「探し出せ!」
おちかかる雷もかくやという叱咤が艦橋に轟いた。逓念器など用いずとも、その男の声は広大な艦橋の隅々に届く。
艦橋空間のまんなかに浮かぶ巨大な光体――エステルド・オーヴの、仄かに明滅を繰り返すその光が照らす柳営司令座に、鈍い光沢をたたえるいかめしい甲冑をよろい、大剣を杖にして立つ荒武者の姿があった。
エステルド・オーヴの中に映し出された星々の煌きが、ゆっくりとうつろう。荒武者は眇めた双眸をぴたりとオーヴへ擬す。獲物を探す肉食獣さながらに、些細な変化をも見逃すまいとしていた。エステルド・オーヴの周囲には、恒星をめぐる惑星のように、操艦手たちの座す統御筐体がいくつも浮遊している。そのさまを見やって、荒武者は鞘尻の鐓(いしづき)で床をこづいた。ふたたび督促の蛮声がとんだ。
「早くしねェと、日が暮れっちまうぞコンニャローども!」
それは地上暮しに慣れ親しんだ者に特有の云いまわしだった。宇宙空間において日暮れは概念的なものでしかありえない。
「さようにいきり立つでない、デイファ提督。首尾よく攻虚なしとげ、敵軍は撹乱されておる。いくさの主導権は我等が手のうちだ」
荒武者から半歩ほどさがって立つ白い軍服の参謀が、諭すように云った。
「今は、な」
デイファは傍らの参謀にそっけなく応じた。
「上げ潮なんざ当てにならん。潮の流れは刻々と変わる。針の穴よりちいせぇ戦機を逃さず、乾坤一擲の勝負にでられるヤツが稀にいやがるのさ。そんなヤツは、いとも簡単に戦況をひっくりかえしちまうからな」
実際、そんな戦で何度も死にかけた――デイファは、傭兵としてコルトナイド各宙域の星々を転戦してきた己の半生を顧みた。
(俺はそういう、泥に塗れ、火に焼かれるような地獄から幾度となくはいあがり、生還を遂げてきたんだからな)
本陣の奥に鎮座まして、宇宙艦隊の采配をふるってきた貴族出の提督たちには、地上でちょくせつ白刃ひらめく戦場に身命をさらしてきた者の感慨は理解できまい。デイファは微量の隔心をおし隠して、横に立つ参謀のほうを向いた。参謀もまたこうべをめぐらす。彼は初老の貴族で、物腰はそつなく紳士的だったが、まなざしは鷹隼に似て射るようにデイファを見ていた。ふたりの視線がぶつかりあい、火花を散らす。
「……」
「……」
冷たい沈黙を先に破ったのはデイファだった。
「なにか云いたそうだな。アトランズ伯爵」
「さようか?」
「おう。とても不満だと顔に書いてある。傭兵のいくさはお気に召さないか?」
「私は、足下の手腕を高く評価しておるつもりだが」
「ほう……そいつぁ光栄だな」
「……」
「俺にゃ腹芸はできん。政治家じゃないもんでね。云いたいことがあるなら、まっすぐに云ってくんねーか?」
「それはありがたい。私も迂遠な腹の探り合いは好まぬ性質でな」
アトランズ伯は、老獪な目で舐めるようにデイファを見た。そして、デイファの肩越しに、すこし離れて控える幕僚たちに目くばせした。意を受けた幕僚らが頷いてさがる。しばしあって、柳営のあたりは、半透明で微光を発する円蓋状の膜におおわれた。それを確かめてから、アトランズ伯は言葉を選び選び語りだした。
「ヨーカ総司令が敢えて新参のおぬしを抜擢し、一方の提督として艦隊をあずけたのだ。王国譜代の諸将のうちには、それを快く思わぬ者も確かにおるやもしれん」
デイファはせせら笑った。
「へっ。どこの馬の骨とも知れない俺の采配じゃあ、戦うのを潔しとせずってか?」
「彼らには、父祖の代より、王国に剣を捧げまいらせてきた矜持というものがあるのだ」
「そんなモンじゃ戦争にゃあ勝てん」
デイファはばっさりと斬り捨てた。さらに遠慮会釈なく放言した。
