光と闇の海の果てに

第1話(14) INDEX 第1話(16)

〜第1話 邂逅(15)〜

 大通りの鐘楼が正午を告げた。その小気味よい鐘の音は幾棟もの高層家屋に反響して街に拡散し、この裏路地へも届く。擂鉢で薬草の調合をしていたシャン婆は、仕事の手を休めて肩の凝りをほぐした。魔法具屋は裏稼業で、表向きは古物商兼薬屋ということになっている。盗掘品や闇市場に流通するヤミアイテムを商うのは、大きな利鞘を得られる旨味ある商売といえたが、国際的に違法行為でもあるのでそれなりのリスクをともなう。法執行当局に目をつけられては厄介なので、偽装とはいえ古物商と薬屋のあきないもそうそうぞんざいにはできないのだ。
(もうお昼かえ。昼餉はどうしたもんかねぇ)
 シャン婆は立ちあがって、店の奥の間を覗いた。お世辞にも人相風体がいいとはいえない荒くれ男三人が、酒を飲みながら賭博に興じている。
「まったく、昼ひなかから飲んだくれて博打かい。いい身分だよまったく」
 うんざりした様子でぼやくシャン婆。
「んなこと云ったってよぉ、ワシら用心棒だからな。ほかにやることもねーんだヨ」
 この男たちは、シャン婆とはえにし浅からぬ真紅海賊団の水夫連中だった。老婆がひとり、こうした裏稼業を活計としてゆくのはなにかと物騒だ。そこで、真紅海賊団の副長イリュードがお節介をやいて、腕っ節の強い子分をこうして交代で詰めさせているわけだ。その筋の者であれば、シャン婆の後ろ盾には恐ろしい宇宙海賊が控えているらしいということをきちんとわきまえていて、めったなことはしないのだが、時には世間知らずの馬鹿もいる。そういう連中が商売がらみのおいたをしでかした時、この用心棒たちの出番となるわけだ。
「大の男が雁首そろえて役立たずときた。イリュードもとんだごくつぶしを寄越してくれたもんだ」
「シャン婆さんよぉ、そりゃあ云いすぎってもんだぜ。んなことより、昼メシはまだかい?」
「おう、ハラへっちまったよ」
「やれやれ、云ったそばからこれだ。ほらよ」
 シャン婆はテーブルの上に五〇〇リーズ銅貨を置いた。
「お前さんは表通り行って、屋台でてきとうに昼飯調達してきな。そっちの二人、アンタらは薬の配達だ。いま問屋までの地図を描いてやるからね。さぁ働いた働いた。働かざる者食うべからずだ、この木偶の坊のろくでなしども!」

 三人の用心棒を遣い走りに叩き出して、シャン婆は一服ついた。
(ふぅ、お茶が美味しいねぇ……――おや客かね?)
 人の気配。いつの間に入ってきたのか、店の戸口に長身の男がひとり立っていた。右目に眼帯をあてている。隻眼のようだ。
「よぉ。シャン婆さんの道具屋ってのは、ここでいいのかい?」
「はい、いらっしゃい。そうですよ、この婆の店ですとも。何をお求めですかぇ、お客さん」
「ふーん」
 男はずかずかと店の中を歩き回り、そのあたりに無造作に積まれた奇妙きてれつな壷や杖を手に取って見るが、それはいかにも気のない、興味の片鱗も見出しえない動作であった。舞いたつ埃に不快そうに顔を顰める。シャン婆は笑みをたやさず、その男のようすを見守った。
「鏡に映った月のかけら」
 隻眼の男が唐突に云った。シャン婆をうさんくさそうに無遠慮に値踏みするその左目は、なにか狂おしい偏執を宿しているように見えた。
「めずらしいね、そっちの客かぇ」
 男が口にした言葉は、シャン婆の裏稼業のほうを意味する符丁である。
(おーおー……イヤったらしい目だこと。こいつは人斬りだね。それも、殺人を娯楽と勘違いしてる、かなりたちのわるい悪党だよこりゃ。とっとと商売して、お引き取り願うとするかね)
 シャン婆は床の仕掛け板を踏んだ。歯車のかみ合う音が狭い店の中をみたし、やがて店舗の真ん中を占めていた陳列台が横にずれ、地下へ通じる階段があらわれた。
「その階段を降りてまっすぐ進みな。下に秘密の部屋がある。あたしゃ先に行って、下で待っとるよ」
 そう言い置くやいなや、シャン婆の座っていた椅子の周囲の床がするすると降下してゆく。五秒ほどしてから何もない床がせりあがってきて、再び穴をふさいだ。非常脱出用を兼ねたからくりである。
「おもしれェ店じゃねぇか」
 隻眼の男はさしておもしろくもなさそうに呟き、階段に足をふみいれた。

「さて、まず初めに老婆心ながら忠告しといてやろうかね。この部屋にゃ狼藉防止にいろいろと罠をしかけてある。そりゃあえげつない罠だよ。死にたくなけりゃ、妙なマネはしないほうが利口だよ、お客さん」
「フン。血の臭いがしやがる。まんざら嘘っぱちでもなさそうだな」
「まぁね。この部屋で死体になった馬鹿な小僧も、十人や二十人じゃきかないからねぇ。死体処理は簡単な仕事だよ。魔法薬で骨も残さず溶かして下水に流すのさ。ただ、あまり愉快な仕事ではないからの。薬ももったいないし、できれば余計な手間はかけたくないのさ」
