ゼランの宇宙艦隊は、支援種艦艇が充実していることで知られる。巨大な戦闘種艦艇は、個艦ですべての宇宙活動をまかなうだけの設備も能力も有しているため、艦隊すべてを戦闘種艦艇で占めるべしという精粋化論も、外様諸侯や冊封諸国出身の廷臣たちを中心にないではない。が、譜代のゼラン貴族たちを中心に構成される艦政本部首脳は、伝統的に支援種艦艇の整備方針を固守してきた。
たしかに戦闘種艦艇ばかりで編制された艦隊は、運用、育成効率の上で利点おおく、恒星間戦争においてならば、精粋化論もそれなりに肯綮を中てた議論であったかもしれぬ。ところが、より高次な銀河間戦争という局面においてはまったく新しい戦略が要求されるということが、列強との永の攻防を通じて帰納的に導かれた結論であった。多様性を排除した艦隊は、艦隊としてのポテンシャルもまた掣肘されるのだ。
海洋民族リムリーヤの血を受け継ぐ彼等ゼラン人は、他のどの民族よりも宇宙艦隊の運用に天稟があったのかもしれない。果然、コルトナイドの数ある星間国家に先駆けて、汎銀河団的な作戦展開能力を手中にしたゼランの宇宙艦隊は、銀河と銀河とのあいだを隔てる広大無辺な空間の制宙権を掌握し、四つの銀河にまたがる巨大帝国を築く原動力となりえたのだ。
支援種艦艇とは、思念中継艦、空挺輸送艦、工作艦、次元穿孔艦、掃宙艦、輜重艦、偵察艦、結界艦、医療艦などをいう。これらは、太古の魔法建艦廠から産み落とされた甲殻亜幽星体が、それぞれ自己進化を遂げ、変貌したものだ。念操艦がしばしば《生ける機械》と比喩される所以である。
リーシャが従軍看護婦として配属されることとなった医療艦は、ノイザー方面第一二艦隊に所属していた。
「え! えぇ!? なんで!? どうして……」
リーシャが最前線への配属を志願したと聞いたとき、看護養成校の同期たちは一様に驚きとある種負い目の綯い交ぜになった複雑な視線を彼女に向けたものだ。寄宿舎でルームメイトだった娘をはじめ、仲の良かったなんにんかの友人は、リーシャににわかに芽生えた崇高な職業意識(のように彼女たちには思われた)を翻意させようと、熱心に説得をこころみた。
「最前線って危険なんだよ? 死んじゃうかもしんないんだよ? わかる?」
「うん……まぁ」
「故郷に家族がいるんでしょう? お父さんお母さんが何て思うか」
「あのぉ〜。あたしは孤児なんですけど」
「ええと、もしかして、失恋でもした?」
「そんなんじゃないって」
友人のひとりがずけずけと云った。
「なんだって急にそんな愛国心に目覚めちゃったの? 挺身なんて今時流行んないわよ」
諸外国の人々のなかにはゼランをして専制的な国家と見做す者も多かったが、実はこの国は、皇帝や貴族を頂点とする封建的な階層秩序が存在する一方、司法、立法、行政の三権が分立する開明的な立憲政体である。その統治はけっこうおおらかで、国法を遵守するかぎり、言論の自由もかなり保証されていた。戦時下の軍国主義国家に見られがちな、ヒステリックな偏狭さと無縁であったことは特筆に値しよう。
かの神武帝サーディルは、常々、尽忠報国の美名のもと臣民に犠牲をしいることを固く誡めたという。次のように後継者たちに遺訓している。
「帝王たるもの、惻隠をもって王化にのぞむべし」
畢竟、英邁ないにしえの皇帝は、その慧眼をもって、ゼランという史上に稀な巨大国家を治めてゆく秘訣を観抜いていたのだろう。さよう、ゼランは億兆の民族をたばねる帝国だ。この寛濶な施政哲学あったればこそ、数千年の経綸が能く破綻しなかったのにちがいない。
同期生のひとりの娘が、ふと思い出して云った。
「そういえばこの子、フルーラ女史に私淑してたのよね……」
じつのところ、その友人が到達したらしき見解と事実の間には、誤解の海がよこたわっていたが、リーシャは積極的に誤謬を払拭しようとせず、曖昧に微笑むのみだった。
リーシャの穏やかだが申し訳なさそうな目に会って、友人たちは説得の無駄を感じ、歎息を交した。
