光と闇の海の果てに

プロローグ INDEX 第1話(2)

〜第1話 邂逅(1)〜

 乾いた靴音が、戛然と高い天井に反響する。
 巨大な白亜の円柱を連ねたコロネード――太古の神殿の列柱回廊を彷彿とさせる長大な廊下を、ひとりの女剣士が颯爽と深紅のマントをひるがえしながら歩いていた。
 やがて女剣士は突き当たりに達すると、繊細な浮き彫り(レリーフ)がほどこされた大きな二枚扉の前に立って、ちょっとこれを見上げ、それから扉の両側で微動だにせず立番をする衛兵に告げた。
「私はアゼール鎮守府の校尉にして騎士卿、シール・マティーヤである。こたび当方面艦隊総司令の副官職を拝命し、着任の挨拶のためかくのごとく出頭いたした。まかり通るぞ」
 女剣士のいでたちは、黒い詰襟軍衣に連合帝国章の象嵌がなされた頚飾や肩章をあしらったもので、これはゼラン近衛騎士団の略装である。
 年の頃なら二十五、六。瑠璃色のショートヘアーにヴァイオレットの瞳をもつ優艶な美女だったが、左の頬に刀創があって、歴戦の猛者特有の凄味を彼女に賦与していた。なにしろもとが絶世の美人と云っていいだけに、そこには恰も抜き身の真剣に相対するが如き、そら寒い迫力と緊張感があった。
 女剣士の纏う服装や雰囲気もさることながら、その額に刺青された連合帝国章――幻獣レンゼスを意匠とする紋章は、彼女が帝国貴族の身分であることの端的なあかしである。これを認めたふたりの衛兵は、手にする斧槍(ハルベルト)を捧げて敬礼した後、黙して左右から扉を開き、シール・マティーヤを中へ通した。
 通された部屋はかなりの広さがある。部屋の中央付近に置かれた執務机に目指す人物の姿を見て取り、シール・マティーヤはすこし意識的に威儀を正して上申した。
「申しあげます。アゼール鎮守府所属校尉シール・マティーヤ、総兵統帥府の下命により、ウィルグ方面艦隊総司令ユーキ・ナグラス少将閣下付副官としてただいま到着つかまつりました。この新規軍令は、本日ただいまをもって発効いたします。これなるは、総兵統帥府発行の正式な任命書……印綬をご確認のうえ、何卒ご披見ねがい参らせますよう」
「……ン……」
「……?」
 見事なリンコウ樹の執務机の奥に座すかなり年若い提督は、腕組みして瞑目し、何事か思索にふけるようすだ。……が、よくよく見れば、頭はこくりこくりと舟を漕いでおり、将軍衣の胸のあたりには涎の染みができている。シールは舌打ちして、居眠り青年の傍らにあゆみ寄った。
「ち! ったく、こやつは……おいっ! ユーキ、起きろ! 私だ、シール・マティーヤだ! いま着いたぞ」
「――ん〜っ」
 ユーキ・ナグラスはシールに揺り起こされて、欠伸をしながらひとつ大きく伸びをすると、朦朧として潤んだ目を大儀そうにこすりつつ云った。
「やあ、誰かと思えばシールじゃないか。……ずいぶん早かったねぇ。話は聞いてるよ」
「相変わらずだな、おぬしは」
「君も元気そうでなによりだ。京師での君の騎士叙勲式以来だから、もうかれこれ三年ぶりになるのか。騎士団での君の活躍は夙に聞こえている。シール・マティーヤの雷名は、この僻陬にまで轟きわたっているよ」
「ミルズ星系会戦最大の英雄がなにを云う。いまやコルトナイドの七つの銀河系において、おぬしの令名を知らぬ武人はおるまいに」
 とはいうものの、目の前の飄々としていかにも平和そうな、およそ赫奕たる武勲とは無縁に見える若者が、かつて一五万隻の寡兵をもって、一〇〇万隻を超える敵宇宙艦隊を完膚なきまでに潰滅せしめたおそるべき軍略家であるということに、シールはどうにも意外さを禁じ得ない。
 一昨年、すなわちゼラン連合帝国標準暦4150年、雪華大星雲内のアルンビーク王国とコーネスト大公国との国境宙域において発見された、古代コスメテル・リーフラート魔法文明の遺跡――この帰属をめぐって、両国が干戈を交えた際、この宙域における影響力拡大を目論むゼラン連合帝国宰相府が不用意に政治介入を図ったため、雪華大星雲最大の星間国家バルトリンゲン帝国を盟主とする七ヶ国の連合軍がアルンビーク王国を支援して、ゼランの事実上の傀儡国家コーネスト大公国に宣戦布告。これが世にいう《雪華戦争》である。そして、戦局の趨勢を決定づけた戦いが《ミルズ星系会戦》と呼ばれる。ミルズ星系会戦においてゼランを勝利に導いたというその一事績のみで、おそらくユーキ・ナグラス伯爵の名は、戦史上不朽のものとなるにちがいない。