 シャン婆は訊ねた。
「んで? 用件はなんだい? 持ち込みかい? それともお買い上げ? たいがいの物は御要望にそえると思うぞえ。物によっちゃ、仕入れに時間がかかることもある。ま、金次第ではあるがね。ひゃっひゃっひゃ」
 隻眼の男は懐から革袋を取りだし、勘定台の上に置いた。弛んだ口から一万リーズゼラン金貨の輝きがのぞき見えた。
「剣を見せてもらいてェ。業物はあるかい?」
「ほぅ。ウチで買い求めるからにゃ、そっちの類いをお探しってことだね。ちょいと待っとくれ」
 云い置いて、シャン婆は部屋の奥へひっこんだ。しばらくして、古ぼけた細長い木箱を重そうにかかえ、戻ってきた。
「刀剣類はめったに入ってこないんだ。お上の取り締まりが厳しいもんでね。が、お客さん運がいい。ちょうど一振り在庫がある。半年ほども前に、馴染みのトレジャーハンター――と云や聞こえはいいが、まァ要するに遺跡荒しの盗賊だわの。そのトレジャーハンターの男が持ち込んだもんさね」
「ほぅ。出所は?」
「そいつぁ云えないねぇ。この稼業にゃこの稼業の仁義ってのがあって――」
 男のほそい隻眼がさらに眇められ、シャン婆を射た。
「婆ァ。こちとらシロートじゃねーんだ。出所もわかんねェ胡散クセー得物なんざ買うわきゃねーだろ。オレ様ぁ今、虫の居所が悪ィ。あんましナメたことぬかしてっと、ぶった斬っちまうぞ」
 堅気の人間ならば、この殺気漂わす男の恫喝に縮みあがるところであろうが、シャン婆もさる者である。
「威勢がいいのぅ、お若いの。こうしたあきないにゃ、それなりの手順があるんじゃよ。まァお前さんお急ぎみたいだから、この際駆け引きは端折るがね。あたしも老い先短いとはいえ、命は惜しい」
「御託はいらねー。そのヤッパはどこの出土品で、どういういわく付きの代物なんだよ」
 シャン婆は声をひそめた。
「雪華のボルトーク星海。まだ名前もない古代遺跡だよ」
「ボルトーク星海? てーと、どのあたりだ?」
「そうさな、天翔図でいうと……コーネスト大公国って知ってるかい? ゼランの保護国のひとつなんだがね」
「名前は聞いたことあるな。雪華の方だったか? いずれド田舎の植民地だろ。つか、いちど定期便で通りかかったことがあったかもしんねー」
「そのコーネスト大公国と、雪華七国同盟の一国アルンビーク王国の国境に挟まれた緩衝宙域だね」
「おいおい、ちょっと待て。《船の墓場》とか云われてる難所じゃねェか。……クソ婆ァ。オレ様をナメてんのか? あのけったくそ悪ィ宇宙空間に、んな上等なお宝遺跡があるなんて与太話は聞いたこともねェ」
「本当だよ。あのあたりの裏海には、手付かずの遺跡がごろごろしてるのさ。そもそもあんた、草莽の衆にそんな話が流布してごらん。一日と置かず、官憲の手がまわっちまうさね」
 つと肩をすくめる。
「まァいずれは遺跡の存在を嗅ぎつけて、ゼラン帝国と七国同盟の間で一悶着起こるのかもしれんがねぇ。あたしらヤミ商人は、それまでせいぜい稼がせてもらうという寸法さ」
 古代魔法文明の遺跡の存在は、しばしば国々の興廃を左右する。雪華七国同盟の盟主バルトリンゲン帝国なども、かつては辺境の星の小さな都市国家に過ぎなかったが、二十一世紀頃ベイルン遺跡を確保したことにより、群雄割拠の雪華大星雲において乱世を勝ちぬき、列強の一角として台頭するを得たのだ。とこう未知の遺跡の発見が、将来、コルトナイドの勢力図を一変させることもないではない。列強諸国が古代遺跡の管理に神経を尖らせる所以である。
「出所はボルトーク星海の遺跡で間違いないよ。信じる信じないはお前さんの自由だがね。ただ、どういう由来の物で、どういった性質の物かは、試してみないことには分からんね。なにせヤミアイテムだ。モグリ錬金術師の鑑定なんざ、あまりあてにはできないしね。ひゃはははは」
「ふーん。ではま、剣を検めるぜ? 商談はそれからだ」
 隻眼の男は木箱の埃を払い、蓋を開けた。中には色褪せた呪符を貼付して厳重に封印された襤褸布の包みがあった。男は無遠慮に呪符を剥ぎ取り、襤褸布をかきわけて、中の銀剣を手にした。慣れた手つきでゆっくり抜剣。
「ほーぉ、こいつぁ……」
「どうだい」
「なるほど。魔力剣の類いにゃ違いあるめェ」
 百錬の剣士は、柄を握った瞬間に剣との相性を見極めるという。隻眼の男は苦虫を噛み潰したような顔でささやいた。
「だが、手になじまねーな。どうもしっくりこねェ」
「そうかぇ。なんなら改造も請け負うぞえ。別料金になるがね。――隣のフリット街城に、腕のいい鍛冶屋のじじいがおるでの。くたばってなけりゃ、この界隈じゃ最高の職人だよ」
 しばし剣をためつすがめつしていた男だが、やがて鞘に納める。
「他にブツはねーのか?」
「気に入らなかったかい」