ちなみにフルーラとは、辺境アルテニア星系の小国、アールマキナ大公国出身の伝説的な看護婦である。三十二世紀初頭、ゼランのフェンネーズ七世帝、バルトリンゲンのリヒテル大帝、カリューガ朝トルキアの皇帝ロベルト二世(当時、トルキアは王制ではなく帝政であった)らが雪華大星雲に鼎立して戦った《三帝会戦》の時代、傷病者や戦災孤児らの救護を目的に創設された慈善団体がある。《天使の翼》と呼ばれるその慈善団体の創設に、生涯をかけて力を尽くしたフルーラ女史の事績は、伝記として上梓され、千年の時を経た今なお、コルトナイド各地で民草の敬慕をあつめていた。
この看護養成校で学ぶうち、リーシャ自身の内面に、特別な義務感のようなものが芽生えていたというわけではない。友人が指摘したように、フルーラ女史の伝記はリーシャの座右の書であったが、その博愛的で献身的な生きざまに感化され、わが進路の師表と仰いだわけでもない。リーシャをして一大決心へと衝き動かしたもの――それはただ、宇宙への憧憬であった。
彼女たちの通っていた看護養成校は、帝都星系のなかでも環境のよいタンガル街城という都市星にあった。太陽オストラシオから遠いため、魔工太陽の力を借りてなお寒冷な風土だったが、針葉樹の森と湖がひろがるそれは美しい星である。大気が清澄なうえ、不夜城と呼べるほどの大きな都市区も地表にないため、夜ともなれば満天に星空がおちかかる自然の天文図を堪能することができた。それは地上に暮らす者にとって望みうる、もっとも贅沢な絶佳であるとリーシャは確信していた。あの、夜空に瞬く星々の彼方に、彼女の見も知らぬ世界がひろがっている。想像の翼をひろげるだけで、リーシャは居ても立ってもいられなくなった。きっと祖先に冒険家がいたに違いない。自分はその血を受け継いでいるのかもしれない。だから看護養成校から宇宙艦隊への推薦枠があることを知った時、彼女の心は定まった。
首席とはいかなかったが、猛勉強の甲斐あって成績優秀で看護養成校を卒業することができた。その後、帝国軍病院での基礎訓練を経、今こうして念願の宇宙へ足跡をしるしたのだ。
帝国軍の艦艇には、一隻あたり一万人から二万人の兵員が乗り組む。航海は時に年単位におよぶこともあるため、兵員たちの生活の便宜を図るべく、商人やコックや音楽家といったじつにさまざまな職種の民間人たちもまた、軍属という身分を与えられて乗艦する。過去には、「兵士どもの無聊を慰めるため」と称して、多くの娼婦を戦場にともなったつわものの艦長もいたほどだ。通例、あまりおおっぴらでないかぎり、軍監部も提督や艦長たちの裁量を黙認するが、これはさすがに軍首脳も看過しえなかったのだろう。著しく軍規を乱したとして当局に摘発され、この艦長は処刑されている。
宇宙の戦争はある意味、広大な空間、悠長な時間、苛酷な環境との戦いでもある。艦隊を率いる将帥がもっとも腐心せねばならぬのは、作戦行動が長期にわたる際の士気の低下と、将兵の健康なのだ。
とこう、宇宙艦隊は、司令官を元首とする擬似的な国家といえなくもない。単純比較は無理があるといわねばならぬが、あえて統計をこころみれば、宇宙艦隊における人口密度あたりの医療従事者数は、帝国平均を下回る。まして、危険に身を置く機会の多い軍隊のこと。医療の需要は、安穏な諸惑星とは比べ物にもならないだろう。
そんなわけで従軍看護婦の一日はとても忙しい。ことにリーシャは新人であってみれば、掃除洗濯の雑用から、医療物資の運搬、病室の巡回と、広大な医療艦の中をあっちへこっちへ駆けずり回ることになる。
「ベッドのシーツ、さっさととりかえて!」
「はいっ!」
「リーシャ! 麻酔薬と包帯の在庫がたりないよ! すぐ主計方に問い合わせなさい」
「はいっ!」
「新入り! ぼさっとしてんじゃないよ! 戦闘になったら、こんなもんじゃないんだからね」
「は、はいっ! すみません!」
先任看護婦たちの容赦ない叱咤がとびかう。激務に追いたてられ、就寝の刻限となれば泥のように眠りこける毎日。唯一にして最大の楽しみは、非番の日に、医療艦内にある庭園を散策することだった。
その日もいつものように弁当を拵え、趣味の編み物道具ともども籠に入れて休暇の用意万端。リーシャは、己に割り当てられた部屋から、最寄りの艦内駅に向かった。全長三〇〇モイヤールを優に超える軍艦の中を歩いて移動すれば、リーシャの部屋から庭園まで往路だけでも最低三週間はかかるだろう。へたをすれば道に迷って行方不明ということにもなりかねない。艦内の移動は、内部各区画に張り巡らされた艦内鉄道網を利用する。