 当のユーキは、いたって迷惑そうである。
「その、誤謬といつわりに満ちた令名とやらのおかげで、僕の平穏で文化的な人生設計はだいなしだ。まったくもーっ! あ〜あ……宮廷やら後宮やらの親戚連中からは疎んじられるし、朝堂の歴々からはいいように頤使されて、こんなド田舎の辺庭に左遷されるし……。もう皇位継承権は奉還したんだから、いいかげん京師に呼び戻してくれ――と、声を大にして云いたいね。だいいち、僕にはそんなメンドーな野心なんか、これっぽっちもないよ」
「いかに臣籍降下したとは申せ、おぬしはまぎれもなき皇帝陛下の御連枝。しかも国難を救った英雄というふれこみになっている。皇族がたや外戚たち、閨閥のひとびとにしてみれば、おぬしの存在はなにかと目障りで、いろいろ心穏やかならざるものがあるのだろう」
 シールはあえて口には出さなかったが、このたびの彼女自身の人事にも、そうしたことに関係するふくみがあるようだ。
(これは、この私にユーキの護衛をせよとの御意趣か……)
 そのあたりの政治的配慮の機微を知ってか知らずか、ユーキ・ナグラスは暢気なものである。
「なにはともあれ――固陋な総兵統帥府にしては、めずらしく味をやってくれたね。幼なじみの君を、幕僚に加えてくれるとは。ひとつ、よろしく頼むよ、副官殿」
 シール・マティーヤはにやりと笑みを浮かべて、敬礼した。
「こちらこそ。総司令閣下」
「まあ、掛けなよ。今お茶でも淹れさせよう。領地の弟が送ってきた、ジャコール茶の上物があるんだ」
 ユーキが呼び鈴を鳴らすと、次の間からメイドが現れてかしこまった。軍艦の中にあってメイドをはべらせるのは、将軍職もしくは提督職にある有爵位貴族にのみゆるされた特権である。
「すまないが、お茶の用意をしてくれたまえ。こちらのマティーヤ卿には、熱めのプレーンを」
 幼なじみの嗜好は、ほぼ知悉している。
「かしこまりました」
 メイドはお仕着せドレスの裳裾をつまんで恭しく一礼し、退室する。シールはユーキに勧められるままソファーに腰掛け、剣帯からはずした佩剣を傍らに立てかけて寛いだ様子だったが、一瞬、メイドの娘がシールに向けた鋭い一瞥を見逃しはしなかった。
「さてと……」
 造次顛沛の間があって、シールの差し向かいに座ったユーキ・ナグラスが、シールに目配せをしてきた。シールは軽く点頭して、周辺に人の気配を探る。
「よかろう。隣室にも、人はおらぬ」
「僕と君の、ふたりっきりというわけだね。シール・マティーヤ」
 露骨に顔を顰めるシール。
「妙な声音を使うなよ。気色の悪い……」
「ちぇ! つれないんだもんなー君ってば。ずいぶん久し振りだってのに」
「ここは京師の宮殿ではなく、前線の軍艦だ。優雅に久闊を叙するのは後にするがいい」
「ま、それもそーだ。つもる話はとりあえず置いといて、仕事の話を片付けるとしようか」
 ユーキは単刀直入に斬り込んできた。
「ずばり、アゼール鎮守府が君に附託して寄越した戦力は? 概要でよろしい」
「宙艇母艦三〇隻、戦闘艦二〇隻、重巡航艦一五〇隻、軽巡航艦三〇〇隻、強襲打撃艦四〇〇隻、工作艦一〇〇隻、駆逐艦一二〇〇隻、輜重艦二〇〇〇隻、護衛艦一五〇〇隻、結界艦一五〇隻、空挺輸送艦三〇〇隻、偵察艦一〇〇〇隻、医療艦一〇隻、思念中継艦二〇隻。他に格闘艇約三万五〇〇〇機、浮遊砲台約五〇〇〇台、自走砲車約二万八〇〇〇両、感応ゴーレム一万体。天体地表戦要員がおよそ二二〇万人――うち騎兵が一万、ホムンクルス兵が四〇万。ナイトは私をいれて五名――したがって《魔甲体》は五体ということになる」
「ん〜なんだかバランスの悪い編制だなぁ。支援種艦艇が多いのは、おおいに結構なんだけど……それにしても戦闘艦が、ちと少なすぎはしないかな?」