「ああ。ダメだなこりゃ。作りは悪かねェが、肝心の付帯魔力のほうがからっきしだ。使い物になんねーわ」
「この剣の魔力がからっきしだって? アンタの目は節穴かい。呪符で封印しなきゃならないほどの業物だよ。遣い手が使えば半径一〇〇フヤールを溶岩の海にしちまう強力な剣だよ」
「オレ様の前の得物と較べりゃ、ちゃちな玩具みてーなもんだ」
 シャン婆は疑わしそうに云った。
「お前さん、いったいどういう剣持ってたんだい?」

(クソ……アレ並みたぁ云わねーが、せめてもうちっと使える得物が手に入ると踏んだんだが。甘かったか)
 ユーアーサは考えに沈んだ。
(あのいまいましいジジイはなんつってたっけ。確かそう――)
 魔法具屋の老婆に探りを入れてみるか。このテの老婆は飛耳張目の情報通と相場が決まっている。
「おい婆さん。アンタ、ネイテルって名前に聞き覚えはあるかい?」
「あん? なんだいそりゃ」
「たぶん大昔の剣刀匠とか錬金術師の名前だと思うんだが……その口ぶりだと心当たりはねェようだな」
「ん〜〜ネイテル。ネイテルネイテル……どっかで聞いたことあったような気がするねぇ」
「あ? 知ってんのか。思い出せ!」
 シャン婆は何思ったか、壁際に積み上げてある木箱を次々に漁りはじめた。やがて、やけに古めかしい大きな皮革装丁の本をひっぱりだしてきた。
「なんだよ? そのバカでけェ本は」
「こいつぁね、この稼業の手引書ちゅうか辞書みたいなもんでの、ほんとうはお客さんにゃあ見せられんことになっとるんだが」
「こんなもん見てもチンプンカンプンだ。何語だこれ? 見たこともねェ字だな」
「古いバーテリッド文字さね」
 小さな丸眼鏡をかけて頁を捲りながら、枯枝のような皺くちゃの指は、索引とおぼしき文字列を素早く辿ってゆく。
「読めるのか? 婆さん」
「あたしゃ魔法具骨董の商売で食べてるんだよ。これくらい読めなきゃ仕事にならんのじゃよ。ええと、ネイテル、ネイテルと……あったぞえ」
「何て書いてあんだ。早く読め」
「お待ちよ。せっかちな兄さんだねぇ」
 シャン婆はテーブルの上のランプを手繰り寄せると、おもむろに朗読しはじめた。
「……『ケルトラ遺跡文書』にその名は散見される。四柱朝汎次元帝国なる古代国家の枢密院を構成した大魔法使い。輪祚をもっていにしえの宇宙に君臨した《四柱》――クベルニアス・ド・カナーセルの高弟にして側近たる《カナーセルの使徒》、十五魔導司の一人。尚、魔導司(ルーンゼイテス)とは、現代において魔法使いの最高位と目される魔道師(ウィザード)の上位クラス、魔召史(メイジ)の更に上位に相当するとみられる……。《カナーセルの使徒》については他に、ジルファーゼン、マージョリィ両魔導司に関する記述があるも、その実在は伝説の域を出ず云々……」
 ユーアーサはしばし、シャン婆の言葉を噛み締めた。
「おいおい……なんだかかなり雲を掴むような話だなオイ。その野郎が、オレ様の云うネイテルってヤツと同じ奴なのかどうかは、それじゃ全然分からねーな」
「お前さんの云うネイテルかどうかは知らんがね、大昔の魔法使いで名前の通ったネイテルっていや、この魔導司ネイテルしか心当たりはないよ。と云うても、こいつは伝説ちゅうより、ほとんど神話の登場人物みたいなものなんだけどね。ここに書いてあるとおり、実在したかどうかも分からない」
 ネイテルの件についてこれ以上踏み込んでも、果々しい情報は得られまい。そう判断したユーアーサは、話を切り換えた。
「そいつについては、もういいや。じゃあ剣の話だ。値は張ってもいい、しこたま強力な魔力剣が一振り欲しい。掘り出し物の情報があれば教えてくれよ」
「情報提供のお代はきちんと頂戴するよ。ウチも商売なもんでね」
「強欲な婆ァだな。ほらよ」
 ユーアーサは、さきほど勘定台の上に置いた革袋から金貨を一枚取りだし、シャン婆にほうり投げた。
「ひゃっひゃっひゃっ。毎度あり」
「くだらねェネタだったら、その素っ首叩っ斬るぞ」
 わざとらしい笑顔でさらりと危険なことを云う。それが冗談でもなんでもないことは、彼の隻眼が雄弁に語っていた。
「マーレンヴィーア銀河にお行き。ウリル星海にランフリートって星がある。でっかいケイゼリューク神殿の門前都市で有名なところだから、行けばすぐ見つかるよ。ポネル・ラーム共和国の首都アルカ・フィアから、定期便が出ているハズじゃ」
「そこに何があるってんだ? よもや人跡未踏のお宝遺跡があるからテメェで発掘してこい、とかぬかしやがるんじゃねーだろなぁ」
「今年は惑星ランフリートの神殿都市クランザードってところで、大きい闇市がたつのさ。現地でその筋の人間にあたれば、すぐに分かる。知り人がおるでの、なんなら添え状を一筆書いてやるぞよ。紹介料いただくがね。ひゃっひゃっひゃ」
「いらねーよ。――クランザードか。今年は、神殿の闘技会がある年だったっけな」