駅のプラットホームに人影はまばらだった。皆制服姿で、私服なのはリーシャだけである。途中すれちがった顔見知りの軍医助手たちが、軽く敬礼を寄越した。
「およ? 誰かと思えばリーシャちゃんじゃないか」
「ご苦労様です」
「今日は非番かい?」
「はい。すみません」
つい反射的に謝ってしまい、リーシャは苦笑した。
「いやいや。休暇をしっかりとることは帝国軍人たる者の正当な権利であり、神聖な義務でもあるんだよ。休める時にきちんと休んで英気を養わないとね、いざという段に、御国と皇帝陛下のお役にたつことができない」
「はい」
「というか、休暇なんて取れるのは今のうちだからね。戦闘が始まったらもう、俺たち医療方は不眠不休さ」
「は、はい」
リーシャと話していた軍医助手の同僚がこのやりとりに容喙した。
「ははははは。若い娘をそんなに脅かすもんじゃないよ。さ、列車が来るぞ。リーシャさんといったな。よい休暇を」
「ありがとうございます」
リーシャは敬礼ではなくぺこりとお辞儀をして、その場を離れた。
軍医にせよ従軍看護婦にせよ、帝国軍の医療方に籍をおく者は口をそろえてこう云う。
「戦を経ないと一人前にはなれない」
これから彼等には気の滅入る重労働が待ちうけている。ひとたび戦闘に入れば、艦隊中から何百万人という負傷兵が、次から次へと医療艦に搬送されてくる。手や足がもげたり、目がつぶれたりした兵士などはまだマシなほうで、全身焼け爛れたり、腹のあたりで下半身がちぎれたような、もはや手の施しようのない重傷者までいる。そんな傷ついた戦士たちにしてやれることは、苦痛をすこしでもやわらげてやることでしかない。医療艦に収容されるそばから息をひきとる勇敢な若者たち。絶え絶えの息で、涙ながらに形見の品を託す兵士がいれば、理不尽な死の顎からのがれようと、最期まで懸命にあがく兵士もいる。そんな同胞たちの末期の水を、郷里の家族や恋人や友になりかわって取らねばならないのだ。技能の軒輊よりもまず、強靭な精神をもたねば、とてものこと務まるものではない。
リーシャの背を見送りながら、軍医助手たちは吐露しあった。
「働き者で素直で可愛い、とてもいい子だ。……あの子は残れるかな?」
「さてな。優しそうな娘だったからな」
透明なドームに蓋われた庭園は、無機質な軍艦にあって別世界だ。京師《内苑》の自然環境を模したものらしく、暦にあわせ四季もある。今は蕭寥たる冬の風情だ。もっとも宇宙戦艦がいかに大きいとはいえ、生態系の循環を再現するというわけにはいかず、艦内庭園の維持管理にはかなりのコストが費やされるという。それでもなお、艦政本部はこうした施設の必要性を認めていた。戦陣暮らしで鬱結した精神を癒す効果があるからだ。
「きれい……」
実際ここに立つと、宇宙をもっとも近くに感じとることができそうな気になる。その瞬間、疲れた心身も安らぐのだ。界封体硝子一枚をへだてて目にする宇宙は、大気という名の厚い濾光器を通して目にする宇宙とまったく異質な感じがした。どこまでもつきぬけていきそうな広漠感。人の創った世界とはちがう、峻厳な黄金律の支配する世界。
(?……誰かいる)
庭園の一隅にある噴水のほとり。ほとんど人の来ることがない、リーシャのお気に入りの場所だ。いつもリーシャの陣取るベンチが、今、見知らぬ若い女に占拠されている。
リーシャは物陰からそっと様子を窺ってみた。女は、どうやら読書中らしい。俯きかげんに、皮革装丁の高価そうな本へ目を落としている。
(うぁ……きれいな人……)
まず目をうばわれたのは、その見事な金髪だ。絹糸さながらの艶やかさと滑らかさ。繊細な金髪が、身じろぎにあわせてめくるめく光沢を変化させる。鼻梁のかたちといい、顎のラインといい、これほどに整った顔立ちというのも珍しい。そこにいるだけで光彩をはなつような錯覚すら、見るものにおぼえさせずにはおかない。
あまりまじまじと観察するのも失礼かと思うのだが、目を離しがたい。視線が釘付けとはこういう状態なのだろう。けどられないようにという緊張感も手伝って、リーシャの鼓動がはやくなった。
この医療艦に乗り組んでいるということは、軍の関係者だろうか? リーシャと同じく制服ではないようだったが。
(わたしと部署がちがう先輩の看護婦さんかな?)
