光と闇の海の果てに

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〜第1話 邂逅(13)〜

 アクアガルトの王都星セントパールは、人口一億人ほどと、星間国家の首都としてはこぢんまりとしている。星系そのものを有機的に都市圏と化した、ゼランの一兆人都市ニーブレンには、規模においてとおく及ばぬが、コルトナイド古典様式を今に伝える風雅な都市景観と豊かな自然環境は、《カイラールの瓊玉》と美称される。
「たしかに美しい星ね。惜しいわ……」
 ポネル・ラーム共和国の駐アクアガルト大使セディータは、馬車の窓から長閑な田園風景を眺め、何とはなしに述懐した。同乗していた書記官が聞きとがめた。
「惜しいと申されますと?」
「……名残惜しいと云っているの。もうじき本国へ引き上げることになるでしょうから」
「では、召還命令が?」
 セディータは書記官を一瞥して肩をすくめた。やれやれ、こいつはこのていどの文脈の糊塗すら看抜けないというのか。
「キミも外交官の端くれなら、もうちょっと洞察力を研きなさいな」
「はぁ」
「あーあ、気鬱だったらありゃしない。政府の馬鹿オヤジたちは何を考えているのかしら。あいつら、現場の苦労というものをまるで分っちゃいないわ」
 風通しの悪い組織に沈殿しがちな鬱憤である。
 セディータは車窓の框にほおづえついて、頭をあずけた。そのままぼんやりと流れゆく風景に見入った。
 外務省の吏僚たちの多くはアクアガルト王国を衰亡の途にある老大国と見做しており、対アクアガルト外交はしばしば、等閑に付されること露骨であった。要するに、彼等自身と彼等の組織にとって旨味のある仕事ではないということだ。そう、セディータの祖国においても、制度疲労のあまたの例に洩れず、巨大な官僚機構の腐敗は、心ある者をして唾棄せしむ状況にある。
 もっとも、陋劣な木っ端役人たちの蠢動など意に介さぬセディータではあったが。
(小人閑居して不善をなす、か。暢気なものね。今のポネル・ラームの経済的繁栄なんて、それこそ砂上の楼閣に過ぎないというのに。本国の連中がとりあえず児戯に興じていられるのも、アクアガルトがゼランへの防波堤として機能している向こう数年間のことでしょうよ)
 セディータの観かたは手厳しかった。あと数年の後には、アクアガルトを呑みこんだゼラン連合帝国と、真正面から対峙することになるだろう。同じ危機感を懐く者が皆無というわけではない。たとえばセディータの上司、ポネル・ラーム共和国元老院議員にして首相たるミトールがそうだった。セディータが政府のなかで唯一、刮目措くあたわざる人物でもある。
(やぁセディータ女史。このたびはアクアガルト大使就任おめでとう。外務省の中枢を歴任してきたきみからすれば物足りない任務かもしれんが……なぁに、二、三年の辛抱だ。骨休めのつもりで赴任するといい。ホッホッホッホ)
 ミトールのにんまり顔が脳裡にちらつく。何が骨休めだ。心身を削る激務じゃないか。まったく、いまいましい狸親爺め。
 辞令交付のさい、そのミトール首相がふと洩らした言葉が思い起こされた。
(アクアガルトにはひとり、名うての曲者がおる。わしがまだハナタレの書生であった頃、レウベーニで机を並べて学んだ朋輩だ。奇想天外なことを考えるやつでな。アクアガルト貴族の若旦那だったんじゃが、貴族なんかにしておくのはもったいない好漢であったわ。今は大都督なんぞという顕職に就いておる。やつには、さしものお前さんも少々てこずるだろうよ)
 少女王ルーテシアをもりたててアクアガルトの切り盛りをする大都督アレクシウスの雷名は、それこそ耳に姦しいほどだ。セントパールに着任以来、すでに幾度か対面し、言葉を交わす機会もあった。たしかに凡庸な人物でないことは、認めるにやぶさかでない。しかし、まだ互いの智謀をかたむけて交渉にのぞんだことはない。その機会は、間無しにおとずれることであろうが。セディータは風聞を鵜呑みにするほどお人好しではない。果たしてミトールが手放しで誉めそやすほどの器量ありやいなや。
(ま、お手並みとくと拝見ってところね)
 衛兵たちの守るいくつもの城門をくぐり、馬車はいつしか、剪定のゆきとどいた綺麗な庭園の並木道にさしかかっていた。見たところ、衛兵たちはよく訓練され、職務意識も高いようだ。必要とあれば、任務遂行のために己の命を投げ出すことさえ厭うまい。そういう面魂の、まことの兵士たちだ。こうした末端の兵士たちの士気は、最高司令官の気概を映す鏡である。
