同じ装束の者どもである。
 巨大な長弓を構えていた男が、弓をおろして呟いた。
「バカな……俺の矢を素手で掴み取るとは。十人張りだぞ」
 十人張りほどの強弓ともなれば、その威力は一モイヤールの距離をもって鋼鉄の甲冑を射貫くといわれる。
 遠眼鏡を目にあてていた別の男がうめいた。
「さすがは羽林(ディ・ベーレト)のナイトども。やはり手強いの。ジョドーたちもあっさり斃されてしまった」
 武勇絶倫のつわものに冠せられる一騎当千という言葉は、ことゼラン近衛騎士に関するかぎり誇張でもなんでもない。エルベートとシムクの最前のたちまわりぶりは、その事実を窺わせてあまりある。
「イフリーデ銃の使用許可を。同志ブローレ」
「愚か者! ナイト相手になまじいな魔法兵器など使えるか。彼奴等の《魔甲体》は魔力に反応して発動するのだぞ。万が一にもあれを召喚された日には勝ち目などなくなる」
「同志ブローレ。目標は予定どおりペルゼーヌ森林公園に向かっております」
「よし。各班に伝令をだせ。くだんの者が参るまで、全力をもって目標を足止めせよ」

 ペルゼーヌの森は、ライヴァント地区のおよそ三分の一ほどの面積を占める広大な森で、ライヴァントに住まう人々の憩いの公園となっている。一角には、かつてこの街城を領していた皇族ソレル侯爵家の居城跡があり、城館は現在国立ソレル美術館として、また厩舎や馬場は競馬場として、広く市民一般にも開放されていた。風雅で洗練された趣味にかけては定評のあるゼラン大貴族が、特に選定して居城を構えていたほどであるから、その景勝は素晴らしく、昼はピクニックの家族連れや観光客で賑い、夜は若い恋人たちの絶好のデートスポットと化していた。
 だが今、深閑と静まりかえる公園に、甘くひそやかに愛を語る恋人たちの姿はおろか、野良犬一匹見あたらない。
「まだ宵の口という感じだが、標準時ではそろそろ深更という刻限だね」
「当地とはいくぶん時差がございますから。眠いのですか?」
「いや。明日の予定が気になってね。また秘書官たちの顰蹙を買うはめになりそうだ」
「いつになく殊勝ではありませんか」
 おのれの命をつけねらう何者かの謀略に填まりつつあるというこんな際ではあったが、ユーキはさすがに胆が据わっていた。否、生来のお気楽な性質のなせるところというべきか、どうにも軽口をたたかずには収まらぬらしい。
「エルベート。君とはいずれじっくりと話し合って、お互いの理解を深める必要がありそうだな。部下の啓蒙は上官たる者の務めだからね」
「さしあたり、この窮境をきりぬけませんと」
「君が窮境と評するほどのものかね。僕らはもっと絶望的な死地をかいくぐってきたじゃないか」
 木々の合間の闇からしみでるように、黒衣に黒覆面の者どもがあらわれる。少なくとも五十人以上、もしかしたら百人からの同勢かもしれない。
 刺客たちの得物はざっと見たところ二種類のようだ。刃爪のついた鋼鉄の篭手を装着するものと、鎖鎌をもつものがいた。百錬の騎士たちは五感より得られるあらゆる情報を鋭敏に吟味し、敵の戦術を読む。
「俺がやろう。エルベートは殿下のお側を離れるな」
 エルベートはすぐさまシムクの意図を諒解した。まずシムクが敵を攪乱する。その間隙に乗じて包囲網を突破せよということだ。瞬時に考えをめぐらし、成算ありと踏む。
「わかった」
 私情を圧し殺した戦士の顔で短くこたえる。
「殿下。御腰の物を拝借つかまつりたし」
 シムクがあらたまってユーキに頼んだ。彼は騎士団きっての二刀流の遣い手である。ユーキはそんなシムクの顔をじっと見詰めた。覚悟を定めた、一点の曇りとてない大丈夫の顔であった。
「貸すだけだからな。ちゃんと返してくれよ。エミナ嬢に会いに行くんだからな」
 シムクはユーキから剣を受け取りながら自嘲的に云った。
「血に塗れし我がかいなにて、穢れなき乙女を抱くことはやはり叶いますまい」
 云い終えるや、ふっとシムクの姿がかき消えた。あとには旋風がまきおこったかのように、砂塵が渦をまいて舞いあがった。
 次の瞬間、かなり離れたところにいた黒覆面たちの首が前触れもなくふっとび、断末魔の悲鳴すらあげえずに、頭部を失ったいくつもの胴体がバタバタと倒れ伏した。
 黒覆面たちもさるもの、周章狼狽する者とてなく、すかさず散開した。彼らの放つ鎖鎌の有刺鉄球が縦横無尽に乱れ飛び、シムクの動きを封じようとする。暗闇のそこかしこに火花が散り、キィィイン、キィィインと甲高い金属音が連続して起こった。
 そうこうするうちにも、さらにいくたりかの黒覆面が斬りふせられる。暗いこともあったが、この間、ユーキはシムクの動きをまったく捉えることはできなかった。
「とったぁ!」