意識を思索に割いたのが不覚のもとだった。
「こんにちは」
不意に声をかけられ、リーシャの動悸がさらに跳ねあがった。声のぬしがベンチに座っているくだんの麗人であると理解するまで、若干考えの試行錯誤を要した。なにしろその声は、紛うことなく男性のものだったから。
「あわわ、ごめんなさいっ」
リーシャは混乱していた。
(うそ……男の人だったの?)
そういえば、すらりと均整のとれた肢体でこそあれ、女性的な華奢さはあまり感じない。
「散歩かい? お嬢さん」
美しい青年が、なごやかに語りかけてきた。
「えっと、えっと……は、はい」
青年が、リーシャのかかえた弁当籠にめざとく目をつけて云った。
「もしかして、ここは君の縄張りなのかな?」
「はい。あ! いいえ」
つい正直にこたえてから、泡を食って訂正するリーシャ。青年がおぼえず笑みをこぼした。
「隣においで。美味しいお茶があるんだ。ご一緒にいかが?」
青年の麗雅な存在感のなせるわざか、その何気ない提案は拒絶しがたい魅惑をはらんでいた。この謎の青年への興味にも後押しされて、リーシャは素直に欲求へ従うこととした。
「ありがとうございます。じゃ、せっかくだから」
「すまなかったね。ここが君の指定席とは知らなかったんだ。僕はメルレーン・シルド・ウナス」
青年はそう名乗った。
「わたしはリーシャです。メルレーンさんは軍医さんなんですか?」
「医者とはある意味正反対の仕事かな。リーシャは看護婦さんだろう? 白衣が似合いそうだもんね」
「えへへへへ」
リーシャは照れて頭をかいた。しゃべりながらメルレーンは陶器のカップと、なにかの植物の茎を細工したらしき水筒をさしだした。
「さ。温かいうちに召しあがれ」
「あ、いい香りですね」
「配給品とは一味ちがうだろう?」
「――うぁ、おいしい♪」
「コーネスト星系産のユイ茶だよ。ほんとうは淹れたての熱いのが美味いんだけど」
「よかったら、お弁当ごいっしょしません?」
わたしにしては珍しく、ずいぶんと大胆な行動に出たものだ――云ってみてから、リーシャはそう気が付いた。和気藹々とした空気に、自然と口をついてでたのだろうか。
「いいね。昼にはすこし早いが、ちょうどおなかがへってきた頃だ」
一瞬固唾を呑んだリーシャが拍子抜けするほどに、メルレーンはあっさりと承諾した。
「お茶のお礼ってゆーか……アップルパイを焼いてきたんですけど。食べます? あんま美味しくないかもしんないけどね……」
「へえ。いただきましょう」
かくして、なりゆきの小さな午餐がはじまったのだ。
『探しましたよ、メルレーン提督』
「ひゃっ――……」
唐突に、彼等の鼻先の中空に幻影窓がひらいた。リーシャは思わず声をあげかけて、慌てて口をおさえた。軍籍にはいって一年ほどたつが、いまだにこの魔法技術の通信システムには慣れることができない。
「ああルエン。どうかした?」
メルレーンは、そんなリーシャを面白そうに横目で見つつ、幻影窓に映った高級士官らしき男に云った。
『どうかしたではありません。御加減がわるいと伺いましたが』
「うん。二、三日前からちょっと風邪気味でね。フィンコード博士の調合する薬湯が、じつによく効くんだ」
フィンコード博士の名は、リーシャも知っている。まだ会ったことはないが、この医療艦に乗艦しているらしい名軍医だそうな。
『だからといって、わざわざおん自ら医療艦まで赴かれずとも。御座所のほうへ軍医殿をお呼びになればよろしいではありませんか』
「ほんの気分転換だよ」
『まぁ貴方の気紛れにももう慣れましたが……しかし、せめて席をはずされるときは、一言、それがしか副官に云い置いてください。火急の際に司令官不在では困りますぞ』
ルエンはずけずけと物申した。二人の間には、忌憚のない言葉のやりとりを許容する、かなりの信頼関係が築かれていることが察せられる。
「火急の用件でもできたのかい」
メルレーンは髪をかきあげた。動作のひとつひとつが憎らしいほどに洗練され、優雅だった。
『はい。本隊の総司令官閣下より緊急の次元通信が入りました』
「ユーキから?」
『中継いたします。しばしお待ちあれ』
幻影窓がひとたび閉じた。
リーシャは面喰っていた。
(この人って、もしかして偉い人?)
