マリィ・レーゼンテが騎士エルベートと初めて出会ったのは、今から八年ほど昔のことになる。彼女が十五歳の少女だった頃のことだ。
その前年――つまりはマリィが十四歳だった年であるが、ながらく病褥にあった彼女の母、レーゼンテ男爵夫人が逝去し、弔問に訪れた近隣の領主たちの間で悲しみにうち沈む可憐な少女の美しさが評判になったことがある。
この噂が漁色家で有名な、時のトールジット星系総督ベルメント卿の耳に達し、この好色な老人は、破廉恥にも男爵夫人の喪も明けきらぬうち、孫のような歳のマリィを何番目だかの妻として申し受けたいと云ってきたのである。明らかに、星系総督という職権をかさに着た恫喝まじりの求婚だった。
廉直な人柄で鳴るレーゼンテ男爵はこれに烈火のごとく激怒し、あわや決闘沙汰に及ばんとした。
この時仲裁に入ったのは、京師のレグルス家執事ハリュン卿だった。公然ではなかったが、レグルス家当主の意を受けたものであるらしい。実は故レーゼンテ男爵夫人の実家の本家筋に当たるのが、このゼラン帝国屈指の名門貴族レグルス選帝公爵家だったのである。
さしものベルメント卿も、次期宰相の最右翼と囁かれる権門勢家の威光には折れざるをえず、この件は落着したかに見えた。しかしこのベルメント卿、人一倍執念深いことでも知られている。掣肘された懸想は、いつしか陰に篭った妄執と化し、以後、男爵家は陰湿かつ執拗な嫌がらせを受けることとなった。
ベルメント卿は爵位の宮廷序列でこそレーゼンテ男爵より格下だが、官位はトールジットにおける皇帝の代理人であり、小さな星系世界にあってその権勢はきわめて大きい。
ちょうどこの頃、レーゼンテ男爵は羽林(ディ・ベーレト)のなかでも指導的な立場にあった。近衛二大騎士団のうち、執金吾(コルベル)は宮城と帝室の警護を担当し、羽林(ディ・ベーレト)は親征もしくは皇将使(皇帝から特に節刀を下賜された全権将軍のこと)の出征に従軍するという役割を担っている。帝都常駐の執金吾ほどではないが、やはりおのずと京師に詰めていることが多く、領地には留守がちだった。
狡猾なベルメントはレーゼンテ男爵の不在を見計らい、舞踏会を催して内気なマリィに父の名代として出席するよう強要してきたり、当時まだ幼かったマリィの弟カールを鹿狩りに誘ったりと、無理難題をいってくる。男爵の留守をあずかる家臣たちが、病中につき不調法があってはなりませぬゆえ……などと理由をつけて断ると、
「それはいかん。さっそく見舞いにゆかねば。――何ィ!? この儂の見舞いが受けられんだとぅ!? 不遜なり! 畏れ多くも皇帝陛下の代理人たるこのベルメントをないがしろにいたすかっ!」
と難癖をつけてくる。
困り果てていたレーゼンテ男爵に、親戚の某准男爵がこう進言した。
「いっそ、お嬢さんとご子息を帝都の屋敷に呼び寄せてはどうかね。フム、外聞上、なにか適当な理由があったほうがいいかもしれんな。――よし、こうしてはどうかな。マリィちゃんは宮廷社交界にデビューさせ、カール君はニーブレン典学院に入学させよう。騎士の跡取りだから騎士団幼年修練館でもよかろう。なぁに、心配はいらんさ。却っていい機会だ。二人とも広い世界を知っていい年頃だ」
「しかし……カールのほうはともかく、マリィが……」
レーゼンテ男爵は逡巡した。人見知りの激しいあの子が、果たして宮廷などというところでやっていけるのだろうか?