「そういうこった。お前さんも剣客の徒なら、軍神奉納闘技会の噂くらいは耳にしておるじゃろ。お前さんのような客を当て込んで、ヤミ商人たちが集うのさ。七年に一度の祭だ。そりゃもう一見の価値ありだよ。めったにお目にかかれない魔術級や魔道級のアイテムが、わんさと売買されとる。この婆も、足腰がもう少し達者だったら飛んで行きたいんだけどねぇ」
 シャン婆は自分の話に商人魂を触発されたのか、さも残念そうに吐息をついた。ユーアーサはふと記憶を手繰った。
「おい婆さん。何年か前、クランザードのケイゼリューク神殿に賊が押し入って、お宝の剣だかが盗まれたって事件、知ってっか?」
「ほぉ。お前さん、なかなか物知りじゃないか。若いにしちゃ上出来だよ」
「ナメんな、婆ァ。こちとらシロートじゃねェつったろ」
「十四年前の事件だね、ありゃ。神殿詰めの神官や衛士五百余人が惨殺され、三十四世紀のゼラン魔術皇帝ヴァルカード一世が寄進したと伝えられる宝剣オーセルバードが盗まれたのさ」
 万事に冷笑的なところがあるユーアーサだったが、この宝剣にはおおいに興味をそそられたものである。
「どんな剣だったのかね、そのナントカバードってのはよぉ」
「言い伝えじゃ、とんでもない魔力を秘めた古代の剣だったというね。吟遊詩人たちの詠う叙事詩にもなっとるしの。ヴァルカード一世はオーセルバードとエクスフォーン――二振りの無双の魔力剣を持っていたんだと。臨終にさいして、一振りは側近の騎士に託してどこか辺境の地に隠し、もう一振りはくだんの神殿に寄進されたという話さ」
 ユーアーサは、記憶に刻み付けるように反芻した。
「魔術皇帝ヴァルカード一世愛用の剣……オーセルバードとエクスフォーン、か。今やどちらも行方知れずつうワケだ」
「ま、おもしろい話ではあるが、あと何十年、ヘタすりゃ数世紀は、表にせよ闇にせよ、市場にゃ流れてこないだろうね。やばいブツならなおさらだ。――おや、お帰りかね?」
「ああ。けっこうおもしれー話聞かせてもらったよ」
 扉の前でつとふりかえるユーアーサ。
「だがな婆さん、長生きしたきゃ、あまり欲かかねェことだ。みんながみんな、オレ様みてーな紳士的な客たぁ限らねェからな」
「ちがいない」

「……ふぅ……剣呑な客だったらありゃしない」
 隻眼の男が去った後。シャン婆は緊張が解けて脱力感に見舞われていた。とにかく危険な香りのする男だった。世故にたけたシャン婆なればこそてきとうにあしらって事無きを得たが、対応を誤っていればバッサリ斬られていたかもしれない。
「ありゃあ、かなり修羅場をくぐりぬけてきた人斬りだね。たぶん、相当な腕だよ。真紅のおかしらやイリュードともタメ張れるかもしれないね」
 シャン婆はひとりごちた。
(真紅んトコの若い衆、遣いに出してて正解だったよ。あいつらがいたら、きっと血を見ることになったかも。くわばらくわばら……)


 殺気はなかった。殺気をまとわずして標的を仕留める――それは暗殺者としての訓練と経験を積んだ者が体得する厄介な技能のひとつである。だがこの際は、ユーアーサの体躯にすりこまれた反射がそれを凌駕した。すれちがいざま通りすがりの町人から刺客へと豹変した男の短剣を紙一重でかわし、抜き手も見せぬ早業で男の首を斬りおとす。噴水のようにふきあがる血。それが契機となった。路傍で談笑していた老人や物売りの中年女らが一斉に柔和そうな仮面をかなぐり捨て、冷血な無表情となってユーアーサに襲いかかってきた。みずから下した死に心乱されることとてなく、ユーアーサはすぐさま次の敵に対していた。この期に及んで双方互いに誰何するようなことはしない。誰何するまでもなく、ユーアーサには察しがついた。
(影闘術。マールズの手下だな)
 ユーアーサの知る《黒衣》たちは、きわめて手練の暗殺者集団であった。その上、禁忌の麻薬による洗脳で、死をも恐れぬ狂戦士へと仕立てられている。ユーアーサは無駄に剣を合わせず、必要最小限の動きで敵の頚椎を突きとおしてゆく。げに敵をして戦慄せしめずにはおかぬ洗練ぶりであった。

 剣戟の響きがやんだ裏通り。ユーアーサはなお油断なく敵の気配をさぐる。
(片目ってのは戦いづらいかと思ったが)
 なかなかどうして、相手の動きがおもいのほか把握できる。失われた視力を、他の五感すべてをいっそう研ぎ澄ますことで補う――それはユーアーサの開眼しつつある新境地だった。まったく微妙な感覚だが、今の闘いを見ても覿面である。
(この件にケリがついたら、もうちょっと鍛えてみっか。オレ様はまだまだ強くなれる。オレ様の剣を掠め盗りやがったあのいまいましい魔道師ジジイ……)
 あの時は、なすすべもなく、命辛々逃げるしかなかった。が、この落とし前はいつかきっちり付けてやる。そのためにも、早くあの赤い魔力剣に代わる得物を手に入れなければならない。