どうして最初彼の額の刻印を見た時に気付かなかったのか。かつて実物を見たことはないが、あれこそ有名なレンゼスの紋章にちがいない。今、目の前で展開された会話から敷衍するまでもなく――メルレーンは、リーシャが所属しているノイザー方面第一二艦隊の最重要人物だろう。こうして直接口をきくどころか、顔を直視することすら憚られる身分の人物かもしれない。
(ど、どうしよう……)
リーシャはどうしたものかと思いあぐねたが、ややあっておそるおそるメルレーンに声をかけた。
「……あのぅ。わたし、あっちに行ってましょうか?」
「うん? どうしてだい?」
リーシャが云いよどんだその時、ふたたび幻影窓がひらいた。こんどは先ほどとは違う場所を映しだす。幻影窓のなかで、亜麻色の髪の青年が大きな椅子に座っていた。メルレーンほどに類い稀な優男ではなかったが、十分整った顔立ちの青年で、身なりも立派なところからしかるべき貴公子かと見える。
幻影窓のむこうで、青年はメルレーンとリーシャを交互に見比べた。青年とリーシャの目が合う。悪戯を成功させた少年のように、青年の顔がほころんだ。
『お邪魔だったかな?』
メルレーンが肩をすくめた。
「想像力が豊かなのは慶賀の至りだが、君はあいかわらず飛躍しすぎるきらいがあるね」
『後で食事を奢りたまえよ。貴き家庭円満のために』
「残念ながら、その恫喝は成就しない。僕が妻一筋なのはご承知のとおりさ」
『そうだったな。この恐妻家め』
「失敬な。愛妻家と云ってくれたまえ」
メルレーンが反撃に転じる。
「君こそ、早く妻を娶ったらどうなんだユーキ。もう十九歳だろう」
『そうなれば、宮廷の御婦人がたが枕を濡らすことに……いや冗談だよ』
ユーキは両手をあげて、降参の素振りをしてみせた。
「君はそうやってはぐらかすけれど、大切なことだと思う。もしかして意中の姫君でもいるのか?」
『まさか』
「何故だ。ユーキならもし望みさえすれば、どんな美姫でもよりどりみどりだろうに」
『それはね……友人に君のような男がいると、異性に興味をもてなくなるからさ』
「!?――気持ちは嬉しいが……僕にはそういう趣味はない」
『こらこら。冗談だってば、冗談』
「もうちょっと諧謔のセンスを磨きたまえ」
『君もな』
メルレーンは脱線気味の会話を軌道修正した。
「お互い明日をもしれぬ戦陣暮らし。家門を絶やさぬよう努めることも、帝国貴族たる者の責務のひとつだ。ましてや君は、部屋住みの僕なんかとちがって、親王宣下を待つ身じゃないか。ゆくゆく九五の尊位を践ませ給わんことなきにしもあらず、だろう」
『それは絶対ないと思うな……。朝堂で、僕の養子縁組が俎上に載せられているそうだ』
「――本当かい? 宮廷というのはまさに魔窟だね」
『ウナス選帝公家の御曹司にあるまじき所感じゃないか』
ユーキがひやかした。
『なんとゆーか、君も僕に負けず劣らず口を滑らせる質だなァ。これは司令用守秘回線だから問題ないけど、軍用の次元通信じゃあ発言はすべて記録されると聞いたことがある。お互い舌禍に気をつけようじゃないか』
「帝国宮廷きってのトラブルメーカーの君に云われたくないよ、子爵殿下。先の事件、僕やシールがどれだけ気をもんだと思ってるんだ」
『ごめんごめん。――でも、シールと会ったのか? 僕は、彼女が騎士団幼年修練館に行ってから、もう随分と会ってないが』
「騎士見習いの中でも、頭角を露しつつあるみたいだよ。騎士叙勲も時間のもんだいだろうって、知人の騎士が話していた」
『シールは子供の頃から男まさりだったからね』
「今も不思議でしようがないんだけど……いったいどんな政略をもちいて、このたびは更迭を免れたんだ?」