これを聞いたマリィは健気に父に云った。
「わたくしがお城にいて、お父様や家来の方々にご迷惑がかかるのでしたら、わたくしは京師にまいります」
「宮廷は華やかなだけのところではないのだぞ。けがらわしい欲望が渦巻く場所でもある。到底そなたにやってゆけるものではない……わしにはそう思えてならんが」
しかしマリィはいつになく強硬で、頑として譲らなかった。レーゼンテ男爵は刮目して我が娘を見直した。繊弱に見えながら、芯は強いのだ。亡き母に似て……
こうしてマリィとカールの帝都行きが決定した。
特にマリィの宮廷社交界デビューは、親戚たちに歓迎された。
(マリィ嬢の器量なら首尾よくゆくにちがいない)
(そうそう。もしやんごとなき雲上の方々の目にとまるようなことにでもなれば……)
(うっふっふ――我ら一門の者は、帝室の外戚として栄耀栄華は思いのまま)
(それはちと飛躍のしすぎざぁますわ)
(しかし、可能性が皆無とはいいきれますまい?)
(ほほほほほ。ごもっともざぁます)
(それにしても……あの堅物のレーゼンテ男爵が、よく箱入りの愛娘を宮廷に出すつもりになったのぉ)
(彼はお役目柄ニーブレン住まいが多いですから。遠い辺境のトールジットよりは、自分の目の届くところにお子さんたちを置いておきたいのでしょう)
(無理もない。奥方を亡くされて日も浅いのだからなァ)
この都行きが、姉弟にとっては初めての恒星間旅行であった。
生まれ育った土地を離れるかと思うと、寂しさとともに一抹の不安があるものの、ここには優しかった母の思い出があまりにも沁みついている。それが今は辛い。
惑星トール衛星軌道上の宇宙港へと向かう連絡艇の窓から、少女と少年は故郷の美しい山河をいつまでも食い入るように見つめていた。
蒼海銀河のトールジット星系から水晶星雲の帝都星系までは、約四〇万光年という距離だった。光の速さ(秒速およそ三〇万モイヤール)をもってしても四十万年以上かかるという途方もない道のりだ。が、船足の遅い定期旅客便ながら、まがりなりにも魔法船である。太古の人々が遺したという魔法の技術や力の恩恵で、この遥かな行程もわずか三ヶ月ほどで翔破できるのだ。
一応ふたりは帝国貴族の一門だから、特等客室に寝起きし、専属のメイドもあてがわれて航海はすこぶる快適だった。
最初のうちこそ見るもの聞くものみな珍しく、十歳になったばかりのカールなどははしゃぎまわって、広大な船内で迷子になることもしばしばだった。しかし何週間と退屈な航海が続くうち、さすがに厭きがくる。
この時、レーゼンテ家姉弟の無聊を慰めたのが、船の中で知り合って仲良くなった、料理人の若い娘だった。
「俺、ユーミっていうんだ。よろしくな〜」
料理人の娘はそう名乗った。この男言葉のせいで、当初姉弟は彼女のことを男だと思い込む。女性だと判明したのは、カールがユーミを水遊びに誘った時だった。均整のとれた健康的な肢体に水着をつけたユーミが、特等客区画にある船内庭園の泉水へ現れたのを見たときのマリィの顔こそ見物であった。
「あれ? 云わなかったっけ」
どこか人を食ったような、それでいて魅惑的な微笑み。
同性のマリィから見ても眩しいくらい、ユーミは瑞々しい生気にあふれていた。人見知りするマリィをも自然とうちとけさせる何かを、彼女は持っている。
嘘か真か、本業は吟遊詩人だという。この航海の間だけ、事情があって料理人のアルバイトをしているらしい。
「つまりまぁ、路銀のたしにね」
そう云ってウインクしてみせる。
「ユーミも都へいくんでしょう?」
「ん。人捜しにな」
「まぁ……」
何か込み入った事情があるのだろうと察したマリィは、行儀よく追及は避けた。
やがて帝都星系の玄関口、文帝ディーナ三世記念宇宙港へと到着し、自称吟遊詩人の娘とレーゼンテ家の姉弟は袂を分かつことになる。
別れ際、すっかりユーミになついていたカールは、
「やだ! ユーミもいっしょに行くの!」