「あんたはどうなんだ伯爵? 俺はこれでも、あんたのことは買っているんだぞ。今のアクアガルトで人がましいといや、アレクシウス大都督やフェブリィ・ヨーカ総司令の次にくるのはあんただろう。時代の見えねぇ馬鹿どもと同じような御託を並べて、俺を失望させんでくれよ」
「足下の手腕を高く評価しておると申したであろう。目下、我が軍において、帝国艦隊と互角に渡り合える将星は、ヨーカどのとおぬしくらいのものだ」
ゼランとアクアガルトの艦艇を比較した場合、攻撃力、防御力、機動力、いずれの指標においても、ゼランの艦艇がアクアガルトのそれを大きく凌駕する。魔法兵器の潜在力という点においては、彼我にさしたる遜色もないのであろうが、いかんせん解析し蓄積された魔法理論、魔法技術の水準がちがう。まともに戦えば、アクアガルトに勝利の目は薄い。デイファなどに云わせれば、「なら、まともに戦わなきゃいい」ということになる。
たとえばヨーカは戦場に陥穽を張り巡らせ、敵を巧みに翻弄する戦に長けている。デイファは、徹底した奇襲による一撃離脱で、敵の中枢だけに狙いをさだめ、撃滅する戦を得意とする。アトランズ伯が指摘したとおり、ゼランの進攻をとにもかくにも食い止め得ているのは、二人の八面六臂の活躍によるところが大きかった。
「ゼランのやつらが大好きな騎士道だの弓矢の作法だのに馬鹿正直に付き合ってたら、とても間に合うモンじゃねェ。なるべく効率的に、効果的に敵を殺せ。いくさには元来、卑怯もへちまもありゃせんのだ」
戦場の酸鼻を肌で知るデイファは、部下たちにそう訓示して憚るところがなかった。
「おぬしの抜擢については適材適所であったと、女王陛下におかれても叡旨まことによろしいと存ずる。だがな――」
「……」
「私は全軍の参謀総長を拝命する身として、余人とは異なるあたりにも目を向けねばならぬでな。――おぬし、何故に我が国へ肩入れする? おぬしの目的は何だ?」
「こりゃまた異なことを聞くもんだ。俺はしがない傭兵だ」
反論の余地たっぷりのデイファの返事だった。
「……いみじくも韜晦するものよ」
「傭兵が戦う目的は、ゼニを稼ぐために決まってんだろうが」
「ありきたりな一般論ではな。地位と金と名誉……じつに分かりやすい、単純明快な行動理念だ。だが、私の見るところおぬしは……」
デイファは大柄な体躯を芝居がかった仕草ですくめた。甲冑ががちゃりと鳴った。
「そりゃ今でこそ、提督なんぞと祭り上げられているがね。基本的に俺は貴国政府に雇われた傭兵にすぎん。傭兵の忠誠の対象は契約であって、特定の個人や国家の上にはない。これは俺が登庸されるさい、何度も念を押したハズだ。むろん、ルーテシア女王陛下と雇い主である貴国政府には、俺なりに敬意を払ってきたつもりなんだがな」
「おぬしの仁義のことなど訊いておらん。さよう、しからば質問を変えよう。《契団連》の目的は奈辺にありや、とな」
「――……ちょっと待った……なんでここで《契団連》の名前がでてくんだ?」
「アクアガルトの情報収集力を見縊られては困る。我が国とて歴史古き星間国家なのだ。幾千年の歳月をかけてコルトナイドに築き上げた諜報網がある。おぬしとて、《リーヴェルテン》の噂くらいは耳にしたこともあろう? 我らはかねて、地下諸勢力の動静には最大限の関心を払ってきたのだよ」
史家ライディオスの箴言にいわく、天翔図に表裏あり――世界とは実に多元的であり、累層的なものである。このコルトナイドの歴史を織り成す糸は、なにも星間国家ばかりではない。たしかにゼラン連合帝国やフォルト銀河星皇ユニオン等の列強は、歴史の表舞台で華々しくも苛烈に栄枯盛衰を演じているが、裏でもまた、謎めいた秘密結社や隠然たる大組織が割拠し、表からはけっして目に見えぬ興亡劇を繰り広げているのだ。