『うん。実は詳しく知らない』
「おいおい……」
『ちらほら小耳にはさんだ噂話もあるけどね。後宮のさる筋が、僕の擁護をつよく聖上にはたらきかけたとかなんとか……』
ユーキは意味ありげに言葉尻を濁した。
「ふうん……どうも臭うね。陰謀は僕の専門外なので、論評は差し控えさせてもらうが」
『ああ。――ま、今話すようなことではないね。この件は、いずれ時と場所をあらためて相談させてもらう』
椅子に深く背凭れて、ひとつ息をつくユーキ。
『四方山話はこれくらいにして、本題にはいろう』
メルレーンが頷いた。
「どうぞ」
ユーキがデクル・シューレ(帝国公用語)にあらざる言葉で語り始める。メルレーンの横でおとなしくしていたリーシャが、聞きなれない抑揚の言語にキョトンとした顔つきになる。リーシャは知るよしもなかったが、それは帝国貴族たちが密談などにもちいる古メルグ・リムリーヤ語だった。
『ゾディート星間雲方面で哨戒任務に当っていた偵察艦隊が、一昨日から消息を絶った。現在も念信は途絶したままだ。マナーゼ・オーヴが当該宙域で微弱な時空震を検出したんでね、探査を兼ねて派遣したんだが……どう思う?』
「残留幽星子の解析はしたのかい?」
メルレーンもまた古メルグ・リムリーヤ語で応じた。
『いや。標本を採取できていない』
メルレーンは頭の中で天翔図をひろげた。
「敵性体のしわざなら厄介だね。ゾディート星間雲に敵の進出をゆるせば、向後、兵站線の確保に支障をきたすだろう」
宇宙戦艦は、幽星界(亜空間)に充ちる幽星子(アストラル・リーケル)を動力の源とする永久機関を搭載しており、自己進化能力および自己修復能力をも具有する。また、艦内の農園において、およそ一〇〇万人分の糧食を恒久的に自給自足できる。これらが意味するところは論を俟たない。すなわち、ほとんど補給の必要がないのだ。
にもかかわらず、兵站の重要性はいささかもそこなわれていない。
おおいなる《知恵の宝珠》――エステルド・オーヴが、いかな無尽蔵の古代文明の知識と情報を蓄積していようとも、人類はその果実を完全に手中としたわけではない。コルトナイド局部銀河群でさえ、ごく一部の航路とごく一部の天体をのぞき、いまだ未開拓の暗黒世界なのである。天翔図の空白たる未知の宇宙への航海において、兵站線とはいうなれば艦隊の命綱だ。ユーキやメルレーンは、若年ながらも戦場の心理の機微を知悉する有能な将星だった。そんな彼等が、兵站線の確保を最優先事項として捉えていることは、むしろ理の当然といえた。ごく基本的な危機管理にすら思いを致さぬ指揮官の下では、兵たちは信頼して命を預け戦うことができない。
『メルレーン、頼む』
ユーキの言葉は簡潔だった。メルレーンはそれでじゅうぶん、ユーキの意を体するだろう。それでも、ユーキ相手には一言まぜっかえさずにはおれぬ性分らしい。
「頼むという言葉は、個人的な依頼につかうものだよ。これは方面艦隊総司令官としての命令なんだろう?」
『然り。君に拒否権はない』
「人使いの荒いやつだ」
『君は僕の配下なんだから、しょうがないじゃないか。もし君が武勲をあげて僕の上官になったら、僕は君のために犬馬の労も厭わないことを誓おう。その日のために任務へ奮励したまえ』
「そうしよう。昇進などに、興味はないけれどね。君より早く陛下から五芒星大勲章を賜り、君を顎で扱き使ってやるのさ」
『その動機はちょっと問題あるような気もするが……まァ君の功名心(?)が我が軍にもたらすであろう戦果には、最大限の期待を寄せさせてもらうよ。ただ、功に逸って二階級特進という事態だけは勘弁してくれ』