と泣いてぐずったが、ユーミはカールの柔らかい金髪をくしゃくしゃになでつけて云った。
「泣くなよ、男の子だろ? 出会いは別れの始まりってね――縁があればまた会えるさ」
マリィもまた同年代の娘とこのように親しく接したことがこれまでなかったので、ユーミとの別れは名残惜しかった。
「もし何か困ったことがあって、それでわたくしたちに出来ることがあったら、屋敷に訪ねていらして。きっとよ」
「ありがと〜。俺はまぁ大丈夫だろうけど、なんかあったら遠慮なくそうさせてもらうよ」
「ユーミはたくましいですものね」
マリィはそう云って笑うと目を潤ませた。
「マリィ……あんたもね、元気だしなよ。そりゃあ貴族のお姫様には、俺ら下々には分かんねー気苦労とかあんだろうけどさ」
船旅の途中、ユーミは幾度かふさぎ込んで物思いにふけるマリィの姿を目撃している。
「さて、そろそろ行くかな。じゃあな、お二人さん」
後年、ユーミが云ったように縁があったものか、カール・レーゼンテとユーミとは意外なかたちで再びあいまみえることとなる。が――マリィとは、ついに再会を遂げることはなかった……
「ひい様! 若君!」
宇宙港で姉弟を待ちうけていたのは、レーゼンテ男爵家に古くから仕えるメイド頭のソーコ夫人だった。いてもたってもいられず、屋敷から迎えの者たちに付いてきたらしい。
「ばあやだ!」
つい今しがたまでユーミとの別離でぐしぐしとベソをかいていたカールだが、ソーコ夫人を見つけると途端に機嫌を直し、とびついていって抱擁を求めた。
「まぁまぁ。すっかり大きくなられて。ほんの数年前まで、このばあやめが若君の襁褓のお世話を申しておりましたのに」
「ばあやってば……そんな恥ずかしいこと人前で云わないでよ。ぼく、もうおしめなんてしてな――むぎゅ」
カールは抗議しかけたが、ソーコ夫人はおかまいなしで少年を抱きしめると頬擦りした。
「ばあや。お久しぶりですわね。元気そうでなによりだわ」
「まぁまぁ、ひい様も。お綺麗になられて……奥様の若い頃にそっくり」
ソーコ夫人はハンカチを取り出すと目頭をおさえた。
「わたくしは京師のお屋敷をお預かりしておりましたので、とうとう奥様のご臨終にもご葬儀にも立ち会えませんでした。三年前お会いしたのが最後となってしまいましたわ。あの折は、まだまだお元気でいらしたのに」
ほうっておくと話が長くなりそうな気配を敏感に察した迎えの家臣のひとりが云った。
「さあソーコ夫人。姫様も若君も長旅でお疲れでありましょう。早々に屋敷へご案内申し上げようではありませんか」
「そうね。お二方とも都は初めてでしたわね。ここからは、また船を乗り換えていただきます」
帝都星系は太陽神の名を冠する恒星オストラシオと十二の天然惑星、五百前後の魔工天体からなり、魔工天体のひとつである文帝ディーナ三世記念宇宙港から貴族の邸宅が点在する第五惑星《外苑》までは、小型の連絡艇で移動する。
小型とはいえそれは巨大な軍艦などに比べて小型ということであって、千人からの人数が乗り込める魔法宇宙船はやはりそれなりに大きい。ちなみに最も大きな軍艦であるとみられるコルヴィナ級戦闘艦ともなると、その全長はゆうに五〇〇モイヤール(≒五〇〇キロメートル)を超え、最大一億人からの乗員がほぼ自給自足で恒久航行が可能であるとされる。
連絡艇で外苑へと向かう途中、見物を兼ねて操船室に集まった一行。お喋り好きなソーコ夫人はガイドさながらに、展望窓から見える帝都の壮観を姉弟へいちいち説明してくれた。
「あの星が第十一惑星ジムール。列聖の陵墓がございます。その手前が離宮星カルトヴァ。右手をご覧あそばせ――あれに見えます星々が、御城下の都市星群ですわ」
帝都星系は多数の天体から形成される空間都市らしいというのは知識として知っていたが、辺境からのおのぼりさんである姉弟らにしてみれば、やはりその圧倒的なまでの威容は言語を絶するものだった。