「まず、とっととニーブレンからフケさしてもらうか」
「そうもいかんのだ。ユーアーサ」
 横手の路地から姿をあらわし、恐れげもなくユーアーサの前に立ちはだかった者がある。黒覆面に黒装束――全身これみな黒づくめ。
「ブローレか。ご苦労さんなこった」
 《黒衣》を束ねる男だった。先頃、ソレル街城ペルゼーヌの森におけるユーキ・アーファン・ゼルティア子爵襲撃計画では、共に作戦行動に従事したものだ。
「やはり、この者たちでは束になってもよく敵しえなんだか。おぬしは実にふざけた男であるが、剣の名手にはちがいない」
 ユーアーサの足許で累々と屍をさらす手下たちを一瞥して云う。
「憐れなヤツらだぜ。クスリ漬けにされた挙句、捨て駒としていいように頤使されるんだからな。そこまでテック伯やマールズに義理立てすることもあるめェに」
「貴様ごときに、我等同志の大義など理解できまい。裏切りは命をもって贖え。それが我等裏に生きる者の掟だ」
「べつに裏切るつもりはないんだけどな。今度の仕事は、ちょっと都合が悪いんで、降りるっつってんだ」
「走狗のぶんざいで都合云々するとは片腹痛し」
「聞く耳なんざ持っちゃいねぇか」
「さよう。問答無用だ」
 ブローレは己の右手を捻った。留め金のはずれる音がして、右腕の肘から下が地面におちた。
(義手!? 暗器か!?)
 次の瞬間には身体が動いていた。凡庸な剣士であれば、迂闊に懐に飛び込むのは危険と判断するところである。なかんずく敵手が暗器の遣い手とあれば、間合いが分からぬのでなおさらだ。しかし、ユーアーサは幾多の生死のやりとりの中で鍛え抜かれた類い稀な剣士であった。一瞬の判断が生死を分かつ闘いで、守勢を挽回して勝ちを得るのがいかに困難なことか知悉していた。
 体勢を低くして左に跳躍。左袖にひそませた刀子を投げつけてブローレの気を逸らす。一瞬前にユーアーサが立っていた地面で爆発が起こった。爆風にひるまず、何かの破片が、身体のあちこちを切り裂くのも意に介さず、ここで更に右に跳躍したのち、地をけって間合いに飛び込みざま、大腿をねらった横薙ぎの一閃。が、柄を握る手に伝わってきたのは、肉や骨を斬るあの感触ではなく、硬質の物に剣を阻まれた痺れであった。刃が毀れた。ユーアーサの顔面に黒い筒が向けられる。咄嗟に体当たり。縺れあって倒れるユーアーサとブローレ。はずみに剣を落とす。
 影闘術の真髄は格闘技にある。その達人であろうブローレと我流のユーアーサでは、技倆に大きなひらきがあった。ユーアーサは頬をしたたかに殴られ、一瞬気が遠くなる。奥歯が折れたようだ。口の中に血の味が拡がる。さらにユーアーサの脇腹にめり込むブローレの拳。たてつづけに強烈な鉤突きをくらい、呼吸困難におちいる。ブローレの右腕から伸びた黒筒が、ユーアーサの胸につきつけられた。
「死ね」
 黒筒の口が白熱の輝きをおびたまさにその時。黒覆面の隙間、ブローレの目を狙いすまして、ユーアーサが折れた己の歯を吹きつけた。狙いあやまたず、歯が瞳を直撃。ブローレがわずかにひるむ。その、わずかのひるみが、彼の命取りになった。ユーアーサの右袖に残っていた隠し刀子が、ブローレの喉を突き通す。間髪を入れず抉った。耳障りな断末魔。死に逝く者の目がカッと見開かれ、悶え苦しむ。ユーアーサはありったけの力でブローレの身体を押しのけ、剣を拾った。
「おつかれさん」
 ブローレの首を斬り、勝負はついた。じわりと石甃にひろがる血だまり。首なし死体を蹴って仰向けにし、右腕の黒筒を検める。途端にユーアーサは毒づいた。
「マジかよ。勘弁してくれ。こりゃあ小振りだが炎精砲(ルビュンネーデ)じゃねェか。こんなもん仕込んでやがったのか、このオヤジは」
 あの魔道師ジジイといい、イルティーバ族のメスガキといい、このブローレといい……
「この都はやっぱ伏魔殿だな。とんでもねェ化け物どもが何気にひそんでいやがる。まったくおもしれえトコだぜ」
 ユーアーサは自分のことは棚に上げて評した。
(いつつ……目ン玉の次は歯かよ。強敵とやりあうたびに不具になっちまうんじゃ洒落にならんぞオイ。それにつけても、マールズの野郎。これで完全に反目にまわったな。味方じゃないやつは消去法で敵ってことか。料簡の狭いやつだ)
 早足で凄惨なその場から離れつつ、ユーアーサは今後について考えた。敵は名うての策士だ。雇われ剣士ひとり隠密裏に葬り去ることなど造作もないにちがいない。ここで抜け目なく立ちまわらねば、ニーブレンから出る前に抹殺されてしまうだろう。
(しかたねェな。《契団連》の力を借りるか。あまりやつらとは関わり合いになりたかねーが、背に腹は替えられねェからな)
 雲隠れの秘訣は、相手を攪乱することだ。
(あいつらの政敵で、力のありそうなやつといったら誰だ)