帝国軍における二階級特進は、いうまでもなく名誉の戦死者に贈られるものである。
「縁起でもないことを云わないでくれ」
『武運を』
「諒解」
ユーキとメルレーンは敬礼を交した。
幻影窓を閉じる間際、ユーキが云った。
『そちらのお嬢さんの身柄については、君が責任を持てよ。可哀想に。君が迂闊にも軍機に接触させてしまったんだ』
幻影窓が閉じるのを見届けてから、メルレーンはリーシャを顧みた。
「と、いうわけだ。すまないけどリーシャ。君は本日付けをもって我が艦隊司令部専属の看護婦になった」
「……はい?」
メルレーン・シルド・ウナス准将率いるおよそ一万隻のノイザー方面第一二艦隊が、ゾディート星間雲に進出したのは、帝国標準暦4144年、年の瀬も押し迫ったレプテリューンの月(十五月)二十日未明のことである。あと一週で大晦日だ。
帝国標準暦は京師第三惑星《宮城》の自転・公転周期を基準にしたもので、一年十五ヶ月。一月は二十五日で、五日ごとに第一週から第五週まであり、一日は二十五時間となっていた。人間の体内時計はこれまたちょうど二十五時間サイクルといわれているが、この符号の一致は偶然ではなく、もっとも生存環境に適した第三惑星を基準としたことによるのだろう。ちなみに封魔帝リンゼル七世がニーブレン星系への遷都をおこなう以前は、メルグ・リムリーヤ星系第五惑星の自転・公転周期が標準暦の基準であった。こちらは旧暦と呼ばれている。
「やれやれ。今年もまた戦場で新年を迎えることになりそうだな。久しく帝都の祝典にも出てないような気がするよ」
「それがしは、星々の大海原で迎える新年というのも、なかなか趣があってよいものかと心得まする」
「ルエン校尉は風流人だね」
「……なにやらお言葉に皮肉が感じられてならんのですが」
「気のせいだよ」
艦隊参謀長グリーヌ校尉が渋い顔で、メルレーンとルエンのもとへつかつかと歩み寄ってきた。
「司令官閣下。副司令殿もこちらでしたか」
「ご苦労さま。どうだい? 探査の進捗具合は」
「艦艇の残骸を多数確認しました。オリハルコン片がかなり広範囲に散乱しておりますな」
「対魔法兵器用のチャフではないのか? グリーヌ殿」
「現時点では何とも云えぬ。ただこの宙域で戦闘があったのは確かだ」
「生存者はいそうか?」
メルレーンが訊ねた。
「擱坐した艦に生存者がいるもようです。複数の救難信号を受信しております」
「救出作業急ぐように。あと、エステルド・オーヴで回収できるものがあれば回収すること。航海記録を解析しないとね」
「はい」
「ルエンは周辺宙域の哨戒にあたってくれ。まだ敵がうろついてるかもしれない」
「諒解」
「あのぅ……」
ここは艦隊旗艦・戦闘艦マセトの司令艦橋。一人場違いな疎外感を感じていた看護婦の娘が、遠慮がちにメルレーンに話しかけた。
「どうしたリーシャ。退屈かい?」
「わたし、医療艦に――部署に戻らなくて大丈夫なんでしょうか?」
「ここにいなさい」
「でも、何か仕事をしてないと落ち着かなくて……貧乏性ですみません」
「ああ。そうか。そういえば君も初陣だったんだね。そのうち出番がくるさ。司令部の誰かが負傷するかもしれないし」
これを聞いたルエンが云った。
「司令部の者が負傷するほどの激戦になりますかな?」
「それではこうしよう。リーシャに重要な任務を与える。とびきり美味しい紅茶を淹れてくるように」
「は、はいっ」
レプテリューンの月(十五月)二十日十四時。
三〇〇隻の強襲打撃艦が救助活動を開始した。