 御者が伝声管で告げてきた。
「大使閣下。間もなく大都督公邸に到着いたします」
 セディータは襟を正して、正面を見据えた。

「どうぞお楽に。今日の午餐会はごく私的なものです」
 普段にかわらぬ柔和な物腰。この小さな老人の双肩に、一国の命運がかかっているのだ。並の者であれば、その重圧に押し潰されよう。現にいま、セントパールからほど遠からぬカイラール天河方面において、ゼランの大艦隊を相手に激戦が続いているはずだ。為政者の心労と懊悩たるや、並大抵のものではあるまい。しかしそうしたことどもを外交の席に持ち込むことは、微塵たりともあってはならない。
 招待客はセディータのほかには、バルトリンゲン大使クラツキー子爵だけであった。
「本日のメニューです」
「ほぉ。主菜はグレーク産の子牛ですか。これは楽しみだ」
「御両所の好物だそうですな。今朝方、恒星間輸送で産地から取り寄せたものです」
 アクアガルトの先王シャーディ二世が、「究極の美味」と賞揚した惑星グレーク産の子牛肉は、セディータもたしかにこよなく嗜好する食材で、しばしば大使館の料理長に命じて取り寄せさせ、ささやかな役得を享受している。問題は、アレクシウスがそのことをそれとなく指摘したことだ。
「心づくしの御歓待、痛み入ります」
 セディータは流暢なアクアガルト語で礼を述べた。
「食文化に造詣が深い両大使にたいして、なまなかなものはお出しできませんからな。ハハハハハ」
 きな臭い政治の話でこそなかったが、美食談義という濾過を通した主客たちの駆け引きは始まっていた。
(物流はさしあたり健在ということか)
 政府の弱体化は、物流の麻痺として如実に現れる。それに、
(フン。私のこともひととおり精査済みということね。それに大使館の台所事情にも網をはってあると? 上等じゃないの)
 情報収集力にも衰えはないということなのだろう。セディータもまた、共和国治安情報庁から提出された、アレクシウス公やクラツキー子爵に関する報告書へざっと目を通していたが、アクアガルトのそれとは詳細さにおいて比べるべくもないのだろう。アクアガルトの誇る諜報防諜機関、通称《リーヴェルテン》は、列強のなかでも軍事力において比較劣位にある勢力が、軍事小国なるがゆえに獲得せねばならなかった優秀な組織だ。
(さて、頃合いかしらね)
 セディータは席から立ちあがり、氷のつまった銀のクーラーから葡萄酒の瓶をとりあげた。賓客への奉仕の機会をてぐすねひいて窺っていた給仕の者が、間髪入れず動く。それを丁重に制し、セディータは自分でコルクの栓をぬいた。
「大都督閣下。まず一杯お受けください。御無礼して、我が国の流儀でお酌させていただきますわ」
 非公式な午餐会であり、気取る必要はない。
「これは恐れ入ります。セディータどののように美しく聡明な方からの酌とあらば、大歓迎ですよ」
「あら、さすがに外交辞令というものに通暁していらっしゃる」
「なかなかどうして、偽りなき本音ですぞ。さよう、私があと二十歳も若ければ……おっと、これは由ないことを。この舌め、美しい御婦人を前にすると饒舌になりおる困り者なのです」
 セディータは微笑してみせた。こうした席にあって、あらゆる仕草の効果を素早く綿密に吟味するよう、日頃から訓練を積んでいる。「演技は外交にたずさわる者の重要な素養の一である」とは、ライディオス博士と並び称せられる賢者、エリーズ・アリキ博士の言葉である。たしかに一再ならず噛み締めるべき教訓ではあった。
「さすがは音に聞こえし大都督閣下。いつまでもご壮健でなにより。さぁ、一杯」
「昼酒の習慣がないもので、いやはや酩酊してしまいそうです」
「かまわないではありませんか。難しい公式折衝を控えているわけでもなし」
 実際は、これから三国間の錯綜する利害、輻輳する得失を調整しつつ、おいおい密談が進展してゆくのであろうが。どさくさにまぎれて酔わせちゃえ――半瞬、そんな悪戯心が浮かんで消えた。この老人が、そんなちょろい相手であるはずもない。しかし、酒で幾許なりと判断力を鈍らせることができれば儲けものである。セディータは熱心に杯を奨めた。
「お見事な呑みっぷりですわ。さ、もうひとつ」
「わはははは――おきをつけなされ、大都督閣下。綺麗な薔薇には棘があると申しますゆえ」