 まずゼルティア子爵の名が思い浮かぶ。だがゼルティア子爵は外征中で、今このニーブレンにいないと聞く。となると、レグルス選帝公か。
(置き土産だ。あいつらの尻に火ィつけてやるぜ)


「よし! だいたい解読できた。あともうちょっと」
 空に浮いた縹色の髪の少女が舌なめずりして云った。ここは巨人族の庵かと見紛うばかりに大きな万年樹の一枚扉。その扉の中央あたりにあって、ホールを睥睨するかのような真鍮の有翼獅子。ちょうど有翼獅子の顔あたりに手をかざしていた少女は、ふたたび目を閉じ、何事かに集中しはじめた。
「ねぇ、シフォン! ねえってば! マズイよ。お師匠さま帰ってきたらお仕置だよ。もうよそうよ」
 床から上を見上げる梔子色の髪の少女が、困ったように訴える。縹色の髪の少女は下の少女を見て請け合った。
「もー心配性なんだからミューンてば。お師匠さま、また将棋爺さんのところに将棋指しに行かれたんでしょ? なら二、三週間は戻ってきやしないわよ。だいじょうぶだいじょうぶ」
 シフォンとミューンの育ての親であり魔法の師でもあるカーティベルトは、時たまふらりと昔馴染みだという謎の隠者をおとなう。老隠者のほうも年に何度かこの浮遊島の城に訪ねてきて、カーティベルトとシエルティグ将棋に興ずるのである。シフォンとミューンがカーティベルトの元にきてかれこれ十年たつが、未だに老隠者の名は知らない。
「カーティベルトに取り次いでおくれ、お嬢ちゃん。将棋の爺が来たと云うての」
 いつもひょっこりやってきては、そう告げるのである。いつしか「将棋爺さん」が、シフォンとミューンの間での通称となっていた。しかしこの飄逸とした老人も、あの師匠の古い知己とあるからにはいずれ只人ではあるまい。水晶玉のようなものを嵌め込んだ右目の義眼と長い白髭が特徴的である。畏れを知らぬ見習い魔法使いの少女たちに「将棋爺さん」などという牧歌的な渾名を進呈されてこそいたが、神その人の化身であるかのような、底知れぬ叡智と力を感じさせずにはおかない老人であった。
「あのおじいさん、どこに住んでるのかな? いつも羽の生えたヘンテコな馬に乗ってくるけど」
「知らないよー。お師匠さま、将棋爺さんのところに行く時はいつも船で出かけるみたいだから、外宇宙に住んでいるんじゃないの」
 カーティベルトの時空跳躍術は瞠目すべきもので、同じ島宇宙内での往来ならばわざわざ宇宙船を用いることもない。云うは易しであるが、これは途轍もないことであった。まず時空跳躍術の前提条件として、広大な島宇宙ひとつの因果律系をかなりの精度で把握している必要がある。その膨大きわまる術理演算は、魔操手や魔術士などには到底不可能で、魔道師のレベルでも困難といわねばならない。魔法理学や魔法史学を齧った者なれば、この一事でカーティベルトがいかに卓越した魔法使いであるか敷衍することは容易だろう。
「――よし、だいたい分かった」
 シフォンは両手で複雑な印を結び、虚空にルーンを描いた。シフォンの浮かんでいるあたりに幾重もの魔方陣がほのかに顕現し、その魔方陣の軌跡をなぞるように光芒がはしった。
「魔術級施錠千年物ってとこね。ちょろいもんよ。あたしって天才かも」
 自画自讃しつつ腕捲りしたシフォンは、真鍮の有翼獅子の双眸に両手で触れた。まるで水の中に手を入れるかのように、何の抵抗もなく手が有翼獅子の目の中に没してゆく。
「あ、あれ? 封印の奥にまた封印が張ってある。けっこう厳重なんだ……こんどのは、ちょっと手強そう」
 床から見上げていたミューンは大きな溜息をついた。
「もぅ、云いだしたら聞かないんだから。わたしは止めたからね」
「ミューンは興味ないの? この開かずの扉の秘密」
 知的好奇心と未知なるものへの探究心。これは魔法使いの性というものである。
「そりゃあ興味あるけどさ……」
「でしょう? これも向学心のなせるわざってやつよ。それに、お師匠さまだって、そなたらには無理だとは云ったけど、べつにこの扉開けちゃダメだって云ったわけじゃないしね」
「それは屁理屈だと思う……」
「えへへ。ミューンには悪いけど、もうここまできちゃったら連帯責任成立だよ。ちょっと手、貸してくんない?」
 シフォンの巻き起こす厄介事の後始末は、結局いつもミューンに回ってくるのだ。カーティベルトの柔和な顔が脳裡をよぎり、胸の奥がちくりと痛んだ。師はいつもミューンとシフォンを温かく見守って、怒るにしても激昂することが決してない。いっそ厳しく叱責されるほうがどんなにか気が楽だろう。
(お師匠さま……ごめんなさい)