人類の裏歴史を綾なす対立軸、鼎立軸は、それこそ枚挙に遑がない。たとえばパイレーツ・ギルド、ガルーダ一族、《青い疾風》の海賊三大勢力のように、泣く子も黙る悪名を馳せたものもあれば、ヘイルゼー財閥やバールト財閥のようにそれなりの名声をかちえているものもある。他方、魔導師ギルドや神龍教団のように、草莽レベルではほとんど存在が知られていない勢力も多々あった。
とこうコルトナイド情勢を語るうえで看過すべからざる勢力のひとつが、契約戦士団体連合会である。《契団連》の通称でその存在を知る者も多かろう。ことに戦乱うち続く蒼海やマーレンヴィーアの諸国においては。いうなれば傭兵の同業者組合であるが、汎コルトナイド的な規模であるため、加盟している傭兵の数は二〇〇〇億人とも三〇〇〇億人ともいわれる。この、ちょっとした軍閥顔負けの組織力を背景に、列強や群小諸国に対してかなりの政治力を有していると見做されていた。
「昔、なんどか仕事の斡旋をうけたこたぁあるにはあるが。つながりといや、そんな程度だ。そもそも、《契団連》をしきってる幹部連中のツラも名前も分かりゃしねえ」
「おぬしに預けた艦隊では、《契団連》の口利きでかなりの傭兵を召し抱えておるようだの」
「伯の云われるとおり、俺のいくさの極意は艦砲戦ではなく接舷切り込み戦にあるもんでな。白兵戦に長けた傭兵どもは手駒にもってこいというわけだ」
「諜報部の報告によると、ゼラン方にはほとんど傭兵を周旋した形跡が見られぬ。もっとも、かの帝国正規軍は、もともと傭兵をあまり積極的に用いぬのだが。《契団連》は特定の国家に荷担するをよしとせず、中立を組織方策の根幹に据えると聞き及ぶ。さりながら、我が国にはまたずいぶんと好意的ではないか。ありがたいことだ。おぬしのお陰、と申しておくべきか……」
「あのなぁ……鎌かけたって、何も言質なんざ取れやしねーよ?」
アトランズ伯がなおも追及する。
「私の目は節穴ではない。裏になにがあるのだ?」
「知らねェよ!」
デイファはつい面倒になって一喝した。が、すぐに相手が王国の重鎮であることを思い起こした。さすがに部下たちと同列にすげなくあしらうことは、いかな傍若無人な彼にも多少憚られる。
「いや、ほんとうに俺は《契団連》とは関わりねーんだ。……連中、中立をうたってはいるが、やっぱしよ、ゼランだのフォルトだの、覇権主義国家とは反りが合わんのと違うか? 傭兵つうのは、いろいろとクセのあるやつが多いからな」
「……違いない」
「まァなんつーのかな、こう云っては口幅ったいが、俺は今のところ業界の出世株らしいんでね。つてをたどって寄ってくるんだろう」
アトランズ伯がなにか云いかけたその時、索敵にあたっていた艦橋の士官が幻影窓をひらいて、彼等に注進してきた。
『申し上げます! 敵旗艦、識別できました!』
「おう、やっと見つけたか」
デイファは大剣を肩にかついだ。
「つうワケだ。すまねェが伯爵殿、この話はまた後日ということで。――結界を解いてもらえんかな」
「また、司令官みずから切り込み戦に及ぶ気か?」
「ここのところ髀肉の嘆をかこっていたもんでな。敵将がなにがしかは知らんが、前菜がわりに軽く平らげてやる。止めてもムダだぞ」
「止めはせん。が、確認はしておく。ここゾディート星間雲を確保しておく戦略的理由は、諒解されておるであろうな?」
ゾディート星間雲は《雪華》諸国とアクアガルトを結ぶ重要航路で、この一帯の制宙権を失うと帝国領宙に孤立することになる。そこで、この宙域への拘泥をそれとなくちらつかせること――ここにフェブリィ・ヨーカの深慮遠謀が仕込まれていた。