 このやりとりを円卓の向うで見るともなく見ていた赤毛の大男、クラツキー大使が容喙した。彼は強い蒸留酒を大杯で呷るように呑んでいたが、酔ったけぶりさえない。バルトリンゲン人の御多分に洩れず酒豪であるとみえる。
「ご冗談を。常日頃あでやかな美姫たちが妍を競う宮廷に出仕されて、目が肥えておいでの閣下のこと。わたくしごときの《女の武器》は通用いたしませんわ」
「いやはや参りましたな。この枯れ果てた年寄りをつかまえて、あまりからかわんでくだされ」
「またまたご謙遜を。お若い頃は、斯道でも鳴らしたそうじゃありませんか。我が首相からも、閣下若かりし日々の恋の武勇伝など洩れ伺っております」
「まっこと汗顔の至り。ミトールのやつめ、余計なことを……いや、失礼。昔の交誼に甘えて、ミトールと呼ばせてもらうことをお許しねがいたい。彼は息災ですかな?」
「それはもう矍鑠たるものですわ。若い者はいつも首相にふりまわされて、てんてこ舞いですよ」
 アレクシウスはしばし追憶にひたるかのように、遠くを見る目をした。
「その情景、目に浮かぶようじゃ。あれはレウベーニの学士院で共に学んでいた頃もそうであった。もう何十年、ミトールと会ってないのかな」
「二十四年前、貴国の先王シャーディ二世陛下が国賓として我が国を公式訪問された際、閣下は首席随員として首都アルカ・フィアに参られたようですね。その時以来ではないでしょうか」
 セディータは報告書にあったアレクシウスの経歴を思い出して指摘した。
「素晴らしい記憶力ですな。なるほど、もう二十四年にもなりますか」
「ほぉ。大都督閣下と、ポネル・ラームのミトール首相閣下は御学友同士であられたか。それはそれは」
 クラツキーが耳敏く反応して、情報を咀嚼するように云う。
「若い頃はひとかたならず世話になりました。九死に一生を得る冒険をともにしたことさえある。家族や親類などは、私がこの冒険の話をすると、年寄りの与太話と決め付けてかかり、まともに取り合ってはくれませんがね。私も法螺話あつかいされるのは口惜しいので、身内以外には請われぬかぎり、この話はせぬことにしております。ははははは」
「四海に名だたるアレクシウス公とミトール首相の若き日の冒険譚とあらば、後学のためにも拝聴せずばなりますまい。是非是非」
 クラツキーがいかにも興味津々といった顔つきで、身を乗り出した。アレクシウスは苦笑して肩をすくめると、おもむろに語りはじめた。
「私と彼が所属していた魔法遺跡調査団の宇宙船が、ボルトーク星海あたりで難破しましてな」
「《船の墓場》といわれるあの……」
「さよう。《雪華》のアルンビーク王国とコーネスト大公国との国境あたりの宙域です。バルトリンゲン帝国の国境も近いですな。――そこで、宇宙船が巨大な怪物に襲われたのです。よもや宇宙空間にあのような怪物が棲息していようとは……今もって信じ難い。目測になるが、我々の乗船しておった船の数倍はありました。おそらく戦闘艦に匹敵する大きさではないかな」
 ひとたび言葉をきり、あたかも往時の記憶をたぐりよせるかのように目を閉じた。
「あれはまごうことなく生物であったと思います。まばゆい光につつまれており、形状をしかとは判別しかねたが、翼を持ち、四肢があり、長い尻尾があったような気がする……」
「……」
「……」
 セディータもクラツキーもなんとなく押し黙った。
「私は当時、魔法史学を専攻しておりましたのでな、ひらめくものがあった。――伝説のドラゴン」
 その言葉を口にし、耳にすることは、なにやら侵すべからざる禁忌に触れるかのような、えもいわれぬ戦慄を、その場に居合わせた各人にもたらした。現実主義の熱心な信奉者であるセディータにおいてさえ例外ではなかった。
「そのような怪物に船を襲われ、よくぞ生還なさいましたわね」
 あえて懐疑を込めて、セディータが云った。
 アレクシウスは頷いた。
「まことにもって僥倖としか云いようがない。私やミトールをふくむおおよそ百人ばかりが、たまたま緊急脱出用の救命艇にほど近い区画にいて、爆沈を逃れ得たのです。怪物の至近を横切る時は生きた心地もしませんでしたが、ちっぽけな救命艇には無関心であったのか、たんに気付かなかったのか、その後襲われることはありませんでした。しかし、まだ助かったわけではない。ご存知かと思うが、ちいさな宇宙艇の推進主機関は永久機関たる幽星炉ではなく、対消滅機関なわけですが、これは燃料、というか反応剤として大量の水を必要とする。水も食料も限られた量しかないという状態で、半径一〇光年の範囲に天体のまったく存在しない宙域へと放り出されたのです」