擱坐した艦に接舷して穿孔莢を射ち込み、通路を確保するのだが、分厚いオリハルコンの装甲を貫通させるのは容易なことではない。オリハルコンは魔力性のエネルギーを弾くため、四次元物理的な理力によって破壊せねばならぬが、これが尋常の硬度ではないうえ、恒常性金属の別名からも想像されるごとく、分子構造が破壊されるそばから自己修復してしまうという特質をもつ。そこで強襲打撃艦の出番となる。
強襲打撃艦の穿孔莢は、高振動によってたいがいの通常物質を融解させる。魔法物質オリハルコンといえども、通常空間に物質として存在するからには、四次元の物理法則の支配下、とは云わぬまでも影響を免れない。そこでオリハルコンの自己修復能力を凌駕するエネルギーを集中投入して、穴を穿ち続けるのだ。戦闘時は、騎士や装甲兵が穿孔莢内部通路を通って敵艦に侵入し、近接戦闘におよんで敵を制圧するのである。
が、今は友軍将兵の救出が目的だ。むろん安全確保のために必要な戦闘員はいたにせよ、剣戟を携えた兵団ではなく、工作兵や医療方を中心に編制された救助隊が、救難信号をたよりに乗り込んでゆく。
「おぅい! 誰か居ないかァ!」
「生きているなら返事をしろォー! 声がだせないなら壁を叩けェー!」
「おい、どうだ。そちらは」
「ダメです。生存者、見当りません」
「おかしいな。遺体も見当らないし」
「念信器がイカレてるんじゃないのか? もともと大昔の遺跡からの発掘品なんだろ?」
「いや。発掘されたのは魔法具を生産する工廠であってだな、この念信器自体はごく最近つくられたもののハズだ」
「アンタ工作兵だろ。直せないのか?」
「無理だって。魔法具だぞ? 帝都の錬金術師たちじゃなきゃ手におえないよ」
妙だ。誰もいない。そんな囁きがあちこちで交わされた。そんなさなか――
「ギェエエーッ!」
「グハァー」
「うわぁ! や、やめやめ――」
瓦礫の山と格闘していた工作兵たちに、突如躍りかかった男たちがいる。血がしぶき、ばたばたと斬り伏せられる救助隊の面々。同じような光景が、ここだけではなく、救助隊が乗り込んだ数百の艦艇で同時多発的に展開された。
「お、おちつけ! 俺たちは味方だ! 剣をひけーっ! 友軍だ! 救助にきたんだぞ!」
「うわぁ! あいつら帝国軍じゃねぇぞ!」
暗がりの中で不気味な光をはなつ濃紺の甲冑武者たち。その胸甲に浮かびあがる紋章は、アクアガルト王国章。
「ててて敵だぁ〜〜!」
「敵襲〜〜〜ッ!!」
二十一日三時。
戦闘艦マセト艦橋。
「してやられました。強襲打撃艦一八二隻が敵の手に陥ちたようです。なお多数の僚艦で、白兵戦が展開されているもよう。また、敵の侵入いたせし強襲打撃艦に、赴援のため接舷を敢行した軽巡航艦数隻が砲撃を受け、被害がでております」
「海賊まがいの卑劣な戦術を……。アクアガルトの匹夫ども。いくさの作法を忘れ、そこまで堕ちたか」
参謀長グリーヌの報告に、切歯扼腕するルエン副司令。
「如何されますか閣下」
「飛んで火に入る夏の虫。このままとりこめて、乗っ取られた艦船もろとも殲滅すべし」
「いや、それはまずいぞルエン殿。味方の兵がかなり捕虜になっているはずだ。おそらく五〇万人は下るまい」
「くっ……」
机の上で腕を組み、目を閉じて何事か考えていたメルレーンが、おちついた声で下知した。
「白兵戦で対応する。まず結界艦で包囲し、敵に占拠された艦のエステルド・オーヴに念侵蝕をこころみる。情報干渉で出来た間隙をぬって、格闘艇で精鋭を送り込めないかな」
「早急に研究してみます」
「ルエン。周辺宙域の哨戒を厳重にしてくれ。これは攪乱だ。敵主力が間もなくしかけてくるだろう」
その言葉も言い終わらぬうち、旗艦内に警報が鳴り響いた。
「ほら。おいでなさった」
〜続く〜