このニーブレン星系が帝都に定まってから約二千七百年……帝国の拡大とともに人々も流入し、今や人口は一兆人にせまるという。コルトナイド七銀河のうち四つに蟠踞し、四隣に睨みをきかせてきた帝国の首都に相応しい規模であるといえた。
ゼラン連合帝国。
六千年ほど昔、水の惑星メルグ・リムリーヤに興ったこの国は、神武帝サーディルの御代にメルグ・リムリーヤ星系の統一を果たし、以後、あまたの小国がひしめくコルトナイドの制覇に乗り出した。この時をもってメルグ・リムリーヤ星暦は帝国標準暦となる。
歴史は伝える。
皇祖ゼラン大帝の戴冠以来、今上帝カールリート五世にいたるまで洪基を纉紹して累世三百八十一代。連綿と続いてきた万世一系の皇統は、コルトナイドに比類ないものだ。
無論その国歩は必ずしも平坦な道のりではありえなかった。
十三世紀には皇帝や皇太子の戦死、暗殺が相次ぎ、傍流の内親王であったカンナート皇女が、わずか七歳にして践祚することとなった。第六十四代カンナート女帝である。
諸侯は幼い聖上の治世を危ぶんだが、四人の名臣の輔佐に恵まれて、彼女はおおいに国運を開いた。その在位中、カンナートは数百もの敵国を討ち滅ぼし、数十万の星々を併呑して、星間帝国の基礎をかためたのだ。
カンナートが崩じてのち、朝堂は雷光帝と諡(おくりな)してその遺徳をたたえた。ちなみにカンナートをささえた四人の柱石は、その功績によって選帝公に封ぜられ、これが四選帝公家のはじまりとなる。すなわち、レグルス家、ウナス家、ライエル家、アシュ・エルク家の四家がこれにあたる。
時は移ろい十五世紀。雷光帝カンナートの曾孫にあたる第六十七代皇帝、かのエルフ狩りの発端となる《エルフ追討令》の詔勅で有名なリンゼル七世の時代のことである。水晶星雲のニーブレン星系において、かつてないほど大規模な太古の魔法文明遺跡が発見され、時の朝堂はこれを帝国の浮沈に関わる国家機密であると見做し、その確保を万全なものとなすべく、メルグ・リムリーヤ星系からニーブレン星系への遷都を敢行した。
二十二世紀。この頃になると群雄割拠のコルトナイドもだいぶん諸勢力の合従連衡が進み、いくつかの強大な星間国家に集約されつつあった。カリューガ朝トルキア王国、アクアガルト王国、フォルト銀河星皇ユニオン、炎樹連邦、ポネル・ラーム共和国、バルトリンゲン帝国、そしてゼラン帝国などの国々である。これらは一般にコルトナイド七大列強と呼ばれている。とくにカリューガ朝トルキア王国はクリスティナ聖王という抜山蓋世の英雄をえて、雪華星雲や水晶星雲のほぼ全域を席捲し、ゼラン帝国は一時滅亡寸前にまで追いつめられた。
ゼラン帝国にとどめを刺すとともに魔法遺産の宝庫を我が物にせんとの野望に燃え、クリスティナ聖王は大小艦艇一〇〇〇万隻、兵員二兆人と号する未曾有の大軍を催し、ゼラン帝国最後の牙城ニーブレン星系に攻め入った。迎え撃つフェンネーズ四世帝は地の利を生かし、二年間におよんだトルキア王国軍の猛攻をどうにかこうにか凌ぎきる。
この後四百年ほどは、ゼランにとって艱難の時代であった。五次にわたって繰り返されたトルキアの来寇はゼランの国力をすっかり疲弊させ、ニーブレン星系への逼塞を余儀なくされたのだ。この時代のゼラン皇帝たちは、斜陽の国勢を挽回するべく尽瘁したが、狂瀾を既倒にめぐらすには二十七世紀末、文帝ディーナ三世の登場を待たねばならなかった。
第二百八代皇帝ディーナ三世――ゼラン中興の祖と奉呈せられる彼は、はじめ兄皇帝の崩御をうけて登極し、ベルクリン十一世と称した。が、先帝の遺子で甥のホルセンドル二世が十三歳になるとこれに譲位し、自らは上皇となってひとたび国政から身を引いている。ところがホルセンドル二世帝が十八歳で夭折したため、選帝公はじめ文武の群臣からベルクリン十一世の復辟を望む声がたかまり、当初は渋って逐電までしてのけた彼も、左丞相バートランデ侯の身命を賭した三顧の礼についに折れ、重祚してディーナ三世となった。