 実は僥倖はもうひとつある。仮にどこぞの恒星の近隣宙域であったとする。燃料とともに微弱になる小型宇宙艇ていどの結界では、凶暴な太陽風や宇宙線の影響を免れず、全員が致命的な被曝をしていただろう。生と死を分かつ境界線は、無数の偶然の相乗によってできているにちがいない。
「さすがに今度ばかりは命数きわまったものと覚悟いたしました。その時――」
「ふむふむ」
「およそ一万隻あまりもいたであろうか……国籍不明の漆黒の船団がどこからともなく現れいで、我々の救命艇を救助してくれたのです。いや、あれは船団というより艦隊かな。ざっと視認した印象ですが、艤装といい編制といい、正規軍顔負けの水準だったかと記憶しております」
「国籍不明ですと?」
「はい――それもそのはず、彼等は宇宙海賊であった。御両所も《雪華》一円に勢力を張り巡らす大海賊、ガルーダ一族の噂はかねがねお聞き及びのことと思います」
 クラツキーがたちまち目を剥いて唸った。それを横目でちゃっかり観察するセディータ。
(コイツもあんまし外交向きじゃないわね)
「聞き及ぶどころの段ではありません! 我が国も、あの連中の討伐にはほとほと手を焼いております。――いや、お話の腰を折って失礼」
「一難去ってまた一難。海賊たちは我々を高手小手に縛り上げました。疲労困憊の我々には、もはや抵抗する気力も体力もうせておりましたゆえ、その必要はなかったのだが。そうして、尋問をうけるため海賊の頭目らしき男の前に引き据えられました。海賊の頭目は、縛められた我々の姿を見るや、手下どもを大喝しました。――この大馬鹿野郎ども、ワシらは海賊だが、遭難者を助けるのは船乗りの仁義とおぼえとけ。とっととこの小僧どもの縄を解いて手当てしてやれ――この頭目の鶴の一声で、最寄りの星へ送り届けられるまでの間、我々は客分として遇され、手厚く介抱されたのです」
「ウーム、そやつ、何者であろう? 一万隻もの海賊船を率いているとなると、一族の重鎮にはちがいありますまいが」
「さぁ……なにせ五十年も昔のことですからな。亜光速で天空を疾駆する彼等宇宙の船乗りは、地上で暮らす民よりもしばしば長命であるらしいが。当時、すでにかなりの老齢に見うけられたゆえ、さすがにもう存命ではないのかもしれません」
「人相風体をご記憶ですか?」
「私も蒙昧な青二才にすぎませんでしたからな。あの時は人物鑑定の余裕などなかった。特徴的なことといえば、左目に眼帯をしていたくらいのものでしょうか。手下たちは彼を、オヤっさんなどと呼称していたようだ」
「左目に眼帯ですか。もしや一族の先代頭領、ネイフ・ガーテル・ガルーダであろうか……」
 クラツキーは首を傾げて考え込んだ。バルトリンゲンの大使が、海賊ガルーダ一族の情報に関心を示すのは理解できる。目下バルトリンゲン帝国にとって最も目障りな敵は、ゼラン帝国でもフォルト・ユニオンでもなく、海賊ガルーダ一族にほかならなかった。
「とまぁ、昔話はこんなところです。お二方のように真摯にご清聴いただけると、私といたしましても披瀝のしがいがあると申すもの。ははははは」
「過去にそのようなことが……いやはや感じ入りましたわ」
 幕間劇の時間はおしまい。そろそろ本題に入るべき時だ。
「そのような冒険行を共にしたとあれば、大都督閣下と我が首相のあいだに断金の契りともいうべき友情の絆があることも得心がゆきます」
 外交的修辞をもちいた云いまわしは、アレクシウスにも話題の転換を注意喚起する合図となった。
「そうですな。久方ぶりに会って、思い出話に花を咲かせてみたいと思わぬではないが、遠隔のこともあり、お互い御用繁多な身でもあれば」
「我が国といたしましては、いずれ諸方の情勢が落ち着きましたら、適当な時期にルーテシア女王陛下をアルカ・フィアにお招きしたいと希望しております」
「これはこれは」
「その際は閣下も是非。我が首相も、閣下と久闊を叙する時を楽しみに待つでありましょう」
 アレクシウスは穏やかに笑って礼を述べた。
「ありがとうございます。その招請は、貴国政府よりの公式なものと理解してよろしいか」
「もちろん」
 閣僚級協議や次官級協議というのは、たいがいにおいて形式に過ぎない。星間国家同士の外交とはしばしば、こうした非公式の談合によって重要な決定がなされるのだ。少なくとも、今がそうである。もし、すべての事前折衝をくつがえす可能性があるとすれば、それは首脳会談のみであったが、相互の首都を往復するのに数ヶ月かかるという時空の懸絶が、列強間の首脳外交の実現を困難なものとしていた。