「戦略構想は、それこそあんたやヨーカ総司令の領分だろう。そっちは専門家のあんたらに任せた。俺は俺の任務を遂行するだけだ」
アトランズ伯は、なにも云わずパチンと指を鳴らした。途端、柳営を覆うように展開されていた半透明の光る円蓋が消滅する。デイファはもはやアトランズ伯に見向きもせず、艦橋を俯瞰する位置に進み出て、矢継ぎ早に命をくだしていった。
「飛翔騎兵団に第一等戦闘待機命令発令。索敵手ども、敵旗艦の動きから目を離すな。ベルティス提督とリーグラン提督を呼び出せ」
造次顛沛の時をおいて、ふたつの幻影窓が司令座の正面中空にひらいた。
「どうだ、歴戦の軍艦乗りである両提督から見て敵は。手ごわそうか?」
挨拶もそこそこに訊ねる。
『かの奇策にも算を乱さず、事態の変化に即応できる布陣をすぐに構築した。艦隊機動、陣形とも見事なものだ。精鋭だな、ありゃ』
禿頭で眉間に刀創のあるリーグラン提督がまず云った。
『なんの。あの程度の芸当は、戦場往来を経ればそれなりに体得するものよ。まず、一当てしてみねば、手並みのほどは分からぬ』
美髯公の仇名をもつベルティス提督が、長い顎鬚をしごきながら云う。
「ではさっそく一戦交えてもらおうか。ノイザー方面艦隊は、魔海を蹂躙した精強な軍団だと聞く。相対している敵はその一部隊にすぎんとはいえ、侮るなよ」
『御注文を伺おうか、傭兵提督』
「敵艦隊の戦力分布に粗密があるだろう。それを拡大するよう働きかけてもらいたい。半刻ほどでいい。付け入る隙がほしい」
『また御大将みずから敵艦へ乗り込む気か。好きだねェお前さんも』
リーグラン提督が不敵に笑った。彼は平民出の叩き上げで、傭兵出のデイファとウマが合う数少ない将帥だった。
「頼んだぞ御両人。――んでは、ちょっくら行ってくる」
デイファは誰にともなく云い、艦橋から大股で歩き去った。その背をひたと見据えるアトランズ伯は、なに思うのか無言であった。
飛翔騎兵団の武者溜りへゆくと、各々思い思いに屯していた重装甲騎兵たちが、粗野な歓呼で彼を迎えた。
「やあ。あれにいずるは傭兵提督じゃねェか」
「イヨッ! 待ってました御大将!」
「御大将、早えーとこ戦わしてくださいよ。宇宙艦隊戦は退屈でしょーがねェや」
「早くよぅ、帝国のクソどもを斬り刻んでやりたくてウズウズすらぁね」
「がははははは。腕が鳴るぜ」
デイファは鷹揚に頷いて、兵士たちに応えた。
「血の気の多い若造どもだなオイ。いま、たんと戦わせてやっから心配すんな」
主立った部下がデイファの姿をみとめて集まってくる。
「接舷切り込みですかい、御大将」
「そうだ。狙うは敵艦隊司令官の首級ただひとつ。ぬかるなよ、野郎ども」
ゼランの統制のとれた軍隊は、まさにそれゆえに将帥を失った時に脆弱な一面をさらけだす。
「あれが敵主力だったら手間が省けたんだが。さしあたり撒き餌につられてノコノコやってきた間抜けどもを掃討するぞ。連中、まさか、この宇宙空間で騎馬戦をやらかすハメになるとは夢にも思うまい。ひとつ、敵の度肝を抜いたれ」
その言葉が、おのれをも鼓舞していることを認めるにやぶさかではないデイファだった。剣戟の予感は、確かに彼の躯幹を昂揚させて熄むところがない。デイファはこっそり苦笑した。
(俺ぁやはり生粋の傭兵だな。提督なんてガラじゃねェや)
いくさの昂揚はまた、研ぎ澄まされた戦士の感覚をいやがうえにも鋭敏にしていた。その時デイファは、自分に向けられるいくつかの非友好的な注視を、野生のけものさながらの感覚で察知していた。
(……食えねェとっつぁんだ)
野郎の洞察は的外れだが、たしかに炯眼といえなくもない。しばらく《組織》との接触は避けたほうが無難かもしれんな――デイファは胸奥で呟いた。