 ミューンは心中、師匠に向かってシフォン幇助の罪を謝した。ミューンの心の中の秀麗な青年が苦笑したように思えた。見てくれこそミューンやシフォンの兄といっても通用しそうなカーティベルトであるが、彼女らの想像もおよばない星霜を生きてきた、あまりにも偉大な魔法使いだという。だが、どこにも超越者然としたところや非人間的なところは感じられない。カーティベルトの笑顔の端々に時としてただよう深い悲哀。ミューンは師にその笑顔を向けられると、どうしようもなく居たたまれない、せつない気分に襲われるのだった。
「やだ、何これ!? どうなってるのこれ!?」
 突如シフォンが惑乱した声をあげた。その声にまじる尋常ならざる響きが、ミューンを物想いから引き戻した。
「どうしたの?」
「た、助けてーっ! ミューン!」
 引き攣った顔でミューンを呼ぶ。巨大な扉の中央あたりに象嵌された真鍮の有翼獅子、その鼻先に黒い球体が出現しており、シフォンの身体を呑み込みつつゆっくり膨脹していた。ミューンの背筋に冷たい戦慄がかけぬけた。
(あれは!? まさかそんな……)
 周章狼狽したシフォンは、施錠解除の術を中断して烈光弾の術の呪文詠唱に入っていた。
「いけない! シフォン、それに烈光弾撃っちゃダメっ!」
「――っ!?」
 シフォンは半べそをかきながらミューンの姿を探しもとめた。
「その黒いのは、たぶん時空の穴だよ。わたし、お師匠さまの魔法書で読んだことあるの」
「どうなるの? あたし。あぁ、もうお腹のところまできた!」
 ミューンは急いで飛翔の術を行使し、シフォンのいるあたりまで浮上した。黒い球体は直径三フヤールほどにも膨れあがり、シフォンの下半身を完全に覆い隠していた。
「すごい……初めて見たわ。何でこんなところに時空の穴が?」
 いったいシフォンは何をしでかしたのか。
「ちょっとぉ〜、感心してないでなんとかしてよぅ」
「時空の穴はとても不安定なの。ちょっとした衝撃で、たぶん消滅すると思うわ。けれどその場合、あなたの下半身はどこか別の世界に持っていかれて、こっちの世界に残るのはあなたの上半身だけってことになるわね」
「……それってつまり、お腹のとこから真っ二つに裁断されるってこと? イヤ! そんなのやだ! 死にたくない」
 シフォンはさめざめと泣きだした。ふだんの意趣返しにちょっとばかり意地悪を云ってみたが、シフォンの泣き顔に遭うとミューンはすぐに後悔した。
「ほらほら、泣かない。大丈夫だから。シフォン、手だして。わたしの手にしっかりつかまって」
 とるものとりあえず黒い球体からシフォンを引っ張りだそうと試みるが、ミューンがいかに渾身の魔力をふりしぼって飛翔の術を発動させたところで、あたかも空間そのものに搦め捕られでもしたかのように、シフォンの身体はビクともしない。
「い、い、痛い、痛い……腕がちぎれそう」
「ハァハァ……だめだわ。わたしの力じゃ無理みたい……」
 今や黒い球体は、シフォンの首から下が埋まるほどに膨脹しおおせていた。
「もういいよミューン。ありがとう。危ないから離れてたほうがいいよ」
「え!? なにバカなこと云ってるの!? 諦めちゃダメだよ」
「諦めるわけじゃないよ。この時空の穴の向うの世界で、助けに来てくれるの待ってるから。お師匠さまなら、きっとなんとかしてくれるよ。あんまし手間かけさせるのも後ろめたいけど、あたしらみたいなヒヨッコじゃどうにもなんないよ、これ」
「でも、この穴がどんな世界に通じているかも分からないんだよ!? 空気だってあるかどうか……」
 ミューンの声がみるみる涙声になった。シフォンは首をふった。
「身体の周囲に結界を張って、仮死状態でいれば旬日くらいは生きていられるよ。身から出た錆だもんね。お師匠さまとミューンを信じて、夢の中で反省しているよ。あ〜ホント魔法関係は取り扱い要注意だね。生兵法は大怪我のもとだわ」
 ミューンは唇を引き結んで考え込んでいたが、やがて決然とシフォンを見て云った。
「つきあうわ、シフォン」
 シフォンが止めるいとまもあらばこそ、ミューンは黒い球体に捕り込まれるのも厭わず、シフォンに抱き付いてきた。唖然として言葉を失うシフォンに向けて、チャーミングにウインクひとつ。
「今からお師匠さま探してたら、救助に行くまでシフォンがもたないよ。だけど、わたしたち二人でなら、もっと堅固な相乗結界を展開できる。うまくいけば一ヶ月くらいは生存できると思うの」
 咄嗟の判断で、時間の猶予を稼ぐことに賭けたのだ。それも、カーティベルトへの揺るぎない信頼あればこその行動だった。
「ホールに残留思念を込めていこう。お師匠さまなら、きっと気付いてくれる。二人で助かってから、こってり叱られましょ」
「あんたって娘は……大好きよ、ミューン」
 こんな際ではあったが、シフォンはミューンにキスをした。ほどもなく、黒い球体が完全に二人を呑み込んだ。

「ミューン……無事?」
「ええ。……どこかしら、ここ」
「真っ暗だね。どこか遠い、よその宇宙空間なのかな?」
「分からない」