 くわえてアクアガルトには、対ゼラン戦争のさなかという事情もある。セディータの提案はもちろん彼女の独断ではなかったが、それを持ち出すタイミングについては詮索の意味合いがつよかった。だからアレクシウスの即断の言葉に、不覚にも戸惑う。
「わかりました。来月にも訪問の途につけるよう準備をすすめます。もちろんこの私も、我が陛下とともにアルカ・フィアへ立ち寄らせていただく心算です。元老院議長閣下、ならびに首相閣下へよしなにお伝え願いたい」
「……来月、とはまた急ですこと。むろん我が国に異存はありません。そのように政府へ伝えますが……」
 セディータは目でアレクシウスの真意を質した。現況で、元首と最高首脳の二人がそろって王都を離れるなど、正気の沙汰とも思われぬ。
 アクアガルトとポネル・ラーム、両国間の密約が進行中と見て取り、クラツキーも抜け目なく双眸をひからせた。
 アレクシウスは椅子にくつろいだ姿勢でゆったりと座り、セディータとクラツキーを相互に見比べた。穏やかな笑みはたやさない。
「そうですな。またとない機会だ。ポネル・ラーム訪問後バルトリンゲンにも足を伸ばし、歴訪ということにいたしましょうかな。いかがですか、クラツキー大使」
「……私の一存ではなんとも。本国に連絡をとり、諮らねばなりません」
 アレクシウスは鷹揚に頷いた。そして語り始めた。
「七大国の成立以来、コルトナイドにはいちどとして戦火の絶えた年はありません。これはすなわち、力の均衡の失調にほかならぬ。七大列強などという言葉は、とうの昔に有名無実となっております。遺憾ではあるが、二強五弱とでも申すべきかな。そして、我等五弱に属する国々は、早晩ゼラン帝国かフォルト・ユニオンかのいずれかに呑噬され、歴史から退場を余儀なくされるでありましょう。ゼランとフォルトの両大国は、ゆくゆく必ず激突する。その時、両国を牽制するだけの力をもった第三の大国が存在していなければ、戦乱はこののち数世紀にわたって続き、無数の星々が焦土と化し、世界は荒廃をきわめることになりかねません。私はそれを憂慮する。聡明なる両大使のこと、我が胸中、忖度いただけるものと確信しております」
「……」
「……」
(なるほど。ミトール爺さんの忠告どおり、これは確かにクセ者だわ)
 しばらく退屈せずみすみそうね――セディータは心の中で不敵に笑った。
「ポネル・ラーム共和国、バルトリンゲン帝国、そして我がアクアガルト王国――三国は歴史的にも関係が深い友邦同士であります。ここで、我々が結束を誇示することは、歴史的にもたいへん意義深いことかと。今申し上げるわけにはいかないが、私は両国歴訪時に、三国の相互利益にかなうある提案をさせていただくつもりです」
「なかなか興味深いお話です。ですが」
 セディータは、慎重に言葉を選んで云った。
「――ですが、肝心の貴国は、今まさにゼラン帝国に呑み込まれようとしているではありませんか。まず、貴国みずからの力で、王都セントパールに迫る危機を排除なさるべきでは? 言葉を飾っても仕方がないので、忌憚なく申し上げさせていただきますわ。貴国にみずからを守る力さえなければ、どんな優れた戦略もむなしく聞えるばかりです」
 セディータは年若い女の身ではあるが、故なくして今の地位を得たわけではない。高度な智謀と強靭かつ柔軟な意思、その双方に恵まれた彼女は、真に俊傑と呼ぶに値する逸材であった。たんに有能というだけの官吏ならば、ポネル・ラームにもそこそこいる。が、ゆくすえ経綸に参与することを嘱望されるほどの人物というのは、やはり稀有なのだ。
(私がこうして自由にゲームを楽しませてもらえるのも、ポネル・ラームなればこそというべきかしらね。共和国万歳)
 共和制は、あらゆる人々に機会を与える。それは必ずしも完璧な平等を実現しているわけではなかったが、生まれで身分が定まってしまう社会より千倍もマシではないか。正直なところ、ゼラン帝国かフォルト・ユニオンによってコルトナイドが統一されようが、祖国ポネル・ラームが滅びようが、セディータにとってはどうでもよかった。ただ、共和制の火は消すべきではない。それは文明に必要な遺伝子のひとつなのだから。
「私は、いずれ諸方の情勢が落ち着きましたら、適当な時期に、と申し上げました。今は外遊に適当な時期とは到底思えませんが」