 古代文明の遺産であるこれら発掘魔法兵器群は、得てして機構が大規模であるほど強力である場合が多く、艤装許容量の大きな戦闘艦や重巡航艦は、超絶な破壊力を誇る兵器をあまた搭載しており、必然的に宇宙艦隊戦の主力を担うこととなる。帝国艦隊の大多数の提督たちが、熱烈な大艦巨砲主義の信奉者なのはこのためだ。
「艦政本部の錬金術師たちは、少数精鋭と申しておる。たしかにコルヴィナ級の戦闘艦は、京師の直隷艦隊にも配備されていない最新鋭の戦略軍艦ではあるがな。さきほど渡した私の任命書に、増援部隊の詳細な資料が添付してあるはずだ。目を通すといい」
 ユーキは肩をすくめて云った。
「我が国の公文書類は、悦ばしいことにたいへん格調高く、僕のごとき不調法者とは相性がよろしくない」
「やれやれ……やんごとなきゼランの貴公子が、嘆かわしいことを申すものよ」
 シールが気安げに揶揄する。
「ほっといてくれ! 僕は、繁文縟礼に象徴される総兵統帥府の旧態依然とした体質を、婉曲に評しているんだ」
「問題発言だな。パルトラ親王殿下が、敢えて私を御推挙くださった事由がなんとなく判ってきた」
 シールの独言は囁きに近いものだったが、ユーキは聞きとがめた。
「なんだって? 叔父上がどうしたって?」
「どうもせぬ。それより、その聊爾な放言癖をすこし慎んでくれ。何処に誰の耳目があるか知れたものじゃない。おぬしの失脚をひそかに願っている徒輩は、おぬしが考えているよりもずっと多いのだぞ」
 ユーキは心から嘆息して云った。
「どーして、僕みたいに善良で穏健な人間を、そうやって毛嫌いするかなぁ……」
「ともかく、もっと自覚を持ってもらわないと困る。おぬしは草莽の一市民ではなく、社稷の枢機に与かる藩屏なのだ。――ユニオンの勢力が日増しに強大となりつつある昨今、ユーキ・ナグラスの将器は、連合帝国にとって必要欠くべからざるものだからな。つまらんことで恣意的に兵権を褫奪されては、こちらがたまらん」
「結局のところ、それか……。僕はていのいい道具ってわけだね」
 シールはあやうく声をあらげそうになったが自制し、すこし言いよどんでから、意を決したように静かに告げた。内面に如何なる葛藤が存在したのかは、その毅然とした美貌からは窺い知れない。
「フィアンナ姫さまから、くれぐれもおぬしの身命に間違いがないようにと、特に仰せつかっている。姫の心をいまいちど忖度してみるがよい」
「フィアンナか……」
 ユーキは困ったような顔で、視線をそらしてしまった。
 フィアンナ姫とは、ゼランの今上帝カールリート五世の第八皇女である。
「すまん……差し出がましいことを申した」
 シールもまた横を向いて、ぽつりと云った。
「いや、いいんだ。君には、僕に直言する権利がある。――情況説明をしようか?」
「うん。頼む」
 ユーキは壁際に並んだ本棚のところに立っていき、なにやら物色をはじめた。ほどもなく一巻の巻き物を手にして戻ってくると、それをテーブルの上にひろげる。
「ウィルグ方面宙域の星系配置略図だ。銀河黄道面を天頂方向から俯瞰したものになる」
「だいぶ大雑把な天翔図だな……」
「しょうがないよ、こんな辺境の宇宙じゃあ。天空省も予算不足で手がまわらないんだろ。惑星摂動から時空曲率の遷移振幅にいたるまで、測量はじつに杜撰なものさ。どこに何があるか分からないから、おちおち星の海の逍遥なんぞとしゃれ込むわけにもいかない」
 地上の地形が変化に富むように、広大無辺の宇宙空間もまた一様ではありえず、その様相はきわめて多彩だ。星々の海に艦艇を駆る船乗りたちは、この宇宙の地形を《霄勢》と呼び、宇宙の海図を《天翔図》と称した。
 由来、地図上の空白は地道な探検によって埋められるものである。辺境の駐留艦隊には、この思想に基づいて、数多くの偵察艦が配備されるのが常だった。国境警備を担うと同時に、活動圏の漸進――つまりは、版図拡大の尖兵に位置付けられているからである。
「ま、艦橋に行けば、エステルド・オーヴで、もうちょっとマシな立体天翔図が見られるけど。あとで艦橋に案内するよ。――なにはともあれ、偵察艦をたくさん連れてきてくれたのはありがたい。航行参謀や情報参謀たちが喜ぶだろう」