 黒覆面の誰かが叫んだ。黒い鉄鎖の一本がついにシムクの一方の剣を搦めとった。わずかに生まれた停滞を逃さず、鉄鎖が集中してシムクの四肢を縛める。ここぞと殺到する刃爪の黒覆面ども。
「笑止千万」
 シムクは無造作に鉄鎖を束ね引っ掴み、こともなげに引き寄せた。およそ信じ難い膂力といわねばなるまい。数人の黒覆面が衝撃で宙を舞い、一気に間合いをつめたシムクの双刀によって切り裂かれ、はらわたや血霧を夜空の底にぶちまけた。
「殿下、駆け抜けます」
 夜陰にまぎれ込み、喬木の間を縫うように移動を開始するユーキとエルベート。やらじと襲い来る黒覆面たち。立ち木が邪魔で鉄鎖の攻撃はなしえまい。エルベートの前に立ちはだかった黒覆面が脳天から一刀両断にされた。振り向きざま、木の上から跳躍して襲いかかってきた二人の黒覆面を、後方の大木ごと叩き斬る。
 さらに数人の黒覆面がエルベートの大剣の前にあえなく露と消えたが、彼の斬撃を受けとめる剛の者がいた。幾合か打ち物を合わせたのち、ぎりぎりと鍔迫り合いに縺れ込む。
「面倒なッ!」
 右手を柄からはなしてふりかぶるや、手刀を黒覆面の口腔のあたりに突き入れ、後頭まで貫く。
「がああああ!」
 絶命した黒覆面の死体を右手でひッ掴んだまま振り回し、辺りにいた黒覆面どもをなぎ倒す。まさに鬼神をもおどろかす阿修羅もかくやという闘いぶりで、あたるべからざる勢い、無人の境を征くが如しであった。
 顔半分に返り血をあびたすさまじい形相でエルベートが嘯いた。
「死にたい者は前に出るがよい」
 黒覆面たちはエルベートの眼光に射すくめられ、無意識のうちにじりじりと後じさる。
 その時、突如として巨大な殺気がユーキの頭上に出現した。
「御免!」
 咄嗟にエルベートがユーキを突き飛ばした。すこし遅れて爆炎。土砂が飛散し、樹木がべきべきとへし折れる。
 爆風にふっとばされ、木の幹に叩きつけられるユーキ。
「く……」
 一瞬呼吸ができなくなる。苦痛にうめきながらも、立ちあがろうとする。そのユーキめがけ、まっしぐらに迫る彗星のような光芒。
(一族の仇!)
 その声なき念の声が、ユーキの脳裏に突き刺さってきた。
(少年……いや、女の子?)
 ユーキは自分の心臓に擬せられた刃の切っ先を他人事のように眺めた。殺られる――その思いがよぎった時、ほとんど瞬間移動としかいいようのない速さで、光に包まれた少女とユーキのあいだに割って入った誰か。云わずとしれた騎士エルベートである。
 必殺の刃を剣で受けとめた相手を、憎悪に燃えさかる瞳でねめつける少女。
「貴様。魔操手(ラグラー)か?」
「クッソォー! 邪魔だどけえー!!」
 少女の握るバゼラードから雷にも似た放電が迸り、剣をつたってエルベートを直撃した。しかしエルベートは斃れない。
(俺の雷撃が効かない!?)
 カナングの呪酒の効力で、少女――ユーミの魔力は今、数層倍に増幅されている。常人がこの雷撃の術をまともに食らえば、体中が瞬時に炭化するだろう。即座にユーミは肉弾戦の体勢へきりかえ、エルベートの首めがけて廻し蹴りをはなった。が、これは牽制。エルベートも難なくこれを躱すが、下手に附入ってはこない。二人はすぐさま間をとって、互いに油断なく対峙した。
 ユーキ・アーファン・ゼルティアを抹殺するには、どうやらまず、この厄介な騎士を片付けねばならぬようだ。バゼラードを右手の掌で一回転させて逆手に持ちかえ、左手の中指と人差し指を立ててバゼラードの刀身にそっと触れた。
「……フェイテル・ヴェーセタルテ・デュフォン・ラヴァーク・フレゼング・アイラ・エスタ……」
 ユーミの紅唇がせわしく動き、呪歌を紡ぐ。
 ヴゥゥゥゥーン……
 ユーミのバゼラードが昆虫の翅音とも魔法機器の駆動音ともつかぬうなりを発しはじめ、それにともなって刀身がほのかに輝く。
「セーッ!」
 上体を捻るようにして赤く輝くバゼラードを構え、裂帛の気合もろともエルベートに向かって投げ放つ。と、同時にユーミもまた残像を残してふいと消えうせた。
 エルベートはバゼラードを大剣でさしたる造作もなく弾きとばし、大剣を上段に構えると、目を閉じてユーミを邀撃するべく周囲に研ぎ澄まされた勘を這わせた。
「そこだぁ!」
 目にもとまらぬ一閃。手応えあり。鮮血が迸り、肘のあたりから断たれたユーミの右腕がぼてりと地面に転がった。が、その場にユーミの姿はない。エルベートは瞬時に視線をめぐらし、三〇フヤールがほども離れた場所に、傷口を押さえて蹲るユーミの姿を捕捉。とどめを刺すべく一気に間合いを詰めようとしたエルベートだったが、不意に言い知れぬ不安に囚われ、鋭鋒を鈍らせた。深手の激痛に脂汗を浮かべるユーミが、してやったりと笑ったのがはっきりと見えたのだ。
(しまった! 殿下!)