「なるほど。今はセントパール防衛に国を挙げて専心せよと。――ごもっともな御意見です。ですが、遠からず無用の心配となるでしょう」
「ゼランを撃退する自信あり、と受けとってよろしいのでしょうか? 貴国の武運長久ならんことを祈念いたしておりますわ」
 セディータは、些か失望しながらそう云った。根拠のない自信を口にするようでは、この男の器量も底が見えたというものだ。

 国際社会を驚かす闡明がセントパールよりなされたのは、それから二週間後のことだった。遷都令である。


「探したぞ」
 第一声がそれだった。カウンターで腸詰肉を肴に安麦酒のジョッキを傾けていた総髪の男は、隣に腰をおろした痩せぎすの男をちらりと見ただけで、また無言で麦酒を一口呑んだ。
「よくここが分ったねェ」
「蛇の道は蛇というからな」
「仕事熱心なこった。けど気ィつけときなよ。アンタみたいな立派な身なりをしたお大尽さんは、このディーザ街城じゃいいカモさ。嘘だと思うんなら、ぼけヅラしてそこいらほっつき歩いてごらんよ。明日の朝、身ぐるみはがされた死体になって下水道に浮かぶなーんてのはまだマシなほう。下手すりゃアンタ、バラバラの肉塊になって、肉屋の店頭にぶらさがることにもなりかねんぜ? マールズさんよ」
 ここディーザ街城に関しては、それはあるいは控えめな脅しであったかもしれない。しかし、そのようなことで神妙に臆するようなマールズでもなかった。
「私が護衛の一人も伴わず、悪名高いディーザ街城くんだりを徘徊するわけもなかろう。《黒衣》どもを一個中隊ほど連れてきた。この街のならず者どもがどれほどのものかは知らんが、《黒衣》なれば私の楯くらいには役立とう。それに、いちおう貴様もおることゆえな。ユーアーサ」
 ユーアーサはおどけて、椅子に腰掛けたまま帝国騎士の略礼の真似事をしてみせた。
「へーへーそりゃどうも。――アンタもやるかい? ここの酒は不味いけどね」
「いらん」
 マールズはカウンターの奥で煙管をくゆらしながらグラスを磨いていた店の主人に、一万リーズ金貨を一枚ほうりなげた。驚いて目をまるくする店主に、手ぶりと目でさがれと云う。
「貴様、酒など飲んでだいじょうぶなのか?」
 マールズは、右目を覆い隠すようユーアーサの頭部に捲かれた包帯をじっと見た。
「ユーアーサともあろう者が不覚ではないか。手負いの小娘ひとり始末するのにそのザマとはな」
「あのね。手負いの小娘ひとりって、簡単に云ってくれるがね、やっこさん魔操手(ラグラー)なんだよ。帝国騎士二人と互角にやりあったヤツだぜ」
「……それで、か」
「? なにがよ」
「ユーアーサよ、あの小娘と命の遣り取りを楽しんだだろう? 殺すだけならば、すぐにも決着はついたはずだ。貴様のその魔剣とやらを使っていればな」
「ちぇっ……やっぱ見張りをつけてやがったか」
「フン、柄にもないことを。貴様にしてさえ、騎士道だか武士道だかしらんが、たわけた精神から無縁でいられぬか。戦士というのは、まことにもって救い難き人種よな」
「殺ったんだからもういいじゃねェか」
「やつの死体が見つからぬ」
「魚の餌にでもなったかな」
 ユーアーサは悪びれずに云った。
「よもやとは思うが、仕損じてはおるまいな」
「見張り野郎がどうチクったのか知らねーけどさ、手応えはあった。致命傷だ。普通の人間なら間違いなく死んでる。賭けてもいい」
 とは云ってみたものの、ユーアーサ自身、心の奥にきざす疑念を完全に払拭しきれていないことに、この時唐突に気がついた。ユーミの目潰し攻撃で、踏み込みがほんの僅か甘かったかもしれない。それにあいつは魔操手(ラグラー)だ。或いは……
「あの小娘に生きていられては、何かと面倒なのだが……まぁよい」
「次の仕事かい?」
「そういうことだ」
「人使い荒いな、ったく。あんたら雇い主は、雇い人を消耗するまでこき使わにゃ損だとでも考えてるんだろうが、優秀な人間てのはさ、充分な休養をとらなきゃ能力を遺憾なく発揮できないんだぜ? 最高の費用対効果を望むなら、そこんとこを覚えときな」
「そう悠長なことも云っていられん状況なのだ。ゼルティア子爵の襲撃者が魔法使いであったということに、騎士団や憲兵庁が神経を尖らせておる。彼等の後ろ盾には朝堂のさる大物が控えておってな、司法省と民部省に一日もはやく容疑者を検挙し、背後関係を糾明せよと発破をかけたのだ」