「索敵が捗々しからざるようだが、敵の戦力は把握しているのか?」
「ぜーんぜん。こちらよりは多いみたいだね」
 ユーキは他人事のように云った。
「このスチャラカ司令官め! 兵士たちが聞いたら恐慌を起こしかねんな」
「苦情なら敵に云ってくれたまえ、レディ。なにが楽しくて、こんな片田舎になん万隻も大挙して繰り出してくるんだか……まったく、外国人のやることは理解に苦しむよ」
 ユーキ・ナグラス少将麾下のウィルグ方面艦隊は、蒼海銀河のゼラン領辺縁宙域を守備範囲とする艦隊で、その管轄下には一万ちかい星系が存在する。内訳は、宰相府直轄領約一千、辺境伯領約二千、自治領約二千、同盟諸国領約五千。
 コルトナイドの二大国が、互いに宇宙艦隊を派遣して対峙するさわぎとなった原因は、このうちの同盟諸国領にある。
 ひとつの星系、ひとつの惑星が、必ずしも一個の統一政体の占拠空間であるとはかぎらない。なかには多数の独立都市国家がひしめく惑星等もしばしばあり、ウィルグ方面のアルテニア星系第四惑星もまた、八ヶ国が割拠する星だった。
 これらのアルテニア八ヶ国は、近隣の独立星系国家同様、ゼラン連合帝国に朝貢してその庇護のもとにあったのだが、過日、八ヶ国のうちの一国リーン王国が、突如としてゼランとの安全保障条約その他諸々の付帯条項を破棄すると一方的に通告し、あろうことか、ゼランの宿敵フォルト銀河星皇ユニオンへの加盟を闡明するという、(ゼラン的には)近年稀にみる暴挙にうってでた。
 他の七ヶ国にとっては青天の霹靂である。さもあろう、これまで格下の小国としてひそかに侮っていた隣国が、いつのまにやらコルトナイド世界の覇権を虎視耽々とうかがう超大国の橋頭堡へと変貌を遂げていたのだから。
 とりあえずおっとり刀で非難声明を出し、腰砕けの経済制裁など実施してみたが、敵対者への苛烈さで知られるフォルトの報復がどうにも恐ろしい。じっさい、「国防のため」と称してフォルトの軍艦がアルテニア星系内に頻繁に出没するようになると、矢も楯もたまらなくなった諸国から、ユーキのもとへ進駐要請があいついだ。
 こうした緊張状態は、偶発戦争の危険性を飛躍的にたかめる。果たして、トールジット星系で起きた二つの事件――マール・ヴィーナ公国船籍の交易商船臨検事件と駐オデッサ侯国フォルト領事館襲撃事件を契機として、戦端はひらかれた。
 蒼海銀河各所の基地においててぐすね引いていたフォルトの軍団は、待ってましたとばかりに、ゼラン連合帝国直轄領を除くウィルグ方面の諸星系に襲いかかり、つぎつぎと諸国を侵略していった。
「――とまぁ、現状はそんなかんじだよ。リーン王国――今はリーン州とかいうらしいけど――の造反は、僕も寝耳に水の話だった。やはりあれかね、使嗾の黒幕はユニオンかな?」
 シールは頷いた。
「すべからく、何らかの離間策が存在したと見做すべきだろう。ウィルグの諸国にも、付け入られる隙があったと思うが……」
「せまい星の上で互いに国境を接していると、いろいろ軋轢も絶えないのかねぇ。ことに、リーン王――今は州知事だな――は気位の高い人物だというし」
「専制君主の蒙昧な矜持は、しばしば国策の平衡をおおいに狂わす……。そのようなものに付き合わされる我等こそ、いい面の皮というものよ」
「今ならまだ、おちゃめなジョークで済むかもしれないのにね……って――やっぱムリか」
「あたりまえだろ! 裏切者には鉄槌を下さねばならぬ!」
「あいかわらず手厳しいなぁ君は。本当の敵はフォルト・ユニオンなんだから、お手柔らかに頼むよ」
 シールはふと考え込んだ。
「ユニオンか……。国策の平衡と申せば、こたびのユニオンの軍事行動の真意が奈辺にあるのか、さっぱり分からぬ。いったい、このウィルグ方面に如何ばかりの戦略性があるというのか?――蓋し、我が帝国といよいよ雌雄を決するつもりなのか?」