後世に文帝として高名なディーナ三世は、その諡号からも敷衍しうるごとく政略の天才だったといえるだろう。彼は旧弊にとらわれず若い有能な人材を登庸し、不退転の決意で朝堂および宮廷の改革を断行し、返す刀で守旧派を一掃すると、富国強兵の施策を推し進め、ゼランを宗主国とする諸国の冊封体制確立に心血を注いだ。
かくして外交を駆使し調略を縦横無尽にめぐらせて、国際情勢を意のままに操った文帝のもと、老大国ゼランはゼラン連合帝国として輝きを取り戻す。
三十四世紀にはヴァルカード一世という魔術士の力をそなえた皇帝があらわれる。母后が魔法使いの血を引いていたものと想像される。
ヴァルカード一世は、長年封印されたままだったニーブレン魔法遺跡の本格的な調査に乗り出し、その成果は後のゼラン発展におおきく寄与することとなる。
そして四十二世紀。かつてコルトナイド七大列強に数えられたカリューガ朝トルキア王国、アクアガルト王国、炎樹連邦、ポネル・ラーム共和国、バルトリンゲン帝国らの諸国は、旭日昇天の繁栄をほしいままにした昔日の勢いなど見る影もなく衰退し、頭ひとつ抜け出たかたちのゼランとフォルトの覇権争いの陰で屏息していた……
「まもなく京師に入洛いたします」
京師――第五惑星《外苑》の周回軌道より内側の宙域が、そう呼ばれていた。過去二千年以上の歳月、コルトナイドの歴史の中軸のひとつとして、人の世の盈虧を見守ってきた場所……
「ねえ、ばあや。あのキラキラ光ってるのはなぁに?」
カールは展望窓から離れようとせず、初めてまのあたりにする壮大な光景へ尽きせぬ興味をしめしていた。
「あれは……どうやら宇宙軍の艦船のようですわ。若君」
「おー! かっこいいなぁ〜」
無邪気にそんな感想をのたまって嬉々とするあたり、やはり男の子なのだった。
(けれど妙だわね。あんなにたくさんの艦船が、京師の内側で停泊してるなんて)
ソーコ夫人は訝しんだ。
帝都星系の周辺に多数配置された天体城には、直隷艦隊と呼ばれる精鋭が常駐して守りをかためているが、京師の宙域に艦艇が姿をあらわすことは稀である。
家臣のひとりが、ソーコ夫人の疑問にこたえた。
「そういえば航路局の者が、観閲式があるとか申しておりましたな。今日だったのでしょう。またどこやらへ外征があるようで」
「まぁ。そうでしたの」
その時、通信士の声が操船室に響いた。
「前方に大型艦。本船の針路上です。――あ、今、念信が入りました」
通信士が読み上げた。
「我ハるでぃおろーな鎮守府のいざー方面艦隊所属、戦闘艦てれんす。本艦ハ目下作戦航行下ニアリ。勧告ス――スミヤカニ本艦針路ヨリ退去セラレタシ」
「慮外な! ここは京師のうちだぞ……通常の時空航路ではないわっ! いかに作戦行動中の軍籍船でも回避義務はそちらにあろうが」
連絡艇の船長が憤然と云った。
こちらが貴族所縁の船であることは、むこうも承知しているはずだ。それを承知のうえで敢えて権柄ずくの態度をとるのは、おおかた華胄界を快く思わない平民出の士官とかがいて、日頃の鬱憤を晴らして溜飲を下げてやろうとでもいったところなのだろう。よくあることだ。
「通信士。こう返信してやれ。――貴艦、国法ヲ知ラザルヤ? 此処ハ輦轂ノ下ナリ。謹ンデ御稜威(みいつ)ニ服スベシ」
ソーコ夫人はマリィと顔を見合わせて苦笑した。マリィのほうは、ちょっと不安そうな困ったような顔だったが。
「船長殿。ほどほどにお願いしますわね。御館様に迷惑がおよんではなりません」
「なんの。たかが一隻の戦闘艦に恐れをなして引き下がったとあっては、御館の武名にも瑕がつきます」
レーゼンテ男爵家は尚武の家風をもって知られる騎士の家。家臣たちもまた気性の荒い者が多い。
操船室の正面、ちょうど展望窓の前あたりの空中に幻影窓がひらいた。幻影は二、三度像がぶれてから鮮明となり、広いホールのような場所を映し出した。軍服の男たちが大勢いる。どうやら連絡艇の正面にいる軍艦――ルディオローナ鎮守府ノイザー方面艦隊所属の戦闘艦、テレンスとやらの艦橋であるようだ。