 さきの事件が、さまざまな政治問題にからんでくることは予想されたことである。苟くも皇位継承権者のひとりたるユーキ・アーファン・ゼルティア子爵が標的にされたのだ。
「先日、ローゼルテ街城のバイテルで、貴様と例の小娘が大立ち回りを演じただろう。目ばしこい帝都警察庁が、さっそく貴様のことをかぎまわっている」
「おいおい、サービス悪いな。そういうのは早めにもみ消してくんなきゃ」
 マールズは渋面で吐きすてた。
「状況が変わったのだ。御前や私が表だって動くわけにはいかなくなった。今申したとおり、朝堂のさる大物がこの件に関心を示している」
「誰だよ、そのさる大物ってのは。もったいつけてないで云えよ」
 さて、どこまで話してよいのやら――ゼラン政界のように峻厳で容赦のない世界で生き残ってゆくためには、どの派閥どの勢力であれ、情報管理というものに細心の注意を払い、励行すべきなのだ。ごくささやかな情報漏洩から失脚し、処刑台送りになった皇族や大貴族は歴史上枚挙に遑がない。政略戦略関連の情報は、重要度によって等級分類され、真に重要な情報に接することができるのは、ごく限られた要人のみだ。知らない情報は洩らしようがないということを、悧巧な職業傭兵あたりは心得ていて、ふつうそういう話を忌避しようとする。あまり余計なことを知ると、後々証拠隠滅のための抹殺対象にされかねないからだ。
「亜相レグルス選帝公だ。どうやら我等の理想を実現するうえで最大の障害となりそうなのが、この人物だ」
 マールズはどのような打算に到達したものか、あっさりと答えた。
「次の仕事ってのは、それかい?」
「さすがに察しがいいな。だが、慎重に検討を重ねた結果、あの用心深い亜相を仕物にかけるのはきわめて困難との結論に達した。不可能であるとは申さぬが。十年二十年の歳月をかけて亜相の身辺に刺客を潜り込ませれば、まぁ若干の成算はあろう」
「う〜〜ん……そうゆーン十年もかかるような遠大な作戦は、ちょっと遠慮したいなァ。オレ様より忍耐強いヤツをあたってくれよ」
「早まるな。狙いは亜相本人ではない」
 マールズは懐から紙片をとりだした。紙片には、あどけない少女の映し絵が描かれていた。
「このお嬢ちゃんは?」
「亜相の末娘、アリエル姫だ。殺さず、拉致して監禁しろ」
「……アンタらの敵さんもさぞ骨が折れるだろうよ。あーあ、殺しの次はかどわかしか。因果な商売に足つっこんだもんだ」
「報酬ははずむつもりだ。それに、この仕事が終わったらたっぷりと休暇をやろう。しばらく外国で優雅に暮らせるよう、取りはからう。――貴様は使える。できれば失いたくない。我等を裏切るなよ」
 ユーアーサは悠々と麦酒を飲み干して息をついた。
「一週間後、リンツァ街城の別邸に来い。打ち合わせをする」
 しばしユーアーサの反応を確認するかのようにじっと見つめた後、マールズは席を立った。
「裏切り、ねぇ」
 ユーアーサは細い目をさらにほそめた。

 犯罪者の巣窟と恐れられるディーザ街城ではあるが、魔工天体まるまるすべてが世にもおぞましい魔窟と化しているわけでもない。いかに官憲の目がゆきとどかぬ無法地帯であろうとも、そこに多くの人間が暮らすからには、混沌なりの秩序というか、一種の安定が生まれる。たしかに治安の悪さは五百あまりの都市星のなかでも群を抜いており、殺人、放火、強盗、強姦、人身売買、麻薬取引、盗品競売――ありとあらゆる犯罪が日常茶飯事でありはしたが。
 ユーアーサはひとり、場末の歓楽街の路地をのらりくらりと歩いていた。ふだんであればさびれたたたずまいの街とはいえ、それなりに人出もあるのだろうが、今夜はあいにく雷雨だったこともあってか、ほかに人の姿は見当らない。都市星はそれぞれ自転しているので、自転による大気の攪拌や、日照がもたらす気温・気圧の変化で対流が生まれる。天然の惑星となんらかわることなく、天候は変化に富むものとなるのだ。
 この雨も、酔い醒ましにちょうどよい。ユーアーサは、軒をつらねた店々の看板をざっと見渡した。まずは一夜の塒を見つけて、熱い風呂にはいりたいところだ。が、どうやらこのあたりに宿屋はない。宇宙港行きの鉄道駅に近いからと、中心街からこちらへ移動してきたのは失策だったか。
 この時代、辺境の星々あたりでは、いまだ馬が主要な交通手段であることも珍しくない。が、ここニーブレン星系はさすがに大国ゼランの首都だけのことはあって、どの星々でも鉄道網が整備され、魔法機関を応用した高速大量輸送の交通機関を実現していた。