「だから、外国人のやることはチンプンカンプンだって云ったろ。とりわけ最近、彼の国じゃあ魔道師ギルドと称するうさん臭い連中が重用されて、星皇ロイゼラールの側近になっているそうだからね。国策の平衡もへったくれもあったもんじゃあないのさ」
「フォルト銀河星皇ユニオンと魔道師ギルド――たしかに、これ以上ないくらい胡乱な取り合わせだ」
 かつて《焚書坑魔》の蛮行をもって、魔法使い弾圧の先頭に立ったフォルトは、爾来すべての魔法使いにとって不倶戴天の仇敵のはずである。
「ともかく朝堂としては、こんかい宣戦布告は見送って、局地的な国境紛争にとどめる方針らしいよ」
「そうらしいな。京師のセートレード元帥やクラウデュース元帥は、戦いたがっておいでだったが」
「やれやれ、血の気のおおいじーさんたちだ」
「しかし、この情勢だと地上戦がありそうだな」
「そーゆーこと。騎士団の出番だ。でも、その前にお膳立てをしないとね」
 天体の地上戦を優位にすすめるためには、宇宙空間における制宙権と兵站線の確保が必要である。
「君の戦いぶり、しかと――なに? どうしたの?」
 シールは手ぶりでユーキの言葉をさえぎった。
「……誰か来たようだ」
「ああ、きっとさっき言い付けたお茶の用意ができたんだろう。一息いれようじゃないか」
 ユーキが云ったとおり、次の間のドアからノックの音がして、数人のメイドが執務室に入ってくると、かいがいしく茶席をしつらえはじめた。
 ゼラン貴族の喫茶好きは歴史的に有名で、古くは十三世紀中葉の名君カンナート女帝が、「茶を飲まずんば、人にあらず」とのたまい、敵国への親征のさなか、諸侯との茶会に臨御するべく鉾を収めた《お茶入り》の故事など、彼らの喫茶好きを物語るこの手の逸話には事欠かない。
「ごくろーさま。マティーヤ卿と内談があるので、給仕は無用だ。皆さがるように」
 メイドたちをねぎらって下がらせると、ユーキは自分でポットのお茶を白磁のティーカップに注いだ。
「ほい、シールのぶん。茶菓子も召しあがれ」
「うん。懐かしい、いい香りだ。ベイレーズのルメンズ殿やクレウ殿は、元気かな?」
「うちの弟たちは、まぁ、アレとゆーかナニだから」
 ユーキ・ナグラス伯爵の封地ベイレーズ星系は、良質の茶葉を産することで有名だ。これを発酵させたものは格別風味が豊かで、ジャコールの銘をもち、諸国の王侯に好まれている。
 シールは嬋娟たるしぐさでティーカップを手にとり、琥珀色の茶を口にふくんだ。途端!
「ユーキっ! 飲むなッ!」
 口中の茶をせつなに吐きだし、電光石火の身ごなしで、いままさにジャコール茶を飲もうとしていたユーキの手からティーカップを叩き落とす。ふたつのティーカップが床のうえを転がり、エンジ色のしみが絨毯に広がった。
 ユーキはすぐに事態を洞察した。
「毒か……。無粋なやつもいるもんだ。ひとの至福の一時に水を差すとは」
「手をふれぬほうがよい。毒気にあてられるやもしれん……」
「なんだって!? そんな猛毒なのか!? おい、ちょっとシール。君、大丈夫なのか?」
 太平楽なこの男が、幾ばくなりと周章の態をみせるのはめずらしい。
「ああ。とりあえず飲み下してはいない。イヤな苦味が少々残る程度だ。おそらく冥毒の類いだろう」
「はやく口を漱ぎなって。今、軍医を呼ぶ。――毒の味なんて分かるのか?」
 意味深に微笑むシールに、ユーキは騎士の何たるかを垣間見る思いだった。ゼランの近衛騎士は兵仗供奉のみを彩る典儀の飾り物ではない。聖上の玉体をあらゆる危害から護り奉るという至上の使命を遂行するべく、心技体を研ぎ澄ましているに違いない。
「さて……どうしてくれようか」
 ユーキは俄かに感情を押し殺したような声で囁いた。
「……ユーキ。この件、私に一任願えまいか?」
「ほぅ? なにか心当たりでもあるのかね、シール・マティーヤ卿」
 ユーキはさぐるようにシールを見た。
「いや……」
(ただ、ここでおぬしが暗躍をはじめると、はなしがややこしくなる)
 シールは胸臆でそう付言した。


〜続く〜
プロローグ INDEX 第1話(2)

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