 二人の少女は、頼りなげな光泡の中で、しっかりと身を寄せ合い、囁きをかわす。
「あれ見て、ミューン」
 シフォンが暗闇の奥に何かを発見したようだ。ミューンの袖を引いて注意を促した。
「青い光……何かしら?」
 ミューンが目を凝らすと、長方形の平たい物体が微光をはなって浮いている。
「あれ、なんだか人工物くさいわね」
「近付いてみよう」
「危険じゃない?」
「近付いてみれば分かるよ。もしかしたら出口かもしれないし」
 シフォンが楽観的に述べた。
 近寄ってみると、長方形の物体は石碑のようなものだった。立錐の余地もないほどびっしりと、見たこともない文字だか紋様だかが刻んである。もちろん材質が何であるかはさだかでない。この空間では遠近感が今ひとつ曖昧なので近寄ってみるまで実感できなかったのだが、大きさもかなりのもので、カーティベルトの城にあったくだんの開かずの扉に匹敵するほどであった。
 少女たちはなんとなく圧倒されて押し黙った。先に沈黙を破ったのはシフォン。
「読める? ミューン」
「まさか。初めて見る文字だわ」
「ちょっと触ってみようか?」
 ミューンはシフォンをジト目で睨んだ。
(この娘は全然懲りてないわね)
 シフォンが石碑に手を伸ばしたその時、
(その先を侵すこと罷りならぬ。早々に立ち去れ)
 ミューンとシフォンの頭の中に、破鐘のような声なき声が轟いた。少女たちを包む光泡からすこし離れたあたりの暗闇が渦巻いた。ふたりが息をつめて見ていると、渦の中心あたりから何者かがあらわれいでた。黒衣を纏い、巨大な鎌を手にした骸骨。まさに不吉な死神そのままの姿であった。理屈では語れぬ先天的な畏怖が少女たちを鷲掴みにしていた。さしものシフォンなども、ガチガチと歯の根が合わずにいる。ミューンは気力を総動員して死神に向き合った。
「あ、貴方は何者です!?」
 死神は微動だにせず、ミューンを見据えているばかりだった。ミューンは辛抱強く待ってみたが、果々しい反応が得られないことを悟らざるを得なかった。が、この息苦しい対峙の間は、ミューンに冷静さを回復させる効果があった。
「御無礼いたしました。わたしはミューンと申します。アージルバントの魔法使い、カーティベルトに師事する若輩にございます。これなるはわたしの妹弟子、シフォンと申します。わたしたちは、さるよんどころない事情により、こちらの空間に迷い込みました。この空間は貴方様の領域と拝察いたします。みだりに静謐を乱してしまい、申し訳ございません」
 ミューンはふと思い当たって機転をきかせ、へりくだって虚心坦懐に死神に対してみる。その不吉な姿とは裏腹に、何故かこの死神に禍々しさとは違うもの――恐怖ではなく畏怖をこそ覚えたからだ。ミューンは己の直感を信じてみた。果たして死神の返事があった。
(……アージルバントのカーティベルト。その名には聞き覚えがある。遠い遠い昔のことだ。魔導司エルンスタール猊下の弟子、魔召史カーティベルトのことであろう)
 ミューンは確信を深めた。
「伺ってよければ。貴方様の御尊名は……」
(我は《混沌の回廊》の守護者。うつつ世での名など、とうに忘れはてて久しい)
「……《混沌の回廊》?」
(その娘が触れようとした碑石は《混沌界》に至る門。《混沌界》とは即ち、太古の時代、我等が宗主、クベルニアス・ド・カナーセルの一柱、魔創神ゲーテライザーク聖下と、七神龍の一体、翠龍リベンラーヌがあい闘いし古戦場。人間ごときが立ち入れるものではない。とく師のもとへ帰るがよかろう)
「それが、帰るすべが分からないのです」
(……そのほうらはカーティベルトの弟子であると申したな。ならばエルンスタール猊下の孫弟子ということになる。いにしえの交誼に免じ、我が転送してやろう。瞑目せよ)
 云われるままにミューンとシフォンは目を閉じる。せつな、急激に意識が薄れていった。

「――ン……ミューン」
 どれほどの時間がたったのだろう。誰かに揺り起されて意識を取り戻した。ミューンはまず床に倒れ伏す自分を発見し、思考にまつわりつく靄を振り払おうと頭をふった。
「大丈夫? 目、覚めた?」
 シフォンが心配そうに覗き込んでいた。
「う……頭、痛い」
「よかったぁ〜生きてた」
 覚醒しはじめた思考が、飢えたように情報を求めていた。
「ここ、どこ?」
「お師匠さまのお城。最初にいた開かずの扉のホールだよ」
「……」
「……」
 ふたりは互いに云うべき言葉が見つからず、しばし、押し黙った。
「夢、だったのかな?」
「二人同時に?」
「……」
「……」
 この驚くべき体験を、カーティベルトにどう話したものだろう。見習い魔法使いの少女たちは、当分の間、思索の種に不自由することはなさそうだった。


 〜続く〜
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