(しゃあない。もうちっと足のばしてみっか)
 途中、妓館でもあれば、しばらくしけこむという選択肢も悪くない。なにしろ切った張ったの殺伐とした稼業である。時々、女の柔肌が無性に恋しくなるのも、生理的というより精神的な希求に思われてならない。
 ディーザ街城には奴隷市場もあるので、金さえつめば初物を世話してくれるだろう。べつに技巧を楽しみたいわけではないので、熟練の娼婦よりも生娘のほうがよい。嗜好ではなく、そのほうがいろいろと安全だからだ。なにを云うにもここは犯罪の見本市ともいうべき街。女を抱く時は、男がもっとも無防備になる瞬間なので油断がならない。それに処女とはいっても、先輩の娼婦たちにあれこれ仕込まれているのが普通なので、それなりの悦楽は堪能できるだろう。
 ――ふと、背筋を戦慄が駆け抜けた。振り返り、闇の中、目を凝らす。三〇フヤールほども向うに、ひとりの男がじっと立っていた。男が、ゆっくりとユーアーサにむかって歩き出した。よく見ると、その男の周辺だけ雨が遮られている。まるで、目に見えない円蓋にでも覆われているかのように。
 ユーアーサは無言で佩剣の留金をはずした。鋼の長剣ではなく、あの赤い刀身の魔力剣のほうである。直感が告げた――この場をきりぬけるには、持てる最大の力を叩きつけるしかない。すこしでも生き延びる可能性があるとすれば、それに躊躇すべきではない。
 雨の中たたずむ男は、ユーアーサの魔力剣をひたと見据えていた。稲妻が閃き、青白い光に男の顔が半瞬うかびあがった。
(――《ティゴリヤの瞳》が反応したので、まさかと思って来てみたが……どうやらネイテル猊下の遺されし七振りの魔力剣のひとつ、《冥妖剣》に相違ないようだな)
 意識のなかに、有無をいわさぬ圧倒的な存在感をもって侵入してくる別の意識。それは物理的な衝撃さえともなう体験だった。
「ぐぁああーーッ!!」
 ユーアーサは剣を地面に突き立てて頭をかかえ、膝をついた。
「テメェ……何モンだ!?」
(《鍵》と《鍵穴》の探索はアルゼンの担当なのだが……まぁよかろう。ことのついでだ)
 雨の中に立つ男は、両手で複雑な印を結びはじめた。男の足許を中心として魔方陣が浮かびあがり、闇の中で光輝をはなった。
「ちっ! 魔操手(ラグラー)か!?」
 ユーアーサはとびすさって剣を構えた。
(否。我は魔道師(ウィザード)である)
「魔道師(ウィザード)だとぅ? ハッタリこきやがってクソじじいが。オレ様に何の用だ?」
 ユーアーサほどの者が、いつもの余裕を失っていた。それほどに、この相手の威圧感は尋常ならぬものがある。
(そのほうなどに用はない。用があるのはその剣のほうだ。若造、その剣、どこで手に入れたのか?)
「テメェの知ったこっちゃねー! 死ねェ!」
 ユーアーサは渾身の闘気を紅い刃に乗せ、魔剣の妖しい衝撃波を男にむけて叩き込んだ。男が目をかっと見開いた。ただそれだけの動作で、路面をえぐりながら怒涛のようにおしよせてきた空間の歪みが、ふいと雲散霧消した。
(笑止な。ユーアーサとやら、その《冥妖剣》は、そのほうごとき凡夫に使いこなせる剣ではないわ。早晩剣の魔性にとりこまれ、魂を食らい尽くされるのがオチだぞ)
「くそったれーーっ!!」
 ユーアーサはやにわに男の胸に切先の狙いをさだめて、魔剣を投げ付けた。そのままわき目も振らず、脱兎の如く遁走した。
(賢明な判断だ。退き際をわきまえた、なかなか優れた剣士のようだな)
 《冥妖剣》は、男の胸に突き刺さる寸前で、空に静止していた。男は右手の掌を天にかざした。掌のわずかばかり上の虚空に、眩い光球が出現して、みるみる膨張していく。
(だが逃さぬ。我の顔を見たからには。この都市星もろとも宇宙の塵にしてつかわす)
 直径一フヤールほどになった渦巻く光の球。それへ最後の呪を附与しようとして、男は動きをとめた。
(……魔道をもちいるのは得策にあらず、か。術の痕跡から、彼奴等が我の存在に感付くやもしれぬな)
 男がパチリと指を鳴らすと、光球は消えうせた。同時に、《冥妖剣》が石畳の上に落ちて転がった。
(運のいい若造だ)
 剣を拾いあげて検める。男はふたたび世をしのぶかりの姿――ソレル街城のライヴァントで仕立て屋《ソ・ノーヴァ》を営む老紳士オズの柔和な顔にもどり、雨ふりしきるなか踵を返した。


 〜続く〜
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