 エルベートはまたしても超人的な高速移動を顕わし、数十フヤールという間隔を瞬きのうちに移動してユーキに跳び付き、彼を抱きすくめた。そのエルベートの背中に深々と突き刺さるユーミのバゼラード。
「魔力附与による遠隔操作か。不覚……」
 その口から、ごぼっと血の泡がこぼれた。
「エルベートっ! エルベートォーーッ!」
 斬られた右肘を押さえつけ、血を滴らせながらユーミがユーキたちに近付いてきた。よろよろとふらつく足取り。だが、瞳の輝きは闇の中でいや増している。
「ユーキ・アーファン・ゼルティア。イルティーバの怨み、今こそその身をもって知るがいい」
「……イルティーバ族の者か。おまえたちは誇り高き部族であると聞くが、戦場の雪辱をこのような闇討ちによって果たすのが、おまえたちの流儀なのか」
「うるせー! 口清く何云いやがる。ランザーヌの大虐殺をやった悪魔めが」
「ランザーヌの大虐殺? 何のことだ?」
「こんにゃろ〜〜すっとぼけやがって!! 封魔殿の奥津城をあばいて部族伝来の秘宝、《熾炎剣》を強奪しやがったのはテメーの指図だろうがっ! そのためになんの罪もない女子供まで皆殺しにして……」
「熾炎剣……僕は知らないぞ……何だそれは?」
 ユーミは目を剥いた。
「あくまでもしらを切る心算か……いいやもう。地獄で後悔するがいいさ」
 突き出した左手の翳した掌に、光球が出現した。威力の凄まじさを垣間見せるかのように灼熱の風が周囲の木々を撫で、あちこちの枝が燻りはじめる。
 魔術レベルの大技、烈光弾の術である。カナングの呪酒の力を借りているとはいえ、今のユーミには荷が勝ちすぎる術であった。これが炸裂すれば、ペルゼーヌの森どころか、おそらくライヴァント地区全域のありとあらゆる物質が光と熱に還元されるだろう。が、逆上したユーミには、もはや目の前の仇敵を殺すことしか考えが及ばない。
「死ねェー!」
 赫耀たる白光が頂点に達したその時、光球はだしぬけに分裂してそのまま雲散霧消した。
「!?」
 ユーミは舌打ちしながらどんどん後方へ跳躍し、襲い来る白刃の乱舞から逃れた。
(そういえば、もう一人騎士が残ってたっけ。くそー! 烈光弾を消滅させるなんて……なにしやがったんだあのヤロー?)
 闇の中に浮かびあがるレンゼスの紋章。両手にそれぞれ刀を持ち、自然体で佇む男。まったく隙がない。
「シムク!」
「遅くなりました。刺客たちに手間取りまして」
「敵はどうした?」
「手向かいいたす者は鏖殺いたしました。残りは引いたもようです。――お怪我は?」
「僕は大丈夫だ。だがエルベートが……」
 ユーミが警告した。
「あんたも邪魔するってんなら、倒すまでだ」
「おいたが過ぎるようだな。子供とて容赦せんぞ」
「だれがガキだってえええ! ――!? ぐぁああああ〜〜……」
 俄かにユーミの顔や腕、素肌があらわになった部分へ血管が不気味に浮き上がる。脳髄を衝き抜ける激痛。額やうなじの血管が破れて血が噴き出し、七転八倒のありさまとなるユーミ。
(くっ……副作用か。こんな時に……あとちょっと、あとちょっと……なのに……)
 暗転しそうになる意識を、気力を振り絞って鞭打つユーミ。
「チクショォォォォー! ユーキ・アーファン・ゼルティア! 今日のところはその命、預けておいてやらぁ」
 ユーミの体が旋風につつまれ、そして煙のように消えた。
「おのれ、逃げるか」
「待て! シムク。まずエルベートの手当てが先だ」



〜続く〜
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