中央の指揮座に陣取った厳つい顔つきの男が、こちらを睨んでいた。
『我輩は本艦の艦長、ドルス万卒長である。貴船はいずこの御家門の所属か?』
「トールジットのレーゼンテ男爵家である」
船長がふんぞりかえって答えた。カールは事情が飲み込めずキョトンとしていたが、これを見てくすりと笑った。
『ぬ〜! 公侯の家柄であるならばいざ知らず、田舎男爵の家中ふぜいが栄えある帝国宇宙軍の道を遮るとは言語道断!! どかぬとあらばこのまま踏み潰して押し通るまでよ。それでもよいか!?』
「なんだと!? やれるものならやってみろ!!」
さしも優しいソーコ夫人もまた、田舎男爵云々には相当カチンときたらしい。
「ちょっとあなた! 万卒長だかなんだか知らないけれど、無礼は許しませんわよ!」
興奮する船長やソーコ夫人を制するように、マリィが前に進み出た。
楚々とした少女の登場になんとなく毒気を抜かれた表情となるドルス万卒長。
「船長。あちらさまに航路をお譲りして」
「し、しかしマリィ姫様……」
云いかけて、少女の背中を見つめ押し黙る船長。
マリィは幻影窓の軍人に向かい、宮廷式に典雅な一礼をしてみせた。
「お初におめもじ仕ります。わたくしはレーゼンテ男爵コレンの娘、マリィ・レーゼンテと申します。家臣の非礼、当主になりかわりお詫び申し上げます」
『あ――いや……これはどうも……ご丁寧に痛み入る』
マリィが貴族と知って、さすがに幾分言葉をあらためるドルス万卒長。
「さりながら、先ほどのあなた様の当家への侮辱、聞き捨てなりません。我が家の爵位はその昔、祖先が武勲によってヴァルカード一世陛下より賜ったもの。これを面と向かって辱められたのでは、帝室に対し奉り申し訳がたちません。どうか発言を御撤回のうえ、謝罪くださいますよう」
武骨なドルスが傍目にもあきらかにたじろぐ。
「さもなくば……騎士の作法にのっとり、後日あなた様のお命を申し受けねばなりません」
毅然と云い放つマリィ。
ソーコ夫人などは、これがあのおとなしいひい様だろうかと目を見張ってこのやりとりを聞いていたが、ふと、マリィの体が小刻みに震えているのに気がついた。
(ひい様……)
『あははははは。どうやら君の負けみたいだよ? ドルス』
何者かの声がそう云った。
戦闘艦テレンスの艦橋へ新たに二人の男が現れたのが幻影窓から見えた。一人は立派な提督衣に純白の長いマントをひく青年。もう一人はその副官らしき、これはマリィもよく見慣れた深紅のマントと黒い詰襟軍衣――彼女の父と同じ近衛騎士団の略装をした、これまた若い男。そして二人の額には、帝国貴族の証であるレンゼスの紋章の刺青があった。
艦橋にいた軍人たちが一斉に直立不動の姿勢をとり、二人の若者――というか、提督衣を着た青年にむかってであろう――敬礼した。
『はじめまして。勇敢な、誇り高きレディ。僕はユーキ・アーファン・ゼルティアといいます』
青年はあっけらかんとしてそう名乗ると、にっこり笑った。
「ひえっ!」
ソーコ夫人や船長らは、その名を耳にしたとたん床に平伏してしまった。
『そしてこっちは……』
ユーキの後ろにいた若者が一歩前にでて、騎士の礼をした。
『おめにかかれて光栄であります、レディ。私は騎士卿エルベートと申すもの。爾今お見知りおきを』
誠実そうなその若者は、すこし照れくさそうに微笑む。
『実を申しますと、私がかつて騎士団幼年修練館におりました頃、あなたのお父君レーゼンテ男爵には、かくべつ薫陶を受けたのであります』
『お〜そういや、随分しごかれたとか前に云ってたなぁ』
横にいたユーキが茶化した。
『や、やめて下さいよ、殿下! ご令嬢の前でそんな……男爵の耳に入ったらどうしてくれるんですか?』
マリィはちょっとの間呆気にとられていたが、やがて気が抜けたのか、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
これが、エルベートとマリィの馴初めである。
〜続く〜