とある辺境星系のブルックヘルムという惑星に、その修道院はあった。その地方は曇天が多く、荒涼たる大地が地表の大半を占めるという気候風土のゆえか、ルーテシアの記憶にある修道院での生活は、陰鬱な灰色めいた色彩を纏って想起される。物心ついた頃、すでに彼女は清貧と厳しい戒律の支配する、祈りと晴耕雨読の共同生活を当然のものとして、無意識のうちに受容していた。大人になり、年老いてゆくまでずっとこの生活が続くのだと、子供心に漠然と思っていたものだ。が、修道院での生活に終止符を打つ時は思いがけずやってきた。あれは忘れもしない、ルーテシアが十歳になった年の秋の終わり、篠つく雨の日の出来事だった。
日頃、恐くて厳しい院長先生――自分など、まともに口をきくことすらできない偉いひとだと思っていた修道院長が、床にはいつくばらんばかりに恭しく自分を案内し、玄関へといざなった。少女はなにかただならぬ空気に気圧され、黙って修道院長の後に付いて歩いた。車寄せには、見たこともないほど立派な細工の四頭立て馬車が停まり、その周囲には、石畳をうつ烟るような雨のなか、煌びやかな儀杖兵が数百人、直立不動で槍を捧げ持っている。玄関から車寄せの馬車までは真紅の絨毯が敷かれ、まるで御伽噺に聞く都の貴人の送迎とでもいったものものしさだと、その時のルーテシアは他人事のような感想を抱いたものだ。
紅絨毯の端の両脇に、ふたりの人物が片膝ついてこうべを垂れていた。大きな帽子をかぶり、長いローブを纏った老爺と、白銀の髪を背中で束ねた凛々しい女剣士だった。老爺が膝行して修道院長とルーテシアの前に進み出た。修道院長はそれを見て、慌てて平伏する。つられてルーテシアもそれに倣おうとした。
「やや、これはもったいなし。どうかそのままにて、微臣らが執謁を引見し給わんことを」
老爺が機先を制して云った。
「お初に御意を得まする。ルーテシア王姫殿下。わたくしめは、王朝において聖恩かたじけなくも大都督の印綬を帯びまする、アレクシウス・フェブリィド・ジルスと申す者。お見知りおきくだされませ」
アレクシウスはそこで言葉を切り、慈しみを込めてルーテシアを見た。ルーテシアはきわめて聡明な少女だったが、さしもの彼女も状況に当惑して身の置き所を知らず、ただ救いを求めるようにキョロキョロと周囲を見渡すことしかできなかった。アレクシウスが優しく云った。
「血は争えませぬの。おそれながら、鼻梁といい瞳といい、お父上にそっくりじゃ。この老体、こうして殿下にお目にかかれ、欽慕にたえませぬ」
つとふりむいて、女剣士を見る。
「これなるは我が娘、安撫使正将軍を拝命いたすフェブリィ・ヨーカにございます。今日より身命を賭して、殿下を守護しまいらせるでありましょう」
女剣士はいっそうこうべを低くした。
「うるわしき御尊顔を拝したてまつり、恐悦至極にございます、王姫殿下」
アレクシウスは、すこし間をおいて慎重に云った。
「さて、本日は殿下にたいへん悲しい御報せをいたさねばなりません。王太孫カルデファート殿下が薨去あそばされたのです」
その王太孫カルデファートこそルーテシアの父親なのだということ、国典の定むるところにより、第一王位継承権はルーテシアのものとなったことを、アレクシウスは懇々と教えた。
「つまりあなた様は、王太曾孫となられる資格をお持ちなのです。ひいおじいさまであられる国王陛下が、都でお待ちでございます」
ルーテシアのうけた衝撃はおおきかった。さもあろう、みなしごだと思っていた自分が、実は貴種の落胤というのだから。おまけにその事実を、当の父たる人の訃報をもって知らしめられるという念の入れようとくる。しかも何だって? 王位継承権?
「どうか還俗くださいますよう。そして、臣らとともに王都セントパールへおいでください」
「……そんな、突然いわれても……わたし、困ります」
百戦錬磨の折衝家であるアレクシウスにしてみれば、年端もいかぬ少女との問答など、これみな予測の範疇のことである。これが外交や内政の駆け引きであれば、いささかも舌鋒が鈍ることはないだろう。が、清廉な少女の戸惑いをたたえた瞳に会っては、憂国の士の鉄の心にも、忸怩たるものがきざしてくる。
「殿下がご承知くださらぬとあれば、我が祖国は内乱の巷とかし、ついには諸外国に切り盗られるままに分割され、民は辛酸をなめることとあいなりましょう」
アレクシウスはしかし、私情を胸中奥深くへしまい込み、じわじわとルーテシアの退路を断ちにかかった。それが彼のなすべき責務であったから。
ルーテシアが還俗を肯じ、王都にのぼって国王シャーディ二世との対面がかなったのは、およそひと月後のことである。
アレクシウスに伴われて国王の居室に赴く。重厚かつ壮大な王城は、かつて見たこともないほどに豪華絢爛であったが、清貧をこの世でいちばん崇高な価値観として育ってきたルーテシアを驚かすにはあたらなかった。齢百歳をこえる国王は、枯れはてた老躯を帳の奥の寝台に横たえていた。余命いくばくもないことは誰の目にもあきらかであった。
「国王陛下にあらせられます。王姫殿下の曽祖父さまでございますよ」
紹介されるまでもない。
(このひとが、わたしの、ひいおじいさん……)
ルーテシアは、父母の顔も祖父母も顔も知らなかった。幾度となく夢想したことはある。が、どんなに想像を逞しゅうしたところで、ついぞ想像かなわなかった肉親の面差し。けれども今、目の前に自分のルーツにあたる人物がいた。
シャーディ二世。在位八十年にもなんなんとするアクアガルト王は、壮年期までは英邁な君主として七つの銀河にその名を知られていた。老境にさしかかり、王太子メーブルとの対立が次第に険悪の度をましてくる頃から、シャーディ二世は孫のカルデファートを溺愛するようになる。シャーディ二世にとりいる佞臣は、ここぞとメーブル廃嫡とカルデファート冊立を老王に囁いた。猜疑心という名の靄が玉座の周りに厚くたれこめ、さしも往年の賢者の慧眼も、桎梏のもとたるを余儀なくされたのだった。
古今東西、歴史のいたるところで繰り返されてきた骨肉相食む内訌。アクアガルト史にもまた、内訌によって新たな不名誉な一章が書き加えられることとなった。すなわち王太子メーブル暗殺――世にいう《エッツ・テスリード橋事件》である。登城のためエッツ・テスリード橋にさしかかったメーブル一行に、魔法を操る暗殺者集団が襲いかかり、王太子以下扈従の陪臣、警護の衛兵にいたるまで鏖殺してしまったのだ。露骨に人口に膾炙することこそなかったが、国王シャーディ二世によるメーブル謀殺であることは公然の秘密であった。
我が子を葬り去る……道義の一線を越えたことへの負い目と居直り。暗い情念の綯い交ぜになった形容しがたい衝動が、老いた専制者をさらなる狂妄へと駆りたててゆく。
「王太孫カルデファート以外の王族よりすみやかに王位継承権を褫奪いたし、ことごとく臣籍へ降下せしむべし。余が勅命にまつらわぬがごときは、余が連枝といえども逆賊として追捕せよ」
綸言汗の如し、である。盲目的に忠実な王の軍兵は、ただちに王の意を体現するべく行動を開始した。有力な王族や貴族が片っ端から粛清された。難を逃れた何人かの王族はゼラン連合帝国を頼り、これがゼランの内政干渉と侵略を招く引き金になったといわれている。
とこう、情勢は次第にアクアガルト政府の対応能力を超え、収拾がつかなくなりつつあった。カルデファートの守り役として、ゆくゆく位人臣を極めることが確実視されていたアレクシウス公爵と、硬骨漢として王にも一目置かれていたティケン伯爵は、連判で諫書を上表した。しかし聞き届けられず、それどころかアレクシウスは投獄され、ティケンは遠い辺境へ流謫となった。もはや、なんぴともシャーディ二世を諌めようという気概を持ちえなかった。
恐怖政治はシャーディ二世が病に倒れるまで、七年間にわたって続いた。アクアガルトの臣民は、仁君がいとも簡単に暴君へ変貌しうるのだという歴史の教訓の目撃者となった。ゼランとの戦火も日を追うごとに拡大し、国力は急速に弱体化していった。凶事は重なるもので、シャーディ二世の気力を決定的に阻喪せしめる事件が起きる。国内行啓の途上にあった王太孫カルデファートの御座宇宙船が、ゼランのボードン提督率いるセバスガルト方面艦隊と遭遇し、撃沈されたのである。遺体こそ確認こそされなかったが、というより確認のしようがなかったが、カルデファートの生存は絶望的であった。
いくたびか昏睡状態に陥り、シャーディ二世の容態もいよいよ予断をゆるさなくなってくると、王国の廷臣たちは浮き足立った。王の後継者がおらぬのだ。なにしろ後顧の憂いを断つためという国王の意向のもと、将来カルデファートから簒奪におよぶおそれのあっためぼしい王族は、ことごとく粛清されている。後事を託すに足る能臣たちは、みな獄中か遠い配所とくる。
過去に何度か姻戚関係を結んだ《雪華》のバルトリンゲン帝国より皇子を迎え、禅譲してはどうかという意見もでた。が、首脳を欠く状態で国策の策定もままならず、議論は紛糾するばかりであった。
「この難局にあたることができる人物は、獄中にあるアレクシウス公をおいてほかになし。かつまた、カイラール天河のリヴァール要塞に、王国第一の城砦戦の名将ティケン伯を拠らせ、ゼラン帝国の侵略に対抗せねばならぬ。早急に二人の恩赦を実施すべきである」
アトランズ伯を中心とする進歩派貴族らはそう主張して、政府内に根回ししていった。
数日後、アレクシウスは政権の首班たる大都督として復権した。彼がまず最初におこなったことは、命旦夕に迫ったシャーディ二世の後嗣を定めることだった。故カルデファートの側近らの証言で、カルデファートに遺孤のあることが判明し、調査の結果、ブルックヘルムという辺境の星の修道院に預けられていたのだ。それがつまり、ルーテシアだった。
どんな感慨が、この胸の奥に去来するのだろう?
「殿下、お言葉を」
枕頭にいた目つきの鋭い男が、恭しく頭をさげて云った。この当時執奏官だったアトランズ伯爵である。何か言葉をと云われても、老王がルーテシアの言葉を聞き分けられるほどに、しっかりと意識と知能を保っているのかははなはだあやしい。
ルーテシアは丁寧に辞儀をした。
「ルーテシアと申します。国王陛下」
内心では様々な想いが渦巻いていたが、口をついてでた言葉は淡々としたものだった。
アトランズ伯がやにわに老王の口許に耳を寄せ、しきりと頷いたり、しかつめらしく「御意」と呟いたりした。ルーテシアの目からは、曽祖父の口が動いているようには到底見えなかったが。
「ただいま国王陛下の御遺言がなされました。御一同、しかと謹聴あれ」
室内にいたルーテシアをのぞく一同は、一斉にその場に跪いた。ルーテシアはひとり狐につままれたような顔をして立っていた。
「余が曾孫ルーテシアをして王統を継承せしむべし。との御諚です」
アレクシウスがその場の者を代表して云った。
「はー。臣等御遺言を奉じ、必ずや王太曾孫ルーテシア殿下を推戴いたし、太陽旗を護りたてまつる。どうか、大御心やすんじられませ」
かくて、《儀式》はおわった。
二日後、シャーディ二世は崩御し、ルーテシアが十歳にしてアクアガルトの第三百十五代女王に即位した。
雨の一滴が窓ガラスを打擲した。間欠的であったその音が、間断のない調べを奏でるにいたるまで、さほど時間はかからなかった。
「大都督とヨーカが、ブルックヘルムの修道院へわたくしを迎えに来た時も、こんな雨の日でしたわね。あれからもう、四年ですか」
「はい。陛下はたいへんご立派に、責務を果たされておいでです」
それは、毎日御前でおこなわれる政務奏聞の席でのことである。
「大都督。今日の戦死者の名簿は」
「これに」
アレクシウスは袱紗に載せた漆黒の石板を捧げもち、女王の前のテーブルにおいた。ルーテシアは石板の上に手をおき、目を閉じた。途端に、ルーテシアの脳裡に膨大な文字情報が奔流となって流れ込んできた。
「……くっ」
ルーテシアの額に苦悶の脂汗が浮く。
「陛下!」
「大事ありません」
そのまま、しばしの時を閲した。
「――っ、ハァ……ハァ……」
やがて、ルーテシアは疲労困憊した様子で荒い息をつき、石板から手を離した。
「……あまり頻繁に魔法具に触れることは、お奨めできませぬ。陛下は魔操手ではないのですぞ」
強い力を秘めた魔法具は、魔力への耐性や免疫のない人間がむやみに触れると、その者の精神に重大な障害をもたらすことがある。たとえば、魔力剣に魅せられた傭兵が、大枚をはたいて闇市場で買い求めた剣を手にした途端、発狂して殺人鬼と化したり、精神が崩壊して廃人になったりという話はごまんとある。
「邦家のために戦い、散っていった戦士たちにしてやれる、せめてもの手向けです。せめて一瞬なりと、彼等の名をこの心に刻み付けたいの」
それは、ルーテシアの日課であった。それにしても、なんと業の深い仕事であることか。
「先般は、ヨーカが敵将を討ち、おおくの敵艦隊を壊滅させたそうですね。それでもなお、戦局はかんばしくありませんか?」
「なにを申すにも敵は大軍、御味方は寡兵にござりますれば」
「この戦――」
やめるわけにはいきませんか――その言葉はしかし、寸前で呑みこまれた。多くの犠牲を払ってなお守らねばならぬ独立と不羈とは、いったい何なのか。まだ少女といっていい女王の苦悩は深かった。
「さて、話は変わりますが、今日はひとつ、是非にも陛下のご裁可を仰がねばならぬ案件がございます。この書類を御覧ください」
「はい。何でしょう?」
ルーテシアは首をかしげて問うた。彼女が政府の政策に異議を唱えたことは、かつて一度もない。これからもたぶん、ないだろう。それは、ひそかに彼女自身がおのれに課した節度だった。アクアガルトでは先王の事例で、親政の弊害の記憶もあたらしい。聡明なルーテシアは、体制にひそむ撞着を感覚的に看破していたのかもしれない。
「おそれながら、陛下のご生活にかかわりあることですので」
ルーテシアはアレクシウスから渡された書類に目を通した。
「……ええと、あの、これは?」
「貴族子弟より選りすぐりましたる、小公子百名の名簿でございます。いずれの者も見目よく才気煥発にして、陛下への忠誠心あつき者たちでございます」
何人かの名はルーテシアにも既知のものだ。伺候にまかりこした彼等は、いずれ劣らぬ美少年ぞろいであったと記憶している。
「この者たちで、陛下の御側近く仕える小姓組を編制することとあいなりました」
「ああ。なるほど」
「陛下におかれましても御承知のことと存じますが、先王の御世、是非なき経緯により、多くの王族が世を去られました。陛下がおわさねば、王家は断絶の危機に瀕したでありましょう」
「はい」
「王統の継続は、国家の安寧にとりましても、きわめて重要な意味をもつのです」
「はい」
「陛下も御年十四歳。妙齢であられる。臣民は、挙げてお世継ぎのご誕生を待望しておりますぞ」
「はい――は?」
ルーテシアは、ようやくアレクシウスの謂わんとするところを理解して、耳まで真っ赤になった。
「なっ!? な、なななーーっっ!?」
ようするに気に入った小姓に伽を命じ、寵愛を授けよということだ。
「大都督! わたくしはつい数年前まで修道院にいた身ですよ!?」
「今は還俗し、至尊の王冠を戴いておられます」
「でも……でも、わたくしにはそんな背徳的なこと、できません。わたくしは娼婦じゃないわ! 百人もの男の子とそんなはしたないこと――」
「陛下が町方の庶民の娘御であれば、それは或いは背徳なのかもしれません。けれどもこれは、王たるものの神聖な義務と心得ください。臣らも、陛下の意にそまぬ政略結婚などは本懐ではありませぬ。ただ、御子は儲けていただかねば困ります」
「そ、そんな〜〜……」
歴史の激流のただなかにあって翻弄されるルーテシア・リブルット・アクリーズ、この時十四歳。のちに数奇な運命を辿るアクアガルト最後の女王の鵬程は、まだまだ序幕にすぎない。
